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【山さ行がねが】道路レポート 山王峠の謎の道跡
山王峠は、福島県南会津郡南会津町(旧田島町)と栃木県日光市(旧藤原町)とを結ぶ県境の峠で、その立... 山王峠は、福島県南会津郡南会津町(旧田島町)と栃木県日光市(旧藤原町)とを結ぶ県境の峠で、その立地を一言で言い表すなら「関東と会津地方とを最短で結ぶ位置」である。(Mapionで位置を見る) 明治時代にはかの三島通庸がいち早く車道へと改築し、現在では国道121号を筆頭に352号と400号の合計三本の国道が重複していることからも、その立地の持つ意義深さが理解されよう。 中世より連綿と受け継がれてきた山王峠であるが、大きく分けると次の三世代の道が知られる。 一つは中世・近世までの道であり、下野街道や会津西街道、または南山通りなどの幾つもの呼び名が、その歴史深さを証明している。 現在、その峠路は地形図からも完全に消えている。 次に、三島通庸の切り開かせた会津三方道路がある。 福島県令在任中の明治16年に、会津若松からこの山王峠頂上までの馬車道が、多くの反対運動を押し切る形で竣工した。 この道は、
2010/05/29 リンク