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  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道136号旧道 一色隧道

    【周辺地図(マピオン)】 伊豆半島の南端に位置し、石廊崎や下賀茂温泉など、南国情緒の感じられる多くの観光地をもつ南伊豆町。 あまり知られていないが、この町は半島随一の“トンネルの街”でもある。 西海岸の急峻で複雑な地形を縫う数多くのトンネルが建設され、人々の暮らしを支えてきた。 その一部を右図に示した。 西海岸では明治34年竣功の良(めら)隧道をはじめ、幹線道路沿いに多くの隧道が建設され、子浦から仲木にかけての車道は昭和12年までに開通している。 これらはいずれも車1台分の小さな隧道であったが、通行量も多くはなく、さほど困るということもなかったようだ。 しかし、戦後次第に半島北部の交通事情が改善すると、南伊豆まで足を伸ばす観光客も増加しはじめる。 昭和39年、石廊崎を貫く主要地方道「下田石室松崎線」(現在と名称が異なる)が開通。さらに同47年には、念願の伊豆循環道路最後のピースである「南

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 逆河内支線

    ※このレポートは、「廃線レポート 千頭森林鉄道 千頭堰堤~大樽沢」の続きになります。 ※千頭森林鉄道全体については、【こちら】にまとめています(執筆途中)。 逆河内 読みは、サカサコウチ なんでこんな名前なんだ? どうしても「真っ逆さま」というという言葉を連想してしまって、良い印象がないんだが。 それにここは、一部で有名な“あの橋”のある谷だろ…。 ともかく、この逆河内は寸又川最大の支流であり、河内には谷という意味があるせいで、地図でも「~川」とか「~沢」は付いていない。そのまま逆河内という。 そしてこの逆河内に沿って、千頭森林鉄道の支線が存在した。そのまま、逆河内支線である。 線との分岐地点は大樽沢(おおたるさわ)だが、ここからして既に最奥集落の大間(寸又峡温泉)から軌道跡を14.1kmもさかのぼった地点である。この探索の模様は、「廃線レポート千頭森鉄 千頭堰堤~大樽沢」をご覧頂きたい

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 白湯山林道(森林軌道) 

    【周辺図(マピオン)】 那須塩原市の北部、那珂川源流の那須山地一帯には、いくつかの森林鉄道が存在した。 今回紹介する白湯山(はくとうさん)林道は、近世に山岳信仰の対象となっていた奥那須の白湯山から流れ出る湯川と、大川に挟まれた山林(図中では左上の僅かな面積だが、実際はこの背後に広大な山林がある)通称“七千町歩”からの伐木運材を目的に開削された、全長12kmの路線である。 ただし、この全線に軌道が敷かれていた訳ではないようだ。 昭和8年版の地形図でも、軌道が描かれている部分(矢沢より北側)と里道として描かれている部分(矢沢より南側)があるが、『黒磯市史』によると、白湯山林道は起点「谷地田原」から「地蔵平」までの4kmは牛馬道として、「地蔵平」から終点「七千町歩」までの8kmは軌道として、昭和6年に開通したというのである。 また、この林道を計画し建設したのも営林署ではなく、七千町歩の伐採権を

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 小湊鉄道線旧線 上総久保~高滝

    【周辺図(マピオン)】 小湊鉄道が営業する小湊鉄道線は、千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ、全長39.1km全線単線非電化の鉄道だ。 関東近郊の代表的なローカル線として有名な存在だが、上総久保駅と高滝駅の間に短い旧線が存在することは、あまり知られていない。 この線路変更については、なぜか『鉄道廃線跡を歩く8』巻末の「全国線路変更区間一覧」にも記載が無く、そのために線路変更の時期や事由など不明点も多いのだが、北から南に向かって現地の旧線跡を紹介していこう。 この探索は、情報提供者である「湯島のとも」氏および「R28」氏が同行案内してくださいました。ありがとうございました。 2008/3/15 15:07 《現在地》 市原市久保にある上総久保駅を南に出た線路は、小高い丘の裾を左カーブで回り込み、田んぼの中の長い直線に入る。 そして直線の先は細長い丘があり、これを右カ

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 外房線旧線 久保隧道

    平成21年1月に2146氏から頂戴した情報によると… 外房線の浪花~御宿間に、現在線のトンネルと平行する形で使用されていないトンネルがあります。複線化の未成トンネルなのか、旧トンネルなのか…。御宿側抗口は車窓や付近の陸橋やからよく見えるのですが、浪花側は現在線が切り通し区間であるため貫通しているかは確認できませんでした。 とのことである。 ネット上にはこれといった情報が無さそうだったので、外房探索の途中に寄り道してみたのがこの記録である。 2146さま、ありがとうございましたm(_ _)m 【広域地図(マピオン)】 情報では「外房線の浪花~御宿間」のトンネルということだけだったが、地図を見るとこの駅間にはトンネルはひとつしか無く、場所の特定に苦労はしなかった。 ちょうどそこは御宿町といすみ市の境で、外房線は国道128号とその旧道の間を切り通しとトンネルで通過しているようだ。 旧国道からト

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。 右図に赤く示したラインが、それである。 地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。 もう一度地図を見て貰いたい。 この場所は、川根町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。 寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。 この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。 その過程で、名前も何度も変わってきた。 編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見

  • 廃道レポート 鋸山の元名石切道

    鋸 山 (のこぎりやま)  [位置[マピオン]] 鋸南(きょなん)町と富津市の境にそびえる山。標高329m。南房総国定公園のうち。第三紀三浦層の砂質凝灰岩が刻まれて、稜線が鋸の刃のようになっていることに山名は由来する。また安房・上総両国を限る山であるところから「限の山」ともいわれている。山頂は昔から東京湾に出入りする船の目印とされてきた。鋸南町側の中腹には僧行基創建(養老7年)の日寺がある。(中略)山頂の十州一覧台の眺望は、東京湾・三浦湾・箱根・富士・関東平野を遠望できる。 山麓の北側には凝灰岩の石切場がある。この石は房州石・金谷石・元名石などと呼ばれ、建築用石材として江戸期から採掘され、明治期には横浜港建設などに30数万が採掘された。明治後期から大正期にかけてが最盛期で、大谷石が出回るようになると次第に衰退、現在の採掘量はわずかである。 浜金谷カラロープウェーが通じ、様々な観光施設が

  • 廃道レポート 栃木県道369号黒磯田島線 深山隧道旧道

    ※このレポートは、「廃線レポート 白湯山林道(森林鉄道)」の続編となります。 【周辺地図(マピオン)】 栃木県道369号黒磯田島線は、栃木県那須塩原市の黒磯と福島県南会津町の田島を結ぶ、全長57kmあまりの路線で、県道指定は平成8年で比較的最近だ。 だが、県境の男鹿峠は10年以上も不通のまま廃道化が進行しており、路線名も全うされているとはいえない。 とはいえ、今回この路線で取り上げるのは男鹿峠の廃道区間ではなく(探索は済んでおり、今年4月頃に発売を予定している「廃道をゆく3」に収録予定)、黒磯側から男鹿峠に向かう途中にある、旧道の廃道だ。 木の俣地蔵がある東一帯の平坦部を「地蔵平」と呼んでいるが、その背後には標高788mの尖った山があり、北側の斜面は那珂川に大きく迫り出し絶壁を作っている。 そしてこの難所に“良い道”を通すべく、これまで数回の試行錯誤…路線の付け替えが行われてきた。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区

    福島県道53号「会津高田柳津線」は、会津盆地の西南端に位置する歴史ある商都高田と、奥会津の玄関口に位置する寺と温泉のまち柳津を結ぶ、全長20kmの主要地方道である。 起点と終点付近以外は会津山地の山中を通る山岳路線であり、赤留(あかる)峠と市野峠という2つの峠が控えている。 また、柳津と高田を結ぶ交通量自体あまり多くないことから、比較的閑散路線といえる。 とはいえ現役の県道であり、この程度の縮尺の地図では特に“異変”に気づくと言うこともない。 というか、ドライバー的には全くそれで問題がない。 あなたが普通に道路標識に従って車を走らせていれば、ちゃんとこの県道は高田から柳津、或いはその逆へ移動させてくれる。 問題ない。 だが、縮尺の大きな道路地図(左画像は「スーパーマップルデジタル11」)で、この赤留峠と市野峠の間に挟まっている谷…二岐(ふたまた)地区を見てみると、小さな“異変”に気

  • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道37号南アルプス公園線 角瀬トンネル旧道

    右の地図は、山梨県南巨摩郡早川町の役場がある高住(こうじゅう)地区。 といっても、この地図だけでどこだか分かるという人は、ほとんどいないと思う。 それこそ地元の人か、あとは南アルプスの山々をこよなく愛する人くらいしか…。 大きな地図で見ると、このあたりだ。→【広域(マピオン)】 この早川町というのは、四方を広義の南アルプス山脈、狭義でいえば白根山脈、巨摩山地(櫛形山系)、身延山地に囲まれており、大きな峠を越えずにここへ行く道は一しかないという、日中でも稀な厳しい立地にある自治体だ。 こうした交通の不便ゆえか、或いはもともと山梨県内で最も広大な町域を有していたせいなのか、日一人口の少ない「町」(平成22年12月1日現在人口1228人。平成17年当時日で9番目(州で4番目)に低い人口密度)でありながら、平成の大合併にも呑まずに存続している。 とまあ、早川町を手っ取り早く語るのには、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋

    今回は国道113号の旧道をまたひとつ紹介する。 国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市と日海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。 その性格上山がちな路線であるが、なかでも2000m級の飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた荒川地峡(荒川渓谷沿い)を通る、山形県小国町から新潟県関川村にかけての区間は最大の難所である。 と同時に、小国町や関川村にとってはこれが唯一外界へと通じる路線になっていることから、この区間は3桁国道でありながら国交省直轄区間になっている。 これまで当サイトや「日の廃道」でも、この区間にある旧道や廃道をいくつか紹介してきた。 その代表的な物は宇津峠や八ツ口旧道、そして片洞門(日の廃道)である。 今回紹介する旧道は、位置的には片洞門と八ツ口の間にある。 その旧道としての規模は小さいが、かなり印象深い 特異な景観 がある。 2010/10/18 7:11 【現在

  • 【山さ行がねが】道路レポート 十二ノ森公園の謎の道

    ちょっと右の地図をみておくれ。 愛用している「スーパーマップルデジタル ver.11」の画像なんだが、中央付近の山の中に、この場所には似つかわしくない注記がある。 「野球場」「並木公園」「十二ノ森公園」の3つだが、下地の等高線はかなり険しく描かれており、2つの公園についてはともかく野球場というのは流石にこんな場所に作れるだろうか? 麓の道からは140mくらい高いところだぞ。 それに、いくら縮尺を上げてみても、この3つの場所に行くような道は現れない。 もしかして廃公園とか、そういうのか? 何となく気になったので、行ってみた。 <この場所について> ここは群馬県利根郡片品村の北部に位置する戸倉地区【周辺地図(マピオン)】で、沼田と会津を結ぶ街道の宿場としてひらけた場所で、現在は尾瀬の玄関口として知られている。 2010/8/23 14:39 《現在地》 私がここに行ったのは8月末の平日だが、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区

    【周辺地図(マピオン)】 利根川の源流は群馬県みなかみ町にあるが、この流沿いの最も上流に位置する集落が大芦だ。 一帯は関東の電力需要を支える大電源地帯で、利根川の流支流を問わず幾つものダムが建造されており、集落のすぐ上流に須田貝(すだがい)ダムが、下流には藤原ダムが控えている。 右の地図を見て貰いたい。 ここを通過する県道63号水上片品線は、須田貝ダムの脇を小さな峠で乗り越しているのだが、その下に一のトンネルが描かれている。 一見すると峠を迂回する新道のように見えるのだが、この道、最新の地形図では別の描かれ方をしている。 敢えて左の地図中にはなにも書き加えなかったが、上の地図と比較して貰えば、どこに“トンネルがあるべきか”分かるだろう。 … …… ……… そう。 地形図にはトンネルは描かれていない。 「これは何かあるな。」 トンネルの消失という事態に強烈な廃の香りを感じ取った私は、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 外沢地区

    今回紹介するのは国道148号の旧道で、特に長野県小谷村下寺から同村中土(なかつち)地区までである。 ここは小谷村の幹線道路である国道148号が、もっとも大きく付け替えられている地区であり、外沢(そとざわ)という踏破のし甲斐がある難所を含んでいる。 なおここは、以前レポートした「国道148号旧道 下寺地区」の南側に繋がる区間であり、同日に連続して探索している。 今回は「序」ということで、歴代の地形図でルートの変遷を追いかけてみよう。 別にこの行程を経なくても旧道の存在は現地で明らかなのだが、小谷村が経験してきた自然災害の歴史と、それに伴う壮絶な路線付け替えの様子を、予め知っていただきたいのである。 まず最初にお見せするのは、現在の地形図だ。 「道の駅小谷(おたり)」がある北小谷下寺地区で、新旧の国道は並走している。 そしてここから姫川沿いを南下して、中小谷の中土地区に至るまで、外沢北側の一部

  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線旧道 兎峰橋

    日原(にっぱら)は、東京都の西の端に位置する奥多摩町の北西部、多摩川の支流である日原川上流の一帯である。 ここにある鍾乳洞は有名だが、オブローダーの世界でもその名は少しばかり知られている。 日原地区への出入りは、今日なおただ一の都道「日原鍾乳洞線」による他ないという“陸の孤島ぶり”で、近世以来のこの道の変遷が、そのままオブローディングの対象となるのである。 右図では中でも一番メジャーで新しい「旧都道」のみを赤く示しているが、実際に明治以降に使われていた道は、下図の通り多くの世代が存在する。 これら「日原旧道群」の探索は、私が東京に移住してきた平成19年に集中的に行ったこともあり、一通りは終えているという認識だ。 当サイトでも、以下のようなレポートを公開してきた。 これらの探索のあと、しばらく日原の土を踏むことはなかったのだが、年(平成22年)の春頃になってふと、やり残してきた(未踏破が

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 福島歩危

    福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。 郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。 「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載 これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。 この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。 東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。 そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。 これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性に

  • 【山さ行がねが】道路レポート 寸又峡の旧遊歩道

    飛 龍 橋。 全長72m、高さ69m。上路スパンドレルブレーストアーチ。 奥黒法師から流れ出る大間川の深谷を跨ぐ、現役の道路橋で、架設された昭和32年当時はここを千頭森林鉄道が通っていたが、同44年に車道橋へと改築された経緯を持つ。これは土木学会により権威ある「歴史的鋼橋」にも認定された名橋であり、寸又峡を代表する観光名所ともなっている。 しかし、この橋は今回の主役ではない。 夢の吊橋。 全長90m、高さ8m。吊り橋。 この橋は飛龍橋の500mほど下流、寸又川との合流地点にある「大間堰堤(ダム)」に架かる、人道用の吊り橋で、これまた寸又峡の代表的観光名所である。 もちろん、今回の主役ではない。

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第153回 国道148号旧道 山之坊橋 

    申し訳ないが、今回の物件についてはお手上げだ。 これからご覧頂く橋。 一見ただの旧橋なんだが、どうにも理解できない部分がある。 とりあえず手元の資料にあたっても、謎は全く解けていない。 当なら、自分なりに答えを見つけてから発表したかったが、ちょっと無理っぽい。 皆様のご高察を賜りたい。 助けてくれ。 で、問題の橋はここにある(→)。 姫川沿いを通る国道148号の旧道。 対岸は長野県小谷村だが、ここは新潟県糸魚川市である。 そして、橋の名前は「山之坊橋」という。 この探索は行きずりで、北から南へと進められた。 2010/5/18 11:05 現道と旧道の分岐地点。 背景の大きな山は、海抜1518mの一難場山か。 左には姫川の広い谷が口を空けている。 姫川温泉で知られる平岩の集落も遠くに見えてきた。 簡単なバリケードで塞がれている旧道に入る。 私にとっては呼吸するに等しい行動だが、そうでなく

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-153>誰か教えて! この構造の意味を
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第152回 山形県道279号荒谷原崎線 旧道 

    山形県内陸部には山形盆地という日有数の大きな内陸性盆地が広がっており、これを書いている7月から8月頃にかけては日有数の酷暑の地となる。 そして東北の例に漏れず、冬は豪雪に閉ざされる。 これだけを見れば決して住み良さそうではないのだが、住めば都ということか、山形盆地こそが数十万人が住まう山形県の中心的な生活圏である。 そんな山形盆地のほぼ中央部にあって交通の枢要を押さえているのが、サクランボや将棋の駒の産地として名高い天童市である。 ここは盆地を南北に貫く羽州街道から、東へ関山峠越えの関山街道が別れており、近世から近代そして現代と、常に人の流れが絶えない。 羽州街道とは現代の国道13号であり、関山街道とは国道48号のことである。 だが、そんな交通の要所であっても、当然のようにそれとは機能を異にし、もっと言えばごくごく地元の人ばかりが使うような道もある。 それは当たり前のことであるが、時に

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-152>心に沁みる、山裾の旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第151回 富山県道187号荒屋敷月岡町線 

    なんの脈絡もなく、マイナーな県道を紹介する。 富山県道187号「荒屋敷月岡町線」は、富山市(旧大山町)内の山と平野を結ぶ、幾つもある行き止まりの県道のひとつである。 全長は約12kmで、道中にはこれと言って大きな集落も、観光名所になるようなものもない。 それを敢えて紹介するのであるが、きっかけは読者さんから寄せられた情報である。 「気になる道がある」らしいので、さほどアクセスの難しいような場所でもないし、通りがかりに寄ってみたのが今回のレポートだ。 …気軽にね。 情報があったのは、この道の終点側に近い下渕地区である。 そこまで行くのも、この県道187号に拠った。 神通川支流の黒川に沿って一だけ奥まで通じているのがこの県道で、現在のところ他に乗用車でアプローチ出来るようなルートは無い。 なお、途中は見ての通り、何の変哲もない2車線舗装路である。 むしろ、交通量の割には良く整備されている印象

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-151>行き止まりの県道の力尽きた新道