ブックマーク / note.com/syosin_kai (11)

  • 二大企業大激突Ⅱ!! スクウェアvs任天堂 前編|初心カイ

    0.はじめに 日の国産二大RPG、といえば「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」であることに異論がある人は少ないだろう。これは両方ともスクウェア・エニックス社のIPであるが、スクウェア・エニックス社は元々スクウェアとエニックスの二社が合併してできたものだ(若い人はピンとこないかもしれない)。 ファイナルファンタジーはスクウェア社側のIPであったが、元々任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)で誕生し、育ったIPだった。任天堂とスクウェアは初めのうちこそ蜜月といって良かったのだが、そこから関係をこじらせ、一時は出禁状態であったことが有名だ。 記事はスクウェアがどのように歴史を紡ぎ、任天堂と近づき、そして破綻させ、そして再度関係を修復させたかを解説するものである。 1.誕生 スクウェア まず、スクウェアの創業から解説しよう。徳島県に株式会社電友社という、電気工事会社があっ

    二大企業大激突Ⅱ!! スクウェアvs任天堂 前編|初心カイ
  • 【公開停止中】野球ライセンスとゲームの歴史 ―コナミへの風評は正しいか?|初心カイ

    2024/7/15 更新分 いつもお世話になっております。初心カイです。このたび、記事において重大な疑惑が起きたので、一般公開を停止いたします。 大まかな内容、野球ゲーム歴史や独占ライセンスの流れ、スクウェアとコナミの対立云々には間違いがないんですが、それはそれとして別途「コナミはギリ合法的な範囲でも、ガッツリ権利を振り回していたのではないか?」という疑惑がおきました。そのため記事の結論部に大きな齟齬が生まれることを懸念し、一般公開を停止しました。 有料記事でしたので、今までで購入して頂いた方は問題なく読めると思います。 これの真相を解こうとするとかなり難しい話となってしまうわけですが、なんとか追ってみようと思います。半端に突っ込んだ結論をいそいで出してしまったことになりました。申し訳ありません。 結論がハッキリした際、別途この記事を書き直し、公開しなおそうと思います。ご容赦くださいま

    【公開停止中】野球ライセンスとゲームの歴史 ―コナミへの風評は正しいか?|初心カイ
  • 任天堂、ピザを焼く ―とあるアメリカの文化に対する一考察―|初心カイ

    1.魅惑なるピザピザは熱ければ熱いほど、良い 初心カイ 2023年10月ゲームとピザは縁が深い。1ピース欠ければパックマンになるし(ただし欠けたピザがパックマンのヒントになった、というのは完全な創作である)、ファイナルファイトではマッドギアの攻勢に圧されボコボコになったコーディの体力を大幅に回復してくれるし、マザー2でもネスのHPを回復してくれる(しかもマッハで届けてくれる)。 そんなピザであるが、かつて任天堂がピザ屋を経営していた時期があったことをご存じだろうか? この話はすでに老舗ファミコン解説サイト「ファミコンのネタ!」内にて詳しく解説されているが、この記事では別方向の切り口で解説していくことにする。 まず、この事実に至るまでの歴史をなぞっていこう。任天堂という縦軸の歴史に対して、もう一つ横軸の歴史が必要となる。そのキーマンが、ノーラン・ブッシュネルである。 2.ブッシュネルとピザ

    任天堂、ピザを焼く ―とあるアメリカの文化に対する一考察―|初心カイ
  • 初心会ってヤクザなのか? → いや、そうではないのです ─テキヤと私たちの見えない関係─|初心カイ

    【注意】この記事は筆者の誤解と思い込みが入って一部考証がおかしなところがあります。補足版を確認ください。 0.前振り 1996年、任天堂は自身の取引先問屋集団、初心会を一度編成しました。 ゲームをあまり扱っていない取引先の問屋に抜けてもらい、ゲーム中心の組織へと新たに再編しました。とはいえゲーム戦争まっただ中の1996年の出来事ですから、これはちょっと遅すぎる構造改革で、あまり意味がありませんでした。結果、1997年の初心会解散へと繋がっていきます。 そのためあまり私はこの改革を深掘りしていないのですが、いくつかの資料でこの時、初心会の名称が「新・初心会」になった、という説や「一心会」になった、という説がちらちら見え隠れします。こうした名称の不安定さはまさしく当人たちの立場が透けて見えるようにえます。 ところでこう思いませんでしたか? なんでこう、初心会といい、一心会といい、ヤクザっぽい

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  • 判決文を読んでみよう! ─エムブレムサーガ編─|初心カイ

    0.はじめに 2001年7月、任天堂が裁判所に対してとある訴訟を起こしました。 相手先はファミ通の発売元であるエンターブレインと、有限会社ティルナノーグ。目的はとある一ゲームの販売差し止めと、賠償金支払い。そのゲームソフトの名前は「ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記」。 これが有名なエムブレムサーガ裁判の発端です。これは一部任天堂が勝訴しつつもかつ、「クリエイターが別会社で似たような作風の作品をつくっても問題がない」という判例が下ったことで有名です。ある種、ゲーム歴史のターニングポイントともいえる裁判であります。 そんな裁判でありますが、実際に判決文を読んだことがある人はどれだけいるでしょうか? あんまりいないと思います。私もようやく読みました。必死になって。大変でした。 この記事はエムブレムサーガ裁判の流れを追いつつ、どのようなやりとりがあり、具体的にどこが認められ、どこが認められ

    判決文を読んでみよう! ─エムブレムサーガ編─|初心カイ
  • 特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ

    こんな形であったりします。自社生産も委託生産も、ユーザー側からしたら「カセットの形状がちょっとだけ変わってる」くらいの意味合いしか持ちません。 しかしメーカー側には重大な違いがあります。委託生産の場合、任天堂が製造する都合、任天堂がどれだけ生産するか決めることができます。 「どうして任天堂が委託する生産量を制限する必要があるんだ?」と思われるかも知れませんが、任天堂が認定したROM工場は多くはなく、毎月百万単位のROMがその少ない工場内で振り分けられ作られていました。もし、複数のソフト会社の大作がぶつかった場合、その製造ラインのほとんどをそれらに奪われ、その他の中小への割り当てが少なくなってしまうのです。その割り当てを決める権利は任天堂にありました。 またナムコvs任天堂でも解説したとおり、任天堂への委託生産の場合は任天堂から厳しい表現チェックが入ります。直接的な残酷表現、性表現、宗教表現

    特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 前編|初心カイ

    はじめに ――3DO この言葉に反応できる者はオッサンゲーマーだろう。20代以下の若者は一度も聞いたことがないかもしれない。しかし、反応できるオッサンゲーマーでも正確に3DOがなんなのか、把握している者はさほど多くはないのではないか? 「ゲームに関わったことがない松下が、適当に出して大失敗したゲームハードだろ?」 くらいの理解でいる方が多いのではないだろうか。実はこの理解はいろいろと事実誤認を含んでいる。 実はこのハードを作るにあたって、多数のゲーマーと、ゲームゲーム業界に詳しい人らが幾人も深く深く関わっている。そもそもの規格提唱者はゲーム業界に大きな影響を及ぼしたレジェンドなのである。そして松下自身もゲーム業界に以前から深く関わっていて、さらにいうならば3DOはゲームハードではない。 この奇妙奇天烈なハードについて解説を行うにあたり少しばかり時間を頂きたい。このハードが生まれ、そして敗

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  • 絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史|初心カイ

    はじめに 桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~ が累計販売数350万を突破しました。おめでとうございます。 最新ニュースを掲載しました。 『桃鉄』と「日清焼そばU.F.O.」の異色コラボが実現! ~ 『桃鉄』 の累計販売数は350万を突破 ~https://t.co/AGox7AEIDw pic.twitter.com/8yPM7ozeRv — KONAMI 企業広報・IR (@Konami_PR_IR) March 22, 2022 この売上は驚異的なものです。日において300万以上売り上げたゲームソフトは、実は「任天堂/ポケモン関連」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「モンスターハンター」「妖怪ウォッチ」しかありません。とんでもない化け物IPたちに桃鉄が仲間入りした、ということになります(元から長年の歴史を組んだ化け物IPな気がしますが)。 さて、そんな桃鉄

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  • 任天堂の社長になってしまった男 -君島達己-|初心カイ

    2015年7月。任天堂社長、岩田聡死去。55歳。あまりに早すぎる死であった。 現役任天堂社長の死、という事態に驚いたのはゲーマーたちばかりではない。その当事者である任天堂は二ヶ月の社長空白期間をおくことになった。 その二ヶ月後、任天堂の社長になった男に、ゲーマーたちは驚いた。その男はクリエイター畑ではなく、今までマスコミに対して露出することがなかった、ほとんど無名といっていい人物だったからである。しかもゲームソフトの開発には一度たりとて携わったことはなかった。 知名度でいえばマリオの生みの親、宮茂がずば抜けて高く、次いでハード部門での責任者竹田玄洋が高かった。彼らを差し置いて会社の顔となった男は、いったい如何なる男なのか? 君島達己。 彼は元々銀行マンであった。ゲーム会社の経営とはとても無縁そうな経歴に見える。しかし彼は岩田社長や、山内元社長らの下で、任天堂の気質と娯楽産業のあり方をハイ

    任天堂の社長になってしまった男 -君島達己-|初心カイ
  • なぜ町のゲーム屋はどんどんなくなっていったのか?|初心カイ

    以前はどんな地方都市でも「町のゲーム屋」が多数存在していた。駅前には複数のファミコンショップがひしめき、休日になるとそれらに子どもたちが押し寄せ目当てのゲームを買い、中古の棚を漁り、小遣いとにらめっこしながら、友達と貸し借りの相談をしながら、長い時間を過ごしていた。 今、そんなファミコンショップは恐ろしいほどに数を減らしている。「町のゲーム屋」は絶滅危惧種となった。ゲオやツタヤがその代わりを果たすようになった……といえばいいのだが、それらも今やゲームから撤退した店舗すらある。 そういう薄ら寒い状況にあるゲーム業界の小売店だが、さて、いったいいつ、どれだけ町のゲーム屋が減っていったのかを把握している人はいるだろうか? 衝撃的なデータが存在する。メディアクリエイト(一部の人にはとても有名なゲーム関連のデータをやり取りしている会社だ)が発売している「テレビゲーム産業白書」には、「テレビゲームの小

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  • 夢、見果てたり -セガ ドリームキャストの敗北-|初心カイ

    ドリームキャスト。セガが実質最後に発売したコンシューマーゲーム機の名である。 当時No1プラットフォームであるプレイステーション、そして長年のライバルであった任天堂のニンテンドウ64。 彼らに打ち勝つべく、セガが送り出したこのコンシューマーゲーム機は、セガに致命傷を負わせ、セガが自力で立てなくなるほどの状態に陥らせた。なぜここまでのダメージを負ってしまったのだろうか。 この記事はドリームキャストでセガがやろうとしたことを読み解き、今に至るまでの歴史を解説していく。 セガサターン時代、セガは流通改革でセガ・ユナイテッドを構築したが、結果だけを見ればこれは上手くいかなかった。(前回の記事参照) 理由はSCEがそれ以上に洗練された流通網を有していたことと、複数の問屋の集合体であるセガ・ユナイテッド内部で競合が起きてしまったこととがある。 セガはドリームキャスト発売の前段階として、この流通を改革し

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