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いまだに私は「社会福祉の常識」がわからないので困っている。何歳になっても私にとっては名古屋弁が母語であるように、社会福祉よりも文化人類学のほうが認知的な母語になってしまうのかもしれない。 いま少し困っているのは、「実践」という言葉の意味である。文化人類学や社会学では「実践」の指す2つのニュアンスが区別されてきたが、社会福祉で「実践」が語られるとき、どちらを指すのだろう?と戸惑うのだ。 実践とプラクティス 2つのニュアンスのうちのひとつは、古代ギリシャのプラークシス(praxis)に由来する「より自覚的な決断と反省的思考をそなえた実践の営み」で、日本語の「実践」はこのニュアンスであることが多い[田辺2003:12]。 もうひとつは「慣習的行動」、「我々の生活における、基本的に反復し、慣習化された側面を強調している概念」[福島2022(2010):148]で、しばしば「プラクティス」と表
國分功一郎の『中動態の世界』(医学書院、2017年)は比較的よく知られた哲学書であると思う(いつかの紀伊国屋じんぶん大賞になったはずだ)。この本の目標のひとつは言語への反省を通じて「行為」概念を捉え直すことであり、そこでは古代ギリシア語やラテン語をめぐる「考古学的」議論などが展開される。とはいえ――今から述べるように――本書のそもそもの動機は相当に実践的である。 この本の探究の動機のひとつはプロローグで語られるのだが、そこでは依存症をめぐる次のような対話が紹介されている。 「しっかりとした意志をもって、努力して、『もう二度とクスリはやらないようにする』って思っているとやめられない」 ――そこがとても理解が難しいです。アルコールをやめる、クスリをやめるというのは、やはり自分がそれをやめるってことだから、やめようと思わないとダメなんじゃないですか? 「本人がやめたいって気持ちをもつことは大切だ
世界と他者と自分はどういう順番で生まれたものだと言えるだろうか?動物(としての人間)が世界を理解する枠組みは、進化的な合理性から脳内に生まれ・育ってきた計算過程として理解されるべきだと思う。この観点から、他者や自己の主体性について、これまでに考えてきたことを説明してみたい。長らく温めていながら、これまでうまく言えずにいたことが、ようやくうまく整理されて言えるようになった気がするの。(なお、心理学・哲学・神経科学・人工知能・ロボット、そこらへんの話題です。ビジネスとか心理療法とかの話ではありません。) 主体性を英語で agency と呼ぶ。主体性を持つような対象を agent と呼び、単なる object と区別する。 agent = object + agency強化学習するロボットなどを人工 agent と呼んだりするのを想定してよい。 (agent を代理人、agency を代理店と翻
2003年7月 7月11日 amazonでスペルベル&ウィルソン『関連性理論』(研究社出版)[bk1、amazon] の関連書として紹介されていた石崎雅人・伝康晴『言語と計算 3 談話と対話』(東京大学 出版会)[bk1、amazon] を図書館から借りて読み、驚倒。主たるテーマは語用論への計算論的接近だが、ブラットマン『意図と行為 合理性、 計画、実践的推論』(産業図書)[bk1、amazon] の行為の意図理論、更にその後のFaces of Intention: Selected Essays on Intention and Agency, Cambridge U. P.[amazon] 収録の論文における共同行為・共有意図理論までもがきっちりフォーマライズされて取り込まれている。あわてて「人工知能」「マルチエージェント」関連の文 献をいくつか借り込んでくる。 しかし前々から思ってた
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