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ブックマーク / ima.goo.ne.jp (3)

  • アニメが救った伝統工芸。京都でたったひとりの「女性アニメグッズ黒染め師」

    ▲「五代目 柊屋新七(ひらぎやしんひち)」こと馬場麻紀さんは京都でたったひとりの、アニメグッズを染める女性黒染め師(くろぞめし)なのです こんにちは。 関西ローカル番組を手がける放送作家の吉村智樹です。 ここでは毎回、僕が住む京都から、耳寄りな情報をお伝えしております。 2016年も残すところ、あと一か月。 振り返ると今年は、例年にも増して「アニメ」が注目された一年でした。 『君の名は。』『この世界の片隅に』などオールタイムベストクラスの名作が続々と誕生し、さらに活況を呈しています。 そうそう、アニメといえば、この京都の片隅に、アニメとひじょうに密接な関係を持つ一軒の工房があるのです。 そしてそれは、外観からはアニメとの関連がまるで想像できない、とても意外なスポットでした。 果たして、その名は。 今回はそんな「あにめのあなば」をご案内しましょう。 訪れたのは中京区の柳水町(りゅうすいちょう

    アニメが救った伝統工芸。京都でたったひとりの「女性アニメグッズ黒染め師」
  • 帰ってきたオタクの見る夢は ~岸田メルとアイドルについて~

    オタクアイドルオタク』という言葉が示す人物像は多岐に渡る。アニメオタク漫画オタクゲームオタクアイドルオタクetc…。 かつてはひとつのジャンルに精通した生き字引のような人に対するリスペクトであったり、いつまでも子供向けの趣味から卒業できない者に対する蔑称でもあった。昨今ではサブカルチャー全般が市民権を得てきたのもあり、さほど差別的な意味合いでは使われない代わりに、ディープな知識を持たずとも何かを愛好していれば『オタク』と自称したり、呼ばれることが多いように思う。 私は子供の頃から徹底的なインドア派で、ほとんど外で遊ばずに家でアニメを見たりゲームをして過ごす自他共に認めるオタクであった。今となっては大したことはないが、学校単位ではそれなりのオタク知識があるほうだったと思う。紆余曲折あったがそのまま趣味が高じてイラストレーターになり、アニメやゲームに関わる仕事をするようになっ

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    ynabokun
    ynabokun 2014/11/08
  • 『生きていくの大変すぎ!』と驚愕する昭和30年代の日常まとめ2

    どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事「『これ当に日?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1」の続きです。 前回記事では、鉄道事情・道路事情・タクシーやトラックの運転マナー事情を見て、交通事情に関していえば、昭和30年代は良い時代ではなかったかもしれないと結びました。 今回の記事では昭和30年代の住宅事情、治安、衛生面について書きたいと思います。 ●【住宅事情】引っ越したいけど引っ越せない、超格差な住宅事情(昭和31年) 「大都会を空から眺めますと、立て込んだ家の間にアパートの集団住宅が目立つようになりました」というナレーションでニュース映像は始まります。田んぼや畑が広がっていて、現代に生きる者には、ちょっと大都会には思えませんが……。 団

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    ynabokun
    ynabokun 2014/09/08
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