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  • インタラクティヴ読書ノート 2003年7月 - 崎山政毅『サバルタンと歴史』他

    2003年7月 7月11日 amazonでスペルベル&ウィルソン『関連性理論』(研究社出版)[bk1、amazon] の関連書として紹介されていた石崎雅人・伝康晴『言語と計算 3 談話と対話』(東京大学 出版会)[bk1、amazon] を図書館から借りて読み、驚倒。主たるテーマは語用論への計算論的接近だが、ブラットマン『意図と行為 合理性、 計画、実践的推論』(産業図書)[bk1、amazon] の行為の意図理論、更にその後のFaces of Intention: Selected Essays on Intention and Agency, Cambridge U. P.[amazon] 収録の論文における共同行為・共有意図理論までもがきっちりフォーマライズされて取り込まれている。あわてて「人工知能」「マルチエージェント」関連の文 献をいくつか借り込んでくる。 しかし前々から思ってた

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    yob 2008/02/25
  • 中西洋『〈自由・平等〉と《友愛》』 

    中西 洋著 『〈自由・平等〉と《友愛》-市民社会;その超克の試みと挫折-』 ミネルヴァ書房、一九九四年五月 四一八頁、五〇〇〇円 中西洋氏のほぼ十年振りの単独著作である書は、氏のこれまでの著書と比べると広い読者層を念頭に置いたものになっているが、残念ながら読書界の反応は芳しくない(例外として、『週刊読書人』九四年十二月二十三日の座談会「リベラリズムをめぐって 一九九四年の思想界をふりかえる」における川隆史氏の発言を参照のこと)。ふりかえって、社会政策・労働問題研究という「業界」レベルでの反応も、菅見の限りでは鈍い。 書が敬遠される理由は確実にある。経済学者・労働問題研究者としての中西氏を知らない一般読書人にとっては、現代の社会哲学の主流からややずれた問題意識や用語法にのっとる書はひどくとっつきにくいものであろう。いや、もっと単純に考えてみれば、そもそも中西氏の名前は例えば小池和男氏

  • 2001年8月

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    yob 2005/09/16
  • 2001年7月

    7月24日 転職を機に新規まき直しというか、必要に駆られてと言うか、教育に今までよりは真面目に取り組んでいる。このようなことをいけしゃあしゃあと書くのは気が引けるのだが、前の職場では正直かなり教育へのモチベーションは低かった。 と言って、岡山大学経済学部が教育に真面目に取り組んでいないというわけではない。どちらかというと個人的な問題であって、「俺が悪かった」と一言言えばすむところだが、少し整理しておこう。 92年に着任した頃はちょうど岡山大学経済学部にとっても、また全国の似たようなポジションにある地方国立大学文系学部にとっても過渡期だったと言える。かつてはこうした大学では、まず教員個人のレベルでは、「教育より研究を優先する」と公言して、学生のレベルや興味を斟酌せず勝手に講義をしても別に誰も問題にはしなかったし、学部レベルでも、教養と専門の二部門制に安住して、カリキュラムの体系性について真面

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    yob 2005/09/16
  • 2001年2月

    2月23日 忙しいので代用原稿。 明治学院大学社会学部社会学科編『社会学とはどのような学問か』2001年度版用原稿 稲葉振一郎 助教授 (1)社会学とはどのような学問とお考えですか。 高校時代、「「社会学」と名が付いているからには人間と社会の総体を問題にする気宇壮大な学問に違いない」と勝手に思いこんで某大学社会学部(ここではない)に入学したらば「社会学部」という名とは裏腹に実は社会学者が全然いないという事実(いまでは事情は根的に変化したそうだが)にまず打ちのめされ、更に勝手に勉強している内に「名が身体を表すとは限らない」という当たり前のことに気が付いた。つまり「社会学は人間と社会の総体を問題にするべきである」とはよく言われるが、現実につねに「社会学は人間と社会の総体を問題にする」ことができているわけではない。それに政治学や経済学や法学だって「政治」や「経済」や「法」にしか目がいかないとい

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    yob 2005/09/16
  • 2000年11月

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    yob 2005/09/16
  • 2000年9月

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    yob 2005/09/16
  • http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/books/bks0412.htm

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    yob 2005/05/08
  • 労使関係史から労使関係論へ

    労使関係史から労使関係論へ 論評: 東條由紀彦『製糸同盟の女工登録制度-日近代と女工の「人格」-』(東京大学出版会、1990年) 佐口和郎『日における産業民主主義の前提-労使懇談制度から産業報国会へ』(東京大学出版会、1991年) 稲葉 振一郎 『経済評論』 第41巻第10号(1992年10月) はじめに 稿の主題は、近年立て続けに出版された、新世代の労働問題研究者による日労使関係史の格的研究書二冊の検討を通じて、現時点における日労使関係史研究の到達点から、一体何が見えてくるのか、を確認しておくことにある。近年の日の労働問題研究にとって、歴史研究はいわば理論研究を代位する役割、すなわち日々変貌しつつある現場を分析する際に、方向感覚を失わないための羅針盤を提供する役割を担ってきた。稿で論評される二つの業績は、このことを意識しつつも、再び理論構築への思考を明示的に打ち出したとい

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    yob 2005/04/17
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