府立京都第二高等女学校(高女)の卒業写真。左が姉(大正9(1920)年撮影)、右が妹(昭和6(1931)年頃)。着物がセーラー服になったことがわかる 「高等女学校」は、1948(昭和23)年まであった女子中等教育の学校で、「高女」と略される。京都市内には、1942(昭和17)年4月当時、公立7校・私立10校があったことがわかっている。小学校を卒業後、4~5年一貫制で現在の中学1年生~高校1・2年に相当する。倍率は2~4倍と高く(当時は入学に必要な学力が足りない生徒には先生が受験をさせなかったという)、ごく限られた人しか通うことができなかった。戦後、学制の改革により、現在のような9年間の普通教育や、公立の学校での男女共学が取り入れられた。 展示では、制服の洋装化や、当時の授業についての写真や資料を展示。大正9(1920)年に平安高等女学校(現:平安女学院)が取り入れたセーラー服のレプリカも展
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