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ブックマーク / hsyf610muto.seesaa.net (7)

  • 岡崎と香川と本田への要求: 武藤文雄のサッカー講釈

    悔しいよ。とにかく悔しいよ。 私は完全に間違えていた。世界中に遠藤を見せびらかす事はできたけれども、何も嬉しくなんかないわ。冷静に考えてみれば、私の日本代表選手達が、この位やれるのは当たり前なのだ。ブラジル人の絶賛など、一切不要。こんな悔しくて悔しくて悔しくて仕方がない快感など、クソらえだ。 もちろん、来年の番を考えれば、悪くなかったよ。 ブラジル戦と異なり、「どうしようもない失点」ではなく、「几帳面さの欠如がいかに高くつくか」を体感できた。この2試合、まだまだ修正しなければならない守備面で、全く異なる失敗経験を積めたのだ。 これで世界中の国々が、相当な警戒をするのも大きなプラスだ。元々、我々はノーマークがゆえのメリットを享受はできないレベルには到達済みだったのだから。 そして、結果こそ出なかったものの、選手たちも一定以上の自信を持てたはずだ。4年前のチームは、的確に準備は進んでいたが

    yhira0202
    yhira0202 2013/06/22
    強がりかもしれないけど、イタリア相手にあんな豪快な試合が出来る我が軍が誇らしいじゃないか。プロレスでは、客を沸かせる敗者が一番上手いと言うし。
  • まだ書く事はいくらでも残っている: 武藤文雄のサッカー講釈

    名前:武藤文雄 一言:プロフィールはこちら メールはhsyf610mutoアットマークyahoo.co.jpまで Twitterはこちら

    yhira0202
    yhira0202 2011/08/03
    武藤さんにしては短い文章だけど、それだけに想いが込められている。俺も、意識が戻ってくるのを待つ。
  • 究極の贅沢に乾杯: 武藤文雄のサッカー講釈

    決勝前。 日も合衆国も、組織的な攻守が売りで、精神的にも粘り強く、攻撃に切り札を持っている。最前線のタレントの体幹の強さ、平均体重と身長、世界での優勝経験などの差から、先方の戦闘能力が上な事は間違いないけれど。 日のやり方は試合前から決まっていた。最前線からチェイシングを行い、敵の中盤から容易にパスを出させず、最終ラインで丁寧に受け渡しをして粘り強く守る。攻撃は中盤でボールを奪ってのショートカウンタ、サイドバックが上がってのサイドアタック、それにセットプレイ。無論、スカウティングによる合衆国各選手の特長、欠点に対する対応はあるにしても、チームとしてのやり方はそうは変わらない。 一方、合衆国にはいくつかの選択肢があった。そして、ドイツ戦とスウェーデン戦は、彼女達にとって、格好のスカウティング材料となった。 ドイツのやり方は、最前線から日の守備陣に徹底してプレスをかける事だった。これによ

    yhira0202
    yhira0202 2011/07/22
    帰宅中のバス車中なのに、ちょっと涙が出てきそうだ。本当に熱い、真摯な講釈に敬服する。
  • 原博実の勝利: 武藤文雄のサッカー講釈

    鮮やかな采配だった。 豪州が高いボールで攻めて来る事は予想していたが、序盤からあそこまで単純に仕掛けてくると思わなかった。なるほど、オジェク氏の判断は適切で、日のCBはキューエルとケーヒルに自由にヘディングをさせないものの、思うようにはね返せずに拾われ、苦しい試合となった。来であれば、拾ったボールを丹念にキープしてスローテンポに落としたいところだが、前線の前田も岡崎も疲労があったのだろう、好調時の動き出しの早さがなく、うまくつなげない。さらに、香川の代わりに起用された藤が経験不足を露呈、活動量も判断も物足りなく機能しない。もう1つ、逆に後方を厚くして、豪州を引き出しておいての少人数速攻に活路を見出すやり方も考えられるが、元々岡田氏時代からこのチームはそれは得意としていない。実際、アジアカップでもそのような狙いを見せたのは、準決勝韓国戦で守備を固めた時間帯だけだった。それでも、何とか今

    yhira0202
    yhira0202 2011/01/31
    原博実、最高の仕事。
  • (書評)駆けぬけた奇跡: 武藤文雄のサッカー講釈

    70年代半ば、正に彗星のように日サッカー界に突然登場し、あっという間に消えていった永大産業と言うチームがあった。書はその永大のマネージャを務めていた河口洋氏への取材を中心に、永大の太く短かった歴史をまとめたもの。 日リーグ黎明期には、東洋工業(現サンフレッチェ)、三菱(現レッズ)、古河(現ジェフ)、日立(現レイソル)、八幡製鉄(後の新日鉄、現在の継承チームなし)、ヤンマー(現セレッソ)などが中核と言える存在だった。以降、次々と振興チームが参画してくる。藤和不動産(後のフジタ、現ベルマーレ)、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)、ヤマハ(現ジュビロ)等々。永大は藤和より後、読売より前に、JSL1部に昇格した位置づけになる。 永大は74-75年シーズンに創部以降実質僅か4年半(!)でJSL1部に昇格し、そのシーズンの天皇杯で決勝進出(決勝では、第2全盛期とも言える釜を擁するヤンマー

  • (書評)股旅フットボール: 武藤文雄のサッカー講釈

    書は日の事実上の4部リーグ(日全国を9ブロックに分割した地域リーグ)に所属し、JリーグあるいはJFLを目指しているクラブを全国各地域に訪ね歩いたノンフィクション。上に上がろうとする「理想」と、財政面、強化面の苦闘と言う「現実」のギャップに悩みながらも、前に進もうとしているサッカー人たち(フロント、監督、選手、サポータなど様々な人々)の声を集めている。 さらに彼らが1つ上のカテゴリのJFLに昇格するための全国地域リーグ決勝大会のレポートが織り込まれる。筆者が指摘する過酷な戦いこの4部から3部への昇格こそが、現在、日サッカー界では最も狭き門となっている。を演ずる男達の描写は、勝者と敗者の対比を含め、非常に印象的だ。 さらに筆者は、これら地方クラブが強化されるにつれ(より優秀な選手を獲得するにつれ)、それまでチームを支えてきたアマチュア選手の場所がなくなって行く現実、昇格に向けての制度上

  • (書評)戦後欧米見聞録(近衛文麿著、中公文庫版): 武藤文雄のサッカー講釈

    文庫で約150ページの小著、今回の連休でじっくりと再読し、昨今の世界情勢にも、日サッカー界の今後にも、非常に参考になるなので採り上げたもの。 近衛文麿と言えば、1次内閣時には盧溝橋事件に始まる日中戦争の泥沼に日を引き入れ、さらに2次内閣時には仏印進駐、日独伊三国軍事同盟、日ソ中立条約を締結などにより、日米関係を決定的に悪化させ太平洋戦争を導いた首相である。書はその近衛が20代の折に、第一次大戦後のパリ講和会議に西園寺公望全権特使の秘書として帯同、その後ライン占領地域、英国、米国と外遊を重ねた際の記録である。 後年の我々から見れば、近衛は首相として考え得る最悪手を次々に行った男である。私自身、書を読む前は、軍部に引きずられた世界観のない貴族出身の政治家と思っていた。ところが書において、当時20代半ばの近衛は、第一次大戦終結時の世界観、英仏米3大国の現状と今後、労働運動と社会主義

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