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<道路レポート>と山さ行がねがに関するyamaigaのブックマーク (162)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 東京都道211号若郷新島港線

    東京都には、これまで当サイトのレポートでもその一部をご覧頂いてきたとおり、東京という大都会の他に、奥多摩町や檜原村のような山岳地帯が存在する。 そしてさらにもう一つの大きな場面としては… 離島 がある。 具体的には、伊豆諸島や小笠原群島に属する200を越す島や岩礁がこれにあたるが、今日一般人が定住している島は伊豆諸島に9島、小笠原群島に2島があるのみだ。 そしてこれらの有人島も無人島も全て東京都に所属していて、東京諸島という総称も存在する。 東京諸島の広大な地域(海域)の広がりは、東京福岡間に匹敵する1200kmをも越えており、実は東京都こそが日一の広がりを持った都道府県といえる。 しかしこれら島嶼(島しょ)と呼ばれる東京都のエリア人口は少なく、平成20年当時のデータだが、28,741人と記録されている。 これは東京都民1,279万人の0.22%に過ぎない数字だ。 ともかく、海の上にも東

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道410号 真倉の切割

    今回紹介したいのは、房総半島の南端を走る国道410号が、洲崎(すのさき)へと連なるその中央分水嶺を越える地点に穿った、「真倉(さなぐら)の切割」と呼ばれている道路である。 東京都心から南南東へ約90km、関東地方では最も温暖な地域にあるこの地域は、今日でこそ交通の便も十分に開け、年中多くの観光客が訪れているが、内房と外房の結節点である館山より南は、交通の面でも長らく「半島の中の半島」と呼べる不利な条件に置かれていたのであって、この「真倉の切割」は、明治期に車馬の交通を辺境へともたらした、画期的な交通施設であった。 今日では切割がある分水嶺の北も南も館山市の一部であるが、昭和29年より前は歴とした市村境だったのであり、南側が安房郡神戸(かんべ)村、北側が(旧)館山市であった。 現在は大字上真倉と大字藤原の境目となっている。 これから現地の風景を紹介するが、天与の地形に人がその英知と胆力をもっ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 奥多摩古道 (氷川~除ヶ野)

    東京都の奥座敷、奥多摩町の中心が氷川(ひかわ)である。 多摩川と日原(にっぱら)川の合流地点に開けたさほど広大でもない緩斜面に町役場、小学校、JR青梅線の終着駅である奥多摩駅、国道411号などの都市機能が集中的に立地している。 そして氷川から日原川に沿って1kmほど北上した山腹に、除ヶ野(よげの)集落がある。 取り立てて何がある場所でもないが、古くから人の住う土地であったことは、この意味ありげな地名にも現れている所だ。 現在、除ヶ野から氷川へは、日原川に架かる北氷川橋渡って行くのが普通であるが、このルートは安寺沢林道が除ヶ野まで開通した昭和50年代から使われるようになったという。これは除ヶ野集落で聞いた話である。 そして古い地形図を見ると、除ヶ野から氷川まで順当に日原川左岸の山腹を緩やかに下って行く道が描かれている。 その表記は「破線」であり、小径の域を出ないものであったと察せられる。 そ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 秩父湖一周ハイキングコース

    今回は、関東人にはお馴染みとなった行楽エリアの秩父(ちちぶ)にある、ハイキングコースを紹介しよう。 その名も、秩父湖一周ハイキングコース。 ハイキングコースとしては王道とも言える、湖畔系のハイキングコースである。 いまさら、ハイキングなんて興味はないぜ… というアナタ。 廃キング な ら ば、 どうかね? ここはガチのリスクあり。 くれぐれも、廃キングは侮るなかれ。 2012/10/12 9:05 【周辺図(マピオン)】 この探索に事前情報はなく、偶然の遭遇から始まった。 きっかけは、秩父湖畔を通る国道140号旧道で出会った1の大きな吊り橋だった(→)。 橋は地形図にもちゃんと描かれており、湖に架かる目立つ吊橋は観光スポットであった。 もっとも、あまり流行っていない感じはしたが、決して廃吊橋ではない。 これだけのことならば、別の探索の途中でもあったし、素通りしていたかも知れない。 だが、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道75号清水富士宮線 吉原狭区

    ※このレポートは、いつも以上にヨッキれんの個人的な趣味性に拠っています。 おそらく多くの「あなた」にとって、このレポートより有意義なレポートが、他にあるはずです(笑) 今回は静岡県道75号清水富士宮線(富士宮市~静岡市清水区)のうち、静岡市清水区内にある狭隘区間を紹介するが、 この探索を終えたときの私の肉体には、これまでの探索では感じたことのない、ある変調が起きていた。 それは、 首が痛くなった ということである。 …わけが分からない?(笑) 地図を見よう。 【周辺図(マピオン)】 改めて、静岡県道75号清水富士宮線の概説を述べれば、この道は全長約62kmの南北方向の道路である。 全体は国道52号との長い重複区間で二分されているが、南半分を占める山間部にこの狭隘区間はある。 なお、この道は平成6年から主要地方道に指定されている。 地図上でこの県道が細く描かれている(狭隘区間)のは、静岡市清

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 隧道捜索編 <最終決戦>

    私達はなぜあのとき、 すぐ手の届く所にあった “影”の正体 を、確かめなかったのか。 2008年10月にくじ氏と2人で行なった探索では、その前年10月の探索と合わせて、ついに当時前人未踏といわれていた清水国道の新潟県側を、ほぼ全部踏破することに成功した。 もはや清水峠、そして清水新道に思い残すこと無し。 探索成功の時点では、これが大団円だと疑わなかった。 だが、帰宅後にレポートを作成するため改めてその行程を整理してみると、清水国道には隧道があったのではないかという思いが、強くするようになった。 そして、検証回で皆様の意見を請うてみたりもした。 (ちなみにその結果は、2012/11/13時点で65.2%の読者さんが隧道を肯定している) この検証回で拾った机上の資料や、過去の航空写真、さらには探索中に撮影した現地写真からは、ついに隧道の存在を証明する事が出来なかったのだが、その現地写真の中の1

  • 【山さ行がねが】道路レポート/廃線レポート 草木湖水没交通遺構群

    平成24年の夏は猛暑であったが、加えて東日ではまとまった雨が少なく、必然的に各地のダム湖は渇水に見舞われた。 そのため、いくつかのダムは貯水率が一桁にまで低下する異常事態となったが、そこまで行かなくても、ダム湖の水位が普段より下がっている状態というのは、オブローダーにとって発見の良い機会である。 普段は湖面の下にあって見る事が出来ない様々な水没した地物が、地上に現れることになるからだ。 今回私が訪れたのは、群馬県の渡良瀬川にある草木(くさき)湖で、水資源機構が昭和51年に完成させた草木ダムが生んだ、比較的に規模の大きな人造湖である。 前日の時点でモニタされた草木ダムの貯水率は30%を切っており、私は渇水の湖底に現れているかもしれない “ある” ものを探すべく、朝一番で訪問したのだった。 私が探しているものは、以下のふたつ。 国道122号の旧道。 国鉄足尾線の旧線。 特に国鉄足尾線には、岩

    yamaiga
    yamaiga 2013/04/19
    <道路レポ153/廃線レポ53> 至高の廃道風景!放牧したい!!(うちの猫を)
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道16号 八王子バイパスの未供用ランプの謎

    表題の物件を紹介するのであるが、その謎解きについては、まだ完全に解決したわけではない。 しかし、都内で交通量も沿道の人口も多い地域の話であるから、私がここで解けなかった謎を提示することによって、地元の方などから決定的な情報が寄せられるのではないか。 そんな期待を込めつつ、編を公開することにした。 このレポートの最終回(考察編)では、私が解けなかった謎をまとめて書き出すので、ぜひとも皆様からの情報提供をお願いしたい。 なお、この物件は、私が2007年に東京都日野市に引っ越してきてすぐに発見した。 のらネコが縄張りを見回るように、私がアパートの周りを自転車でうろついていて、偶然に見つけたのだった。 2011/8/23 5:53 【現在地(マピオン)】 自宅を自転車で出発して15分くらいで、八王子市打越町にある国道16号八王子バイパスの打越ICに到着した。 八王子バイパスには無料の区間と有料

  • 【山さ行がねが】道路レポート 早川町新倉集落の“2トン制限一方通行路”

    今回は、私が山チャリの最中に偶然見つけた、とても印象深い道 をご覧頂こう。 所在地は、南アルプスに深く抱かれた、山梨県早川町。 そのほぼ中央にある 新倉(あらくら)集落 である。 新倉集落について、『角川日地名大辞典山梨県編』は、集落人口470人(昭和54年)で「町内で最大の集落」としており、町役場がある薬袋(みない)集落などを差し置いて町内随一の都邑を形成していた事が伺える。(ただし、同書の刊行は昭和59年であり、現在も「町内最大」であるかは不明) 早川町といえば、以前に角瀬トンネル旧道を紹介しているが、あそこから早川沿いに12kmほど奥地へ入った所に新倉集落は位置している。 カシミール3Dを使って新倉集落周辺の鳥瞰図を表示した。 南アルプスのイメージに恥じない、峻険な山々に取り囲まれている事が一目で見て取れる。 集落があるのは早川沿いの低地で、その標高は500m前後である。 対して周

  • 【山さ行がねが】道路レポート 金沢区朝比奈の“脅迫的な”市道

    道路レポートは今回が記念すべき(?)150作目。 そこで今回は、普段あまり取り上げないジャンルとして、都会の市道を見てみようと思う。 おそらく日に一番沢山あるのが「市道」カテゴリの道だと思うし(平成の大合併により、町道や村道を確実に上回ったはず)、ほとんど誰しもがお世話になっているはずだが、個々の路線名が分かりにくい事もあってか、道路趣味の対象としてはマイナーと言わねばならない。 そして、私が今回のレポートを発表した事によって、そうした傾向に風穴を穿つ… つもりなど毛頭なく、そもそもそれほどのインパクトを有さない道なのであるが、 し か し ! この道の入口にある“看板”だけは、オブローダーなら決して素通り出来ないはず! かく言う私も、何の予備知識も持たないまま、もちろん探索の対象とするつもりも全くないまま通りかかり、そしてこの市道に捕まった。 そんな舞台はどこかと言いますと… 2009

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル旧道

    このレポートの元となった探索は、時系列で言うと「廃線レポ46千頭森林鉄道(沢間~大間)最終回」の直後に行われた。 よって、先に前記レポをご覧頂いた方が、展開が分かり易いと思う(だから、自転車での探索だ)。 それはそうと、実はこの探索、当初の計画には無かった。 しかし、周辺の地形を直に感じているうちに妙に気になり出し、急遽“寄り道”した内容である。 →【周辺図(マピオン)】 それでは恒例通り、次に現在の地形図を見て貰おう。 今回のターゲットは図に赤く示した部分で、県道77号「川根寸又峡線」の朝日トンネルに対応する旧道である。 距離はちょうど1kmくらいであろうか。 元の地形図には全くこの部分の道は描かれていないものの、法面と路肩がそれぞれ「崖(岩)」と「崖(土)」の記号として残っているため、「消したんだな」と明らかに分かる状態になっている。 消した=廃道 と見て、ほぼ間違いないだろう。 こ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区

    平成10年11月18日、この日行われた記者会見の席上で増田寛也・前岩手県知事は、それまで県が進めていた一般県道・雫石東八幡平線の建設の断念を発表した。 この道路の開通が地域発展の起爆剤になると信じていた沿道自治体関係者を中心とする建設推進派にとっては死の宣告にも等しい重大発表であったが、知事は建設断念の理由を次のように述べたという。 県内でも有数の規模のトンネルとなり、莫大な費用を要することから、現在のような厳しい経済情勢下では県民の御理解をいただくことが難しいと考えたところでございます。また、観光を主体とした地域振興上の波及効果が必ずしも明確にならないことや、さらに自然と共生する新しいライフスタイルや21世紀を展望した新たな価値観に対応するためにも、このような選択をしたところでございます。    岩手県議会議事録より抜粋 そしてこの代替策としては、環境庁(現:環境省)と県の合同による「緑

  • 【山さ行がねが】道路レポート 大塩沢林道

    今回紹介する大塩沢林道は、栃木県の西側南北軸の一部を構成する国道121号と、県央部から会津地方への近道であり観光幹線でもある国道400号を短絡する、やや長い峠越えの林道である。 この林道が存在する地域は、県内でも有数の観光資源(特に温泉)の宝庫であり、国際的観光地の日光から鬼怒川温泉、塩原温泉、那須山岳を連絡する線上にあると同時に、東北(会津)と関東を結ぶ最短線上にもあるため、奥羽山脈に連なる深い山地帯でありながら、昔から旺盛な“開道欲”に晒されてきたといえる。 多くの道が世代交代を繰りかえしてきた結果、格的な廃道の多産地ともなっており、明治の三島街道(塩原街道)や尾頭明治道、昭和の塩那道路などは、いずれも塩原温泉を基点とした大廃道である。 そして大塩沢林道も、これら“死したる先駆者”の一列に加わるべき廃道だ。 鬼怒川水系(日光市:旧藤原町)と那珂川水系(那須塩原市:旧塩原町)を隔てる山

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。 右図に赤く示したラインが、それである。 地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。 もう一度地図を見て貰いたい。 この場所は、川根町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。 寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。 この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。 その過程で、名前も何度も変わってきた。 編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見

  • 廃道レポート 鋸山の元名石切道

    鋸 山 (のこぎりやま)  [位置[マピオン]] 鋸南(きょなん)町と富津市の境にそびえる山。標高329m。南房総国定公園のうち。第三紀三浦層の砂質凝灰岩が刻まれて、稜線が鋸の刃のようになっていることに山名は由来する。また安房・上総両国を限る山であるところから「限の山」ともいわれている。山頂は昔から東京湾に出入りする船の目印とされてきた。鋸南町側の中腹には僧行基創建(養老7年)の日寺がある。(中略)山頂の十州一覧台の眺望は、東京湾・三浦湾・箱根・富士・関東平野を遠望できる。 山麓の北側には凝灰岩の石切場がある。この石は房州石・金谷石・元名石などと呼ばれ、建築用石材として江戸期から採掘され、明治期には横浜港建設などに30数万が採掘された。明治後期から大正期にかけてが最盛期で、大谷石が出回るようになると次第に衰退、現在の採掘量はわずかである。 浜金谷カラロープウェーが通じ、様々な観光施設が

  • 廃道レポート 栃木県道369号黒磯田島線 深山隧道旧道

    ※このレポートは、「廃線レポート 白湯山林道(森林鉄道)」の続編となります。 【周辺地図(マピオン)】 栃木県道369号黒磯田島線は、栃木県那須塩原市の黒磯と福島県南会津町の田島を結ぶ、全長57kmあまりの路線で、県道指定は平成8年で比較的最近だ。 だが、県境の男鹿峠は10年以上も不通のまま廃道化が進行しており、路線名も全うされているとはいえない。 とはいえ、今回この路線で取り上げるのは男鹿峠の廃道区間ではなく(探索は済んでおり、今年4月頃に発売を予定している「廃道をゆく3」に収録予定)、黒磯側から男鹿峠に向かう途中にある、旧道の廃道だ。 木の俣地蔵がある東一帯の平坦部を「地蔵平」と呼んでいるが、その背後には標高788mの尖った山があり、北側の斜面は那珂川に大きく迫り出し絶壁を作っている。 そしてこの難所に“良い道”を通すべく、これまで数回の試行錯誤…路線の付け替えが行われてきた。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区

    福島県道53号「会津高田柳津線」は、会津盆地の西南端に位置する歴史ある商都高田と、奥会津の玄関口に位置する寺と温泉のまち柳津を結ぶ、全長20kmの主要地方道である。 起点と終点付近以外は会津山地の山中を通る山岳路線であり、赤留(あかる)峠と市野峠という2つの峠が控えている。 また、柳津と高田を結ぶ交通量自体あまり多くないことから、比較的閑散路線といえる。 とはいえ現役の県道であり、この程度の縮尺の地図では特に“異変”に気づくと言うこともない。 というか、ドライバー的には全くそれで問題がない。 あなたが普通に道路標識に従って車を走らせていれば、ちゃんとこの県道は高田から柳津、或いはその逆へ移動させてくれる。 問題ない。 だが、縮尺の大きな道路地図(左画像は「スーパーマップルデジタル11」)で、この赤留峠と市野峠の間に挟まっている谷…二岐(ふたまた)地区を見てみると、小さな“異変”に気

  • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道37号南アルプス公園線 角瀬トンネル旧道

    右の地図は、山梨県南巨摩郡早川町の役場がある高住(こうじゅう)地区。 といっても、この地図だけでどこだか分かるという人は、ほとんどいないと思う。 それこそ地元の人か、あとは南アルプスの山々をこよなく愛する人くらいしか…。 大きな地図で見ると、このあたりだ。→【広域(マピオン)】 この早川町というのは、四方を広義の南アルプス山脈、狭義でいえば白根山脈、巨摩山地(櫛形山系)、身延山地に囲まれており、大きな峠を越えずにここへ行く道は一しかないという、日中でも稀な厳しい立地にある自治体だ。 こうした交通の不便ゆえか、或いはもともと山梨県内で最も広大な町域を有していたせいなのか、日一人口の少ない「町」(平成22年12月1日現在人口1228人。平成17年当時日で9番目(州で4番目)に低い人口密度)でありながら、平成の大合併にも呑まずに存続している。 とまあ、早川町を手っ取り早く語るのには、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋

    今回は国道113号の旧道をまたひとつ紹介する。 国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市と日海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。 その性格上山がちな路線であるが、なかでも2000m級の飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた荒川地峡(荒川渓谷沿い)を通る、山形県小国町から新潟県関川村にかけての区間は最大の難所である。 と同時に、小国町や関川村にとってはこれが唯一外界へと通じる路線になっていることから、この区間は3桁国道でありながら国交省直轄区間になっている。 これまで当サイトや「日の廃道」でも、この区間にある旧道や廃道をいくつか紹介してきた。 その代表的な物は宇津峠や八ツ口旧道、そして片洞門(日の廃道)である。 今回紹介する旧道は、位置的には片洞門と八ツ口の間にある。 その旧道としての規模は小さいが、かなり印象深い 特異な景観 がある。 2010/10/18 7:11 【現在

  • 【山さ行がねが】道路レポート 十二ノ森公園の謎の道

    ちょっと右の地図をみておくれ。 愛用している「スーパーマップルデジタル ver.11」の画像なんだが、中央付近の山の中に、この場所には似つかわしくない注記がある。 「野球場」「並木公園」「十二ノ森公園」の3つだが、下地の等高線はかなり険しく描かれており、2つの公園についてはともかく野球場というのは流石にこんな場所に作れるだろうか? 麓の道からは140mくらい高いところだぞ。 それに、いくら縮尺を上げてみても、この3つの場所に行くような道は現れない。 もしかして廃公園とか、そういうのか? 何となく気になったので、行ってみた。 <この場所について> ここは群馬県利根郡片品村の北部に位置する戸倉地区【周辺地図(マピオン)】で、沼田と会津を結ぶ街道の宿場としてひらけた場所で、現在は尾瀬の玄関口として知られている。 2010/8/23 14:39 《現在地》 私がここに行ったのは8月末の平日だが、