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<道路レポート>と静岡県に関するyamaigaのブックマーク (10)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道75号清水富士宮線 吉原狭区

    ※このレポートは、いつも以上にヨッキれんの個人的な趣味性に拠っています。 おそらく多くの「あなた」にとって、このレポートより有意義なレポートが、他にあるはずです(笑) 今回は静岡県道75号清水富士宮線(富士宮市~静岡市清水区)のうち、静岡市清水区内にある狭隘区間を紹介するが、 この探索を終えたときの私の肉体には、これまでの探索では感じたことのない、ある変調が起きていた。 それは、 首が痛くなった ということである。 …わけが分からない?(笑) 地図を見よう。 【周辺図(マピオン)】 改めて、静岡県道75号清水富士宮線の概説を述べれば、この道は全長約62kmの南北方向の道路である。 全体は国道52号との長い重複区間で二分されているが、南半分を占める山間部にこの狭隘区間はある。 なお、この道は平成6年から主要地方道に指定されている。 地図上でこの県道が細く描かれている(狭隘区間)のは、静岡市清

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル旧道

    このレポートの元となった探索は、時系列で言うと「廃線レポ46千頭森林鉄道(沢間~大間)最終回」の直後に行われた。 よって、先に前記レポをご覧頂いた方が、展開が分かり易いと思う(だから、自転車での探索だ)。 それはそうと、実はこの探索、当初の計画には無かった。 しかし、周辺の地形を直に感じているうちに妙に気になり出し、急遽“寄り道”した内容である。 →【周辺図(マピオン)】 それでは恒例通り、次に現在の地形図を見て貰おう。 今回のターゲットは図に赤く示した部分で、県道77号「川根寸又峡線」の朝日トンネルに対応する旧道である。 距離はちょうど1kmくらいであろうか。 元の地形図には全くこの部分の道は描かれていないものの、法面と路肩がそれぞれ「崖(岩)」と「崖(土)」の記号として残っているため、「消したんだな」と明らかに分かる状態になっている。 消した=廃道 と見て、ほぼ間違いないだろう。 こ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。 右図に赤く示したラインが、それである。 地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。 もう一度地図を見て貰いたい。 この場所は、川根町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。 寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。 この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。 その過程で、名前も何度も変わってきた。 編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見

  • 【山さ行がねが】道路レポート 寸又峡の旧遊歩道

    飛 龍 橋。 全長72m、高さ69m。上路スパンドレルブレーストアーチ。 奥黒法師から流れ出る大間川の深谷を跨ぐ、現役の道路橋で、架設された昭和32年当時はここを千頭森林鉄道が通っていたが、同44年に車道橋へと改築された経緯を持つ。これは土木学会により権威ある「歴史的鋼橋」にも認定された名橋であり、寸又峡を代表する観光名所ともなっている。 しかし、この橋は今回の主役ではない。 夢の吊橋。 全長90m、高さ8m。吊り橋。 この橋は飛龍橋の500mほど下流、寸又川との合流地点にある「大間堰堤(ダム)」に架かる、人道用の吊り橋で、これまた寸又峡の代表的観光名所である。 もちろん、今回の主役ではない。

  • 道路レポート 尾盛駅への道

    尾 盛 駅 をご存じだろうか。 wikipedia:尾盛駅 には、こう書かれている。 駅周辺に民家は無く、その上駅に通じる車道も1つも無い。このため鉄道でしかこの駅へ来ることはできない。 そのため、一部の鉄道ファンに日で最も理想的な秘境駅といわれている。 2008年度の年間乗降客数は574人である。 オブローダーというのは、元来「ひねくれ者」の資質を有する。 誰もが使う道ではなく、敢えて裏道を探し、無理に使われなくなった道を辿ろうとする。 「イケナイ」 「行けない」 と言われれば、当にそうなのかと確かめなければ気が済まなくなる。 「道が無いのに駅があるわけなんてないだろう」 と、そう心から疑う。 そして、「秘境駅ファン」というのも相当に「ひねくれ者」であろう。 非共益の誹りなどどこ吹く風で頑張る秘境駅を愛する者が、 年に500人以上も、 この「どこにも行けないホーム」に降り立っていると

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号 大嵐佐久間線

    2009/1/24 7:35 国道473号の佐久間発電所入口交差点。 JR飯田線佐久間駅に近いこの場所から「道路レポ」を始めよう。 これからまず向かうべき場所は佐久間ダムだ。 そこが今回の題「県道288号」の終点なのだ(終点→起点方向の探索)。 現在地からダムまでの距離は約4.2km、高低差プラス120mほどであるが、敢えて省略はせずレポートしたい。 交差点を西に進むと、まだ新しい国道473号の標識と共に金網に囲まれた一角が現れる。 そこは飯田線旧線の佐久間隧道が眠る、「電源開発株式会社 佐久間発電所」の敷地だ。 金網から下を覗くと、思いを残す塞がれた坑門が間近に見えた。 そして現れる、2車線を収容するには以下にも窮屈そうな隧道。 直前に立つ標識は、S字カーブにトンネルの記号を組み合わせたような特注品だ。 「トンネル内狭く カーブ 注意」らしい。 全く殺風景な坑門には扁額など自己主張する

  • http://yamaiga.the-orj.org/dounyu/kasiwa/main.html

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/30
    <ORJお試し“無料”レポ>
  • 【山さ行がねが】道路レポート  

    大崩海岸。 なんと直感的な名だろう。 誰しもがその名から容易に想像する険しい断崖絶壁は、“東海の親不知”とも呼ばれ、絶海を隔てて富士を眺める風流景勝の地であると同時に、交通の難所として日の交通史に存在感を示し続けてきた。 大崩海岸とよばれる約5kmの海岸線は、静岡県静岡市と焼津市の境にある。 南アルプスの南端が太平洋駿河灘に落ち込む、陸と海の鬩(せめ)ぎ合いの合戦場だ。 険しい場所ではあるが、内陸へ入ればそこには数千メートル級の山脈が連なっているため、沿岸地域は古くから東西日を繋ぐ交通の要衝であり続けた。 日武尊の時代から戦国、平安、そして江戸時代、明治・大正・昭和・平成まで、国の要となる大路がこの一帯を通過してきた。 徒道、そして鉄道、さらに自動車道へと形を変えながら。 近世以降、日最大の道であった「東海道」。 現在の国道1号は東海道をほぼ忠実になぞっており、海岸線から10kmほ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 宇佐美峠  

    熱海と伊東の間に、初めて車道の建設が始められたのは明治40年である。 この道が現在の国道135号の前身となるが、予算不足と関東大震災による建設中道路の大破などにより、全通は実に19年越しの大正14年だった。 ようやく出来上がった県道も、幅2.7mほどと極めて狭く、なお伊豆の陸上交通は発展途上の状況にあった。 大正14年12月には静岡県会によって「伊豆大循環道路促成改築案」が議決され、初めて半島の海岸沿いを循環する車道を体系的に整備するプランが立てられた。この工事は西伊豆(現:国道136号)、東伊豆(現:国道135号)の各所で進められ、現在の東伊豆町トモロ岬が昭和8年6月に開通したことで全通を見た。 昭和5年に北豆大地震が発生し、大正14年以来の熱海伊東間の県道は数ヶ所で大破した。 しばらくは徒歩連絡を余儀なくされたが、国庫補助が適用され、より強い道として甦った。 昭和28年二級国道135号

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 トモロ岬

    一般国道135号は、伊豆半島の東岸を南北に縦貫する、観光及び物流の両面で代替路の無い極めて重要な路線である。 実際に通行してみると、確かに、ほぼ全線2車線しかない路幅の中を溢れんばかりに、様々な車が通っているのが分かる。 大型トラックから観光バス、オープンカーやバイク、自転車に至るまで、季節にもよるが、ありとあらゆる車を見ることが出来た。 そしてこの道は、伊豆半島という希代の観光地に全線の立地を置いたため、随所に有料バイパスとの分岐や合流がある。 その中には既に無料開放化されて久しい物も少なくないが、今でも、地方からの観光客やサンデードライバーの多くが、何気なく有料バイパスへ連れて行かれている。小田原から熱海の間はとくに、図らずも二度ばかり有料バイパスへ連れて行かれることになる。 今回紹介する旧道もまた、有料バイパスとの関わりの中で生きた道だった。そして、ある激甚な災害によって死んでいった

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