ブックマーク / kame710.hatenablog.com (10)

  • 2017.2.28 宇宙無双日 乾坤只一人 - カメキチの目

    カメキチの目 禅語です。 宇宙無双日 乾坤只一人 (うちゅうにそうじつなく けんこんただいちにん) 口にするだけで心が宇宙に向かってひろがり、日々の悩みがごく小さく感じられ、そのうち泡となって消えてしまいそう。 もちろん、それは「錯覚」というものです。禅語は魔法の呪文ではありません。 でも、となえてみる価値はありそう。 それに、何か気づくことあれば「もうけもの」。 禅の言葉はたいてい漢字ですが、禅語に接すると私は漢字のよさを実感します。 音読みすれば、なんか自分がエラくなったような気分になります(その断言した表現、スパっとした語感が気もちいい)。また、声に出す(音読)と体にいいらしい。 宇宙が無限に広大だとはいえ、お日さま(太陽)は二つとない。 同じように、世界(いや、宇宙)広しといえども、「私」はわたし。ひとりしかいない。 ということは、私は太陽なのだ。 地球上(地球外も)の生き物(無生

    2017.2.28 宇宙無双日 乾坤只一人 - カメキチの目
  • 2017.9.7 つれづれの記⑨ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [暮らしと人びと②] ・水 いくらでも裏山から引けた。 ビニールパイプなど便利な材料はまだなく、竹が使われていた。また、どこの家にもそれほど深くない井戸もあった。 水洗蛇口などというハイカラなものはなかったので、いったん桶に水をためて使ったのかな。 チョロチョロ…。引いた水は絶えることなく流れている。 井戸水を釣瓶(のちに手押しポンプ)でバケツに汲み、なんども風呂の釜まで往復したことを、そのときは少年になっていたのでよく覚えている。 こんな自然がうみだす水(ということは誰のものでもある。欲しいときは誰も使える)を、ある企業が買い占める。水の湧きだす土地を買い占める。 その水を「どこそこの天然水」としてペットボトルに詰めこんで、誰もが手軽に安い値段で買えるような商いをするまでは許せても(これとて許せられないか)、 たとえば(海外の大ガネ持ち。国内でも《自分はカネがなく

    2017.9.7 つれづれの記⑨ - カメキチの目
    yamato-mitsumoto
    yamato-mitsumoto 2017/09/09
    カメさんいつもありがとうございます。
  • 2017.7.1 『人間臨終考』① - カメキチの目

    カメキチの目 森達也さんという人のお名前だけは聞き、聞いたきっかけの印象がよかったので、いつかこの人の作品(映画とか)に接したかった。 最近、その方の『人間臨終考』という、人の死にざまを書いたを読んだ。おもしろくて笑った。 このは、石川五右衛門から始まり、ブッダやガガーリン、ノーベル、キュリー夫人、坂竜馬、はたまた文化大革命の江青(毛首席の婦人)など世界の有名人が、彼らが生きていたときのエピソード(だいたいは史実といわれているもの)から、死ぬときはおそらくこんなことを思い、こんな状況だったのではないかと著者が想像を逞しくして書いたものだ。 いわゆるパロディ。まちがっても伝記を期待してはいけない。 そんな歴史に残る有名人が、スマホやネットなど科学技術が発達した現代日に、(現代の日でなく、それぞれが活躍した時代・国の場合もあります)タイムトンネルに乗ったかのように時間をこえて登場す

    2017.7.1 『人間臨終考』① - カメキチの目
    yamato-mitsumoto
    yamato-mitsumoto 2017/07/04
    いつもありがとうございます。かめさん今日記事をお借りしました。良かったですか?発達障害の記事です。事後報告ですが、NGなら仰って下さい。スミマセン。
  • 2017.5.25 無一物中無尽蔵… - カメキチの目

    カメキチの目 サラリと心を変え、きょうは禅語。 無一物中無尽蔵 花有り月有り桜台有り (むいちぶつちゅうむじんぞう はなありつきありろうだいあり) 蘇東坡という中国の北宋時代の詩人の詩の一節だから、正確には禅の言葉とはいえないかもしれないです。 なにもない中に、尽くせぬほどある。 なんにもないと思っていても、なんにもないモノやコトの内に限りないほどいっぱいあるのじゃないか。 逆に、あふれるほどあっても(あると思っていても)じつは、中は乏しいのじゃないか。 ちょっと、「断捨離」に通じるところもありそうです。 来は、心や精神における「空即是色、色即是空」みたいな仏の教えと似ているけれど、また違ったところから人生の真実を照らした言葉のように思える。 前に「偶有性」ということを書いたが、これにも通じるところがありそうだと思った。 「自分なんて…」と自らの存在価値を否定したくなったとき、世界のすば

    2017.5.25 無一物中無尽蔵… - カメキチの目
  • 2017.5.11 「偶有性」④ - カメキチの目

    カメキチの目 先に「他でもあり得た」といったけれど、 それは自分が自分であった必然性はないということだと茂木さんは述べていた。 彼(彼女)とめぐり会っていなく、他の彼(彼女)といっしょになっていたかもしれない。あの学校に行っていなくこっちの学校へ、この会社に就職していず、あっちの会社にいっていたかもわからない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その際、私が他の誰かでもあり得たとき、その誰かと私は、同じように人として尊重されなければならない。 彼(彼女)と私は「等価」なのである。対等である。 つまり、「もし私がAさんだったなら…」 Aさんの気持ち、立場をていねいに想わなければいけないということだろう。 茂木さんは書いている。 「…このような仮想の背景にあるのは、他人にも自分と同じようにうち震える意識があるという前提である。『今、ここ』に自分がいるという逃れようのない思い。

    2017.5.11 「偶有性」④ - カメキチの目
  • 2017.2.6  拈華微笑 - カメキチの目

    カメキチの目 きょうは禅語です。 拈 華 微 笑 ねんげ みしょう 「拈」は「つまむ」。つまり、花をつまんでほほえむということ。 観音さまが「モナリザの微笑み」をたたえ、一輪の花をつまんでおられるよう。 「心」とは人の内面そのものだろうから、いつも喜び、怒り、悲しみ…などのようにハッキリとしたものばかりではない。 混沌とした、ボヤーっとした、あいまいな、いろんな感情が混じりあった複雑な状態のときが多いと思う。 そんなときは、 ムリにはっきりとさせない。文字や言葉など形あるものとして具体的にまとめようとしない。 のがいいと思う。 ムリに括ろうとすると、必ずこぼれ落ちるものが出る。 言葉で言い表しがたいときは、 たったひとつ。顔の表情だけでよい。 ここにブログの最大の「欠点」、「限界」を感じる。 直接対面できず、ビミョウな思い、感情をお伝えできないとき。 (なんて、自分の言葉、文章の力不足を棚

    2017.2.6  拈華微笑 - カメキチの目
  • 2017.1. 16 寿命…①ナマコ - カメキチの目

    カメキチの目 前に(きょ年9月の半ばから11月の初めまで)『いのちをつくってもいいですか?』という私にはあまりに衝撃的だったのことを長々と書いた。 後日、ツレに「しつこいね」というクレームをつけられたので、こんどはしつこくならないように書くつもりだが、また、みなさんに「ねぇー、ねぇー…」と言いたくなるに出あった。 それは川達雄さんという生物学者の新書(一般向け)で、『人間にとって寿命とはなにか』という。 川さんの研究相手は、ナマコ(海鼠)。 だれもが「知ろう!」「調べよう!」とは思わないような生き物に生涯の研究生活をかけられた。 いまはリタイアし、ヒマもできたので、長い「ナマコ研究人生」で学んだことを著作や講演で、「生物多様性」を守ることが遠回りであっても自分の人生をたいせつにすることになるのだと啓蒙活動を続けておられる。 尾頭(おがしら)の 心もとなき 海鼠かな 去来 いきながら

    2017.1. 16 寿命…①ナマコ - カメキチの目
  • 2017.1.13 1月11日 - カメキチの目

    カメキチの目 1月11日 夕べのニュース。ふたつのことを書いておこうと、思った。 一つは、北米自動車ショー。 陰の主役はトランプ次期大統領だとメディアは言っていた。 確かに! 彼を「主役」に仕立て上げているのは自分たちメディアだということはわかっているでしょうに。 彼を「悪役」にした『大統領選』という名の下品なドラマ仕立てを選挙前からいくつも流し(それがたくさんの視聴者を集め、ということはたくさん稼いで)、役者トランプは、それをうまく利用することで(すなわち彼らメディアのずっと上を行き)ホントに大統領になってしまった。…「こんなはずじゃなかった!」といまごろ後悔しても始まらない。 私もドラマ(とくにサスペンス。刑事もの)は大好きだけど、あんなはしたないストーリーは初めてだ。 新春特別『相棒』の録画していたのを観た。 右京さんが言った最後の一言(間違っていたらゴメンなさい)が忘れられない。「

    2017.1.13 1月11日 - カメキチの目
  • 2016.12.13 格差 - カメキチの目

    カメキチの目 「格差」ということがいつも気になり、それを想うだけで不快、イヤ~な気分になる。 ちなみに、ネット検索し、ウィキペディアで調べました。 「格差(かくさ)とは、同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、 レベル)などの差や違いである。また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用い られる語であり、貧富の差(経済格差)などを意味しても用いられる」 同類でも、たとえば人の「個性」のように、自然の状態では程度の違いがあるだろうが、こういう違いに「格差」があるとはいわない。 ふつうは、貧富の差(経済格差)としてよく使われている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 原始の時代、人類が登場してからしばらくの間(とはいっても、古代文明から現代文明までの時間より、ずっとずっと気の遠くなるほど多い時間)は平等だった。 けれど、貧富の差は普遍的といえ

    2016.12.13 格差 - カメキチの目
  • 2016.9・16 心配してもしかたない? 未来のこと①   - カメキチの目

    カメキチの目 私の頭は単純だからか、AI人工知能)が普及すれば、人間社会の未来はロボットが支配するなにもロボットが人間に向かってえらそうに「…せよ!」と命令しているわけではありません。AIやロボットの飛躍的な発展に、人間の方がついていけず、ウロウロ…迷っているのです。たとえば火星人の目にはAIが組み込まれた機械に人間が振り回されているように見える という方向に進み、ブルーな気もちになってしまう。 いけない、いけない! トンボの目でみなくてはならない。カメキチの目ではダメだ。「ゆっくり」も必要だが、すばっしこくてモノゴトのいろんな面を映すトンボの目が現代には求められている。 少なくとも、±両面をつぶさにみなければならない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この前、テレビのニュース。 「農家では人手が足りず困っています。見てください。と、キャスター

    2016.9・16 心配してもしかたない? 未来のこと①   - カメキチの目
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