UNIQLO CALENDARは、ユニクロが独自の視点で季節を切り取った映像、音楽、ユニクロの商品画像の3つから構成され、サイトおよびブログパーツで利用できる。 カレンダーに郵便番号などを登録すると、特定地域の天気情報が表示される。サイト上の映像をクリックすると、その月に展開しているユニクロ商品画像で構成されるフォトモザイクに切り替わり、季節に応じたユニクロの服を見ることができる。 ユニクロはUNIQLO CALENDARの初回公開に当たって、東京、神奈川、京都、兵庫、静岡、徳島、沖縄の7都市、計32カ所のロケ地で映像を撮影した。ティルト&シフトレンズを用いた撮影技法を行い、ミニチュア風の映像に仕立てている。 音楽は、UNIQLOCKを担当してきた「Fantastic Plastic Machine」とサキソフォン奏者清水靖晃氏によるオリジナル楽曲が使用されている。今後はスクリーンセーバー
最近ネットでちょっと話題の「確かに読めてしまう」コピペ。これは面白い。 <こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ? ちんゃと よためら はのんう よしろく> というのがコピペの内容で、「人間は文字を認識するとき、その最初と最後の文字さえ合っていれば、順番はメチャクチャでもちゃんと読める」ということを、まさに証明する内容になっている。 この話題は、英文では以前見かけたことがあり、エントリにも書
「外国人排斥を許さない6・13緊急行動」への賛同人が、一週間足らずで670人を突破しました!今みたいに荒らしや嫌がらせが横行している中では、よくて200人くらいかと思っていたのにです。私は単にネット上で勝手に応援しているだけのヘタレですが、それでもとても嬉しいです。さて、以下に掲載するのは4年ちょっと前に公開した文章ですが、今回の問題に関する私の基本的な考えが表現されていると思いますので、再掲としてトップにあげておきます。拙い意見ですが、同集会への参加・賛同を考えておられる方や迷っておられる方のご参考にでもなれば幸いです。 昔々あるところに部落差別問題に非常に熱心な、あるお坊様がおったそうな。この坊様は常日頃から「差別はいかん」と熱心に説き、部落にも入ってボランティアのようなこともするし、解放同盟にも協力的、辻説法に立っては口角泡を飛ばしては熱心に差別を糾弾しておりましたとさ。 さてある日
(6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を
2009年06月12日00:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech LET IT BE OR NOT - 書評 - スーパーサイエンスハイスクール講義 培風館北村様より献本御礼。 スーパーサイエンスハイスクール講義 堀越正美 タイトルどおり、スーパーサイエンティストである著者が高校生に向けて科学を語った書であるが、中学生でも読め、そしてサイエンティストを含めた大人でも得るところの大きい一般書。むしろ科学が苦手な人の方が楽しめるかもしれない。 本書「スーパーサイエンスハイスクール講義」は、第一級の生物学者であると同時に、第一級の生物学者を数多く育ててきた著者が、自らの専門である生物学に留まらず、科学全般の魅力を高校生に対して語った一冊。 目次 スーパーサイエンスハイスクール講義より PROLOGUE/流れに枕す 1 自然科学とは? 1−1 自然科学とは? 1−2 自然科学の目的とは?
ちょうせんご(朝鮮語)の ほんやくを していると、ときどき ざいにち・ちょうせんじんから 「いいもの よませて くれて ありがとう」などと おれいの ことばを もらうときが ある。 そんなとき、うれしい きもちが ないではないけど、その いっぽうで こころぐるしいような もうしわけないような きもちにも なる。 なぜ ざいにち・ちょうせんじんが ちょうせんごの ほんを そのまま よめないのか。そして、にほんじんによって にほんごに ほんやくされた ものを よまなきゃ いけないのか。 それは にほんじんが ざいにち・ちょうせんじんから ちょうせんごを うばって にほんごを おしつけて いるからだ。 * わたしが ちょうせんごを まなぶことが できたのは、ちょうせんじんが ちのにじむ どりょくを し、あるときは もじどおり いのちがけで、にほん・ていこくしゅぎ(日本帝国主義)から ちょうせんご
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