日本人の海外渡航自由化は、1964年4月1日のこと。この日に観光に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの制限付きで海外への観光旅行が可能となった。この連載では、海外渡航自由化50周年を記念して日本旅行業協会(JATA)が発表する日本の旅行業界の歩みをまとめた資料から、50年の歴史を振り返っていく(画像はJALサイトからキャプチャー)。 ▼ツアー代金は、現在のラグジュアリートラベル商品並み 写真提供:ハワイ州観光局ハワイ5日間トロリー乗り放題で6万9800円~。エイチ・アイ・エス(HIS)の2014年の初売りキャンペーン「初夢フェア」で販売されていた、ハワイ商品の一例だ。現在では1日あたり1万円~2万円台のハワイツアーなど、手を伸ばせば届く範囲の商品が流通され、海外旅行は一般的なものとなっている。 しかし、海外旅行の黎明期である1960年代は、購入でき
長男以外の人間は、結婚もできず、世間との交流すら許されず、死ぬまで家のために奴隷のごとく働かされる......。いったい、いつの時代の、どこの国の話だと思われるかもしれない。しかしこれは、日本に20世紀まで実在した「おじろく・おばさ」という風習なのである。 国土の7割が山である日本。山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。昔の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)もその一つだ。 耕地面積が少ないこの村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕がない。そのため、家に残った下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。 家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた。村祭りにも参加できず、他の村人と交際することも無か
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