2016年4月24日のブックマーク (3件)

  • 二宮忠八と「幡詞」 - 愛媛の伝承文化

    敬久。民俗学・日文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。 八幡浜出身の二宮忠八。明治時代に飛行機原理を発見した人物としてよく知られているが、現在、八幡浜市民ギャラリー・郷土資料室では、二宮忠八の飛行機に関する業績だけではなく、彼の書いた掛軸や書簡が数多く紹介されている。 忠八の号は「幡山」。八幡浜の八幡神社の近くに生家があり、京都八幡に住んでいたことからこう称したのだが、「幡山」の詠む句を「幡詞」。それを掛軸に墨で書き、絵を描いたものが「幡画」とされる。 二宮忠八が「幡詞」、「幡画」の定義をまとめている。これは大阪製薬株式会社社長時代で、昭和4年に発行された『幡詞歌』の中で紹介されたものである。 <幡詞の文義> 1 幡詞の文縁 著者の故郷は、伊予八幡浜、京都八幡に廬をむすび、 飛機の思い出、文にもらして、ここに創むる、新体幡詞。 2 幡詞文

    二宮忠八と「幡詞」 - 愛媛の伝承文化
    ym_ntnyb
    ym_ntnyb 2016/04/24
    7音で一つとして、それを八つか。八幡浜市内で俳句わからん先生は俳句代わりに、これを国語で教えてもええかもな
  • 日本人にとってキリスト教とは何か〜秀吉と家康が徹底的に弾圧した理由(堀井 憲一郎)

    クリスマスと日人の不思議な関係を明かす連載第3回。今回は、そもそもキリスト教とは日人にとっていかなる存在だったのか、ホリイ博士が歴史をずんずんさかのぼって考えます。(→第1回はこちら) キリスト教がやってきた キリスト教はローマ帝国内において、圧倒的な勢力となり、やがて俗世の王権を越えた存在となっていった。ローマ帝国が分裂し、消滅しても、キリスト教は強大化していった。 ヨーロッパ全域を覆う巨大帝国は再び現れることはなかったが、その代わり、キリスト教がヨーロッパをまとめる支柱となった。ローマ帝国が崩壊したのち、キリスト教は千年の王国を立てたとみることもできる。中世ヨーロッパはキリスト教の王国であった。 中世キリスト王国は、わが日国とは、ほぼ、関係がなかった。それぞれに行き来することはなかった。それはそれでよかった。 そのままずっと無関係でもよかったのである。ときどき、そうおもう。 たと

    日本人にとってキリスト教とは何か〜秀吉と家康が徹底的に弾圧した理由(堀井 憲一郎)
    ym_ntnyb
    ym_ntnyb 2016/04/24
    「キリスト教徒たちを受け入れると、途中から一転、暴力集団として国内に侵入、キリスト教徒の国へと転進させる」のだけど、なんでかこのあたり、歴史の授業では曖昧にしか語られない。
  • 小学生の頃、習っていないことを勉強していたら『実力差がついちゃうからしないでね』と先生に言われた→多くの人が同じ経験をしていた

    ラカオッテ@投票受付中 @Rakaotte 一番衝撃を受けた事は、小学1年の頃から道路地図を読むのが好きで、都道府県名をほぼ全て漢字で書けるように勉強したらその時の担任の先生がある日職員室に俺を呼んで、 「他の子と実力差が付いちゃうから習ってないことを勉強しないでね」 と言われた事だった。未だに鮮明に覚えてる。 2016-04-18 00:31:44 ラカオッテ@投票受付中 @Rakaotte でもその言葉無視して地図見ながら都道府県名から県庁所在地まで全て覚えたから、場所や漢字をちゃんと間違えずに言える事が出来てるし、オマケ付きで酷道険道マニアになってしまった笑 あぁ先生ごめんなさい、僕はこんな人になってしまいました() 2016-04-18 00:36:36 ラカオッテ@投票受付中 @Rakaotte ゆとりはその時の大人のせいでもあるが、同時に勉強しなかった側にも責任の一端はあると言

    小学生の頃、習っていないことを勉強していたら『実力差がついちゃうからしないでね』と先生に言われた→多くの人が同じ経験をしていた
    ym_ntnyb
    ym_ntnyb 2016/04/24
    「教育水準を整えるとは全体に一定水準以上の基礎知識をつけさせる(水準以上に伸びる分は歓迎)ことだが、できる人の足を水準まで引っ張って均すことと思ってる馬鹿もいる」どうすりゃその馬鹿を駆逐できるのだろう