2015年6月26日(米国時間)、米連邦最高裁判所は「同性婚は憲法上の権利」と認める判決を下し、サンフランシスコのカストロ地区ではそれを祝福する人々であふれた(写真:Preston Gannaway/The New York Times) 同性婚の是非が全米を巻き込んだ議論となる以前のこと。同性愛者の間では「はたして同性婚は追求すべき目標たり得るのか」という議論があった。 この議論は戦術的なもの(当時は同性婚など夢物語だと思われていたから)である一方で、哲学的なものでもあった。 「世間並み」は実現されたが 考え方のひとつは、婚姻制度を圧制的で家父長制度的、もしくは異性愛者的な規範に従ったものだととらえ、単にそこに加わるのではなく、拒否するか、または結婚のあり方そのものを根本的に変えるべきだというものだ。 もっとも、こうした女性解放論的な視点は学問の世界には残っていたが、政治的な議論ではほと
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