タグ

プーに関するyamaigaのブックマーク (3)

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道49号 本尊岩隧道

    国道49号は太平洋岸のいわき市と日海沿岸の新潟市とを結ぶ全長250km近い国道である。 都会化の進む起終点の両市をはじめ、その沿線にも福島県の中心的都市である郡山市や、会津地方の中心地会津若松市などを擁し、並行して磐越自動車道が通うなど、南東北を代表する列島横断国道と言えるだろう。 だが、この道が一応の近代的な交通路としての面目を得たのは比較的近年であり、昭和39年の一級国道昇格を機に各地で一時改良工事が進められてからのことである。 それ以前は二級国道115号平新潟線と呼ばれており、明治15年頃に二代福島県令三島通庸が拓いた「会津三方道路」(会津若松から栃木、山形、新潟へとそれぞれ繋がる新道整備や道路改良)の名残を残す、殆どが砂利道以下という難路であった。 そのなかでも最大の難所だったのが、昭和39年に現在の隧道が掘られるまで、三島時代の隧道をそのまま使っていた尊岩(ほんぞんいわ)であ

  • 隧道探険隊

    私がこの隧道について知っていることは、余り多くはない。 それは、私の勉強不足によるものでは、少なくともこの隧道については、ない。 何度となく図書館に通い、それなりに調べ漁ったが、結局、私の得られた情報は僅かだった。 秋田市の黒川油田といえば、同じ市内の八橋油田についで規模の大きな油田であり、また現在でも採油が続く数少ない油田の一つである。 大噴油とまで呼ばれた大正初期の全盛時には、日産2000キロリットルを誇り、これは当時日一であったが、現在では月産50キロリットル程。 この黒川油田とは低い山地を隔てた、八郎潟に面した昭和町の豊川油田との間には、ある時期は製油軌道が、またある時期はパイプラインが敷設されるなど、深い関係があった。 なお、豊川油田は、国内で唯一天然の瀝青(アスファルト)を産出する油田であり、やはり一時期は重要視され、明治天皇も巡幸されたという。 この黒川と豊川という、山を挟

  • 【山さ行がねが】道路レポート 山王峠の謎の道跡  

    山王峠は、福島県南会津郡南会津町(旧田島町)と栃木県日光市(旧藤原町)とを結ぶ県境の峠で、その立地を一言で言い表すなら「関東と会津地方とを最短で結ぶ位置」である。(Mapionで位置を見る) 明治時代にはかの三島通庸がいち早く車道へと改築し、現在では国道121号を筆頭に352号と400号の合計三の国道が重複していることからも、その立地の持つ意義深さが理解されよう。 中世より連綿と受け継がれてきた山王峠であるが、大きく分けると次の三世代の道が知られる。 一つは中世・近世までの道であり、下野街道や会津西街道、または南山通りなどの幾つもの呼び名が、その歴史深さを証明している。 現在、その峠路は地形図からも完全に消えている。 次に、三島通庸の切り開かせた会津三方道路がある。 福島県令在任中の明治16年に、会津若松からこの山王峠頂上までの馬車道が、多くの反対運動を押し切る形で竣工した。 この道は、

  • 1