皆さんこんにちは。 コンプライアンスが声高に叫ばれ、全国で暴力団排除条例が制定されるようになって久しく、今では政治とヤクザなどの暴力組織が、堂々と政治のプレイヤーとなることは、考えられない時代になりました。 しかし一昔前までは、地元のヤクザの親分さんが地方議員になっている例など枚挙にいとまがなく、国政の場でも1987(昭和62)年、当時自民党総裁の有力候補だった竹下登元首相が、自身を激しく非難する右翼の街宣活動を止めるため、広域暴力団稲川会に仲介を依頼した皇民党事件など、政治と暴力組織は強い結びつきを持ち、その事実は広く一般にも認知されていたのです。 この近代日本政治と暴力の結びつきは、実は議会政治の発展とともに強まっていきました。 言論の府である議会と暴力という、一見相反するものがどのように強く結びついていったのか、今回は幕末から男子普通選挙が行われる1920年代までの状況をご紹介します