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<道路レポート>と神奈川に関するyamaigaのブックマーク (6)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 横須賀十三峠

    「明治工業史(土木編)」は、昭和4年に工学会(現在の日工学会)が刊行した、明治期の土木全般を俯瞰した大著である。 このの特に良いところは、全体的に平易な表現がされていて専門家でなくても読み進めやすいところと、“最古”や“最大”などといった、一般人の興味を意識した記述がふんだんに取り入れられているところにあると思う。 まさにオブローダーにとってはお宝ものの書物だが、現在は「土木学会附属土木図書館」のサイトでPDF化されたものが公開されている。 そしてその34p(右図)に、明治期の国道の道路勾配について次のような記述がある。 国道の勾配は三十分1の既定なれども、是亦(これまた)実際の道路は急勾配のもの多数にして、殆んど既定に合するもの無しと称するも過言に非ざるなり。此の処に最も急勾配を有するものを記すれば、横浜より横須賀鎮守府に至る路線には二分一、又横浜より箱根に至る路線、小田原町より長尾

  • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道701号 大山秦野線

    【所在地(外部リンク)】 また、オカシゲな県道に行ってきまつた。 神奈川県の一般県道701号、大山秦野(おおやま-はだの)線だ。 その異様な様子は右の地図の通り。 県の資料によれば、「起点」が伊勢原市大山の一般県道611号大山板戸線(通称:大山街道)上にあることになっているが、地図上に県道色で塗られた道が現れ始めるのは、その県道611号から400mほど山に入った地点からである。しかも点線として。(縮尺の小さな地図では、伊勢原市側の道は全く描かれていないこともある) 海抜450mの「峠」付近は林道と重なっているのか、とにかく地図上では林道が県道色で塗られている。 そして秦野市側だが、麓へ下っていく林道を尻目に、県道は忽然と消失。 …したかと思えば、またヒョロヒョロと現れては県道70号秦野清川線にぶつかって「終点」である。 山腹に突如現れたり、峠で消えたり、まるで幽霊か蜃気楼。 「おお、山肌の

  • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

    <周辺地図> 首都圏を代表する水瓶の一つ、宮ヶ瀬ダム。 神奈川県の中北部、丹沢山系の麓に県内最大級の貯水池「宮ヶ瀬湖」が湛水を開始したのは、平成10年のことである。 都心からわずか50kmという好立地に加え、豊富な自然が色濃く残っていることから、現在では「ダム湖百選」にも選ばれる一大レクリエーションゾーンになっているのだが、この巨大な人造湖の湖畔に通常では辿り着く術のない…“不思議な橋”がある。 そしてこの橋は、観光客や釣り人など湖を訪れる大勢の目に、大変奇異な光景として映っている。 私が“この橋”について興味を持ったのは、かれこれ5年以上も前のことだ。 当時の私は当然秋田に住んでいて、また、20年ほど前まで横浜に住んでいた時分には、この宮ヶ瀬のまだ沈んでいない道を走った事はあった筈だが、ともかく、見ず知らずの「宮ヶ瀬ダム」が興味の対象になる環境ではなかった。 それなのに私が“この橋”につ

  • 【山さ行がねが】道路レポート (一)太井上依知線 小倉不通区  

    神奈川県道511号太井上依知(おおいかみえち)線は、相模原市津久井町太井と厚木市上依知とを結ぶ、全長12.7kmの一般県道である。 その全線が相模川に沿っており、城山・津久井方面から相模原市南部及び厚木方面への抜け道として、朝夕を中心に交通量の多い都市近郊路線である。 この道には、“知られざる区間”が存在している。 しかし、頻繁に利用しているという方でも、まずその存在を知る人はいないと思う。 “知られざる区間”なのだから。 通常、この県道の起点は、城山町小倉の小倉橋交差点であると思われているし、あらゆる地図はそのように描いている。私の持つ数種類の地図から“google map”に至るまで、そこを起点として描いていない地図はなかった。 だが、そこはあくまで城山町小倉である、路線名にある起点津久井町太井とは最低2kmの隔たりがある。 もし県道名にその路線の趣旨や接続目標といったものが反映されて

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道20号旧道 大垂水峠 

    大垂水峠。 これで「オオタルミ」もしくは濁って「オオダルミ」と読む。この読み方は難読であるが、その印象的な響きは一度覚えると忘れにくい。トウゲという言葉の起源にも何か関わりを持っているのではないかと思わせる、弛んだ名前。 関東地方に住まう人ならば大概が車窓や交通ラジオにこの名を見聞きし、知らず知らずに覚えている。 行楽と、渋滞と、少し前まではローリング族のメッカ。 大垂水峠。 それは、天下の五街道のひとつ甲州街道を受け継いだ幹線も幹線、国道20号が都心新宿を発って初めて挑む峠。 海抜389mに過ぎないが、日最大の広さを持つ関東平野、そして大首都圏からの離脱を阻み、文字通り都県の境を成す、決して小さくない峠。 この峠は地形的に明瞭な鞍部を示しており、古くからこの地方に人が暮らしていたことを考えれば、その道としての興りが古いことは明白である。だが、意外なことに歴史の表舞台にこの名が現れるのは

  • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

    物音を出来るだけたてないように注意しながら、玄関の扉を閉める。 砂利敷きの駐車場に置かれた、我が愛車ルーキー号。 狭く短い坂を下ると、そこは北野街道と名の付いた県道だ。 ここでは、分からないことだらけだ。まだ。 何故この辺りの住人は、県道や国道に「街道」の名を付けたがるのだろう。 お陰で、青看板と道路地図帳での探索では、たびたび戸惑いを覚える。 件の北野街道を西に向かう。 時刻は午前6時より前だが、道路端に敷かれた複線の線路には、既に幾度も列車が駆けていた。 しかも、その編成はどれも長い。始発はいつなんだろう。 6時をまわる頃、有料道路になっている高架のバイパス道路と交差した。 巨大な高架の上からは、獅子の咆哮にも似た騒音が絶え間なく聞こえてくる。 ここまで、行く先々、ひとときも車通りは途絶えていない。 街は日のあがる前に、もう目覚めの時を迎えているのだった。 さらに西へと進んでいく。 や

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