2008年2月25日のブックマーク (9件)

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    yob 2008/02/25
  • インタラクティヴ読書ノート 2003年7月 - 崎山政毅『サバルタンと歴史』他

    2003年7月 7月11日 amazonでスペルベル&ウィルソン『関連性理論』(研究社出版)[bk1、amazon] の関連書として紹介されていた石崎雅人・伝康晴『言語と計算 3 談話と対話』(東京大学 出版会)[bk1、amazon] を図書館から借りて読み、驚倒。主たるテーマは語用論への計算論的接近だが、ブラットマン『意図と行為 合理性、 計画、実践的推論』(産業図書)[bk1、amazon] の行為の意図理論、更にその後のFaces of Intention: Selected Essays on Intention and Agency, Cambridge U. P.[amazon] 収録の論文における共同行為・共有意図理論までもがきっちりフォーマライズされて取り込まれている。あわてて「人工知能」「マルチエージェント」関連の文 献をいくつか借り込んでくる。 しかし前々から思ってた

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    yob 2008/02/25
  • ララビアータ:『万延元年のフットボール』(4) - livedoor Blog(ブログ)

    さて今や、この小説の出発点である「60年安保闘争」に対して、この小説がどのように総括し、どうのように応答しようとしているのかを問う事ができよう。 共産党の指導を受け入れた反主流派が、米帝国主義の半植民地として日を描き出す傾向(それは民族独立、反米愛国路線として、ナショナリズムを強調する傾向に結びつく)があったのに対し、安保闘争を事実上中心で担った全学連主流派は、日帝国主義の独立という現状分析を強調していた。 今となっては、純経済的視点から見れば、主流派の主張に一理あったものの、それを政治的上部構造と直結して論じる事によって、日米安保のもつ政治的意味を主流派は見誤っていたと言わざるを得ない。したがって、安保闘争に立ち上がった人民の中のナショナリズムの意義を、まったく捉えられなかったのである。 もっとも、人民の政治的自立性を否認して、スターリン的ソ連の別働隊としてしか日の大衆運動を見てい

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    yob 2008/02/25
  • ララビアータ:『万延元年のフットボール』(3) - livedoor Blog(ブログ)

    歴史の反復と神話化) 勝者たちや成功者たちが歴史を振り返るとしたら、歴史は連続的進歩として見えてくるだろう。彼らは自らの勝利や成功を、決して真の相続者から横領や強奪したものではなく、十分な理由をもって必然的にもたらされたものとして、あるいは正統な遺産の適切な継承として描き出そうとするであろう。かくて歴史の流れは、自然なものであるとともに、合理的なものであることになろう。 幼い頃、「唯物史観」の入門的歴史書を読むと、歴史が「生産力と生産関係の矛盾」からきれいに説明されているのを見て、感銘を受けたものだ。そこで、やがて学校で日史や世界史を習うようになると、自分でも唯物論的説明を与えようといろいろ工夫したものである。 しかしその後、実際マルクスが『資論』の中で「源的蓄積」を論じているところを読んでみると、封建的支配関係の中から次第に次の支配階級が力をつけてきて、やがて既存の秩序に収まらな

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    yob 2008/02/25
  • ララビアータ:『万延元年のフットボール』(つづき) - livedoor Blog(ブログ)

    鷹四の姿を借りて描かれた「過激学生運動」の病理への批判。大江健三郎氏は、歴史の反復という原理をあらたに自らの行動原理に採用した鷹四に対して、別の反復を提示して批判しようとしているように見える。 鷹四は、60年安保闘争で一時は学生運動家の隊列におりながら(p−28、以後ページは講談社文芸文庫版による)、そのすぐ後では、右翼の行動隊の一員として、デモ隊を攻撃するというような、なんとも不可解な人物である(p−54)。その後かれは、「革新政党の右派の婦人議員にひきいられた学生演劇団のメムバーとしてアメリカに渡った。この演劇団は、1960年6月の政治行動に参加した学生たちのみによって構成された転向劇の一座で、彼らは『われら自身の恥辱』という懺悔の芝居を演じた後、改悛した学生の名において、アメリカ市民たちに、大統領の訪日を妨げたことを詫びるのだ。」(p−26) この間の彼なりの理由付けは伏せられている

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    yob 2008/02/25
  • ララビアータ:『万延元年のフットボール』 - livedoor Blog(ブログ)

    ゼミで大江健三郎氏の『万延元年のフットボール』を取り上げることにしたので、再読してみた。 舞台は、60年安保闘争後二三年の時期に設定されている。高揚した運動の後に続く政治的後退期を、さまざまな屈折した形で生きた青年たちの中に、著者の分身のような蜜三郎と、その弟鷹四が配され、この兄弟の葛藤・対決を軸にストーリーは展開する。彼らはいずれも、何らかの形で自らの良心を裏切ってきたという意識をかかえていて、それをそれぞれのやり方で乗り越えようとしているのである。 彼らはやがて、それぞれ違った思惑から四国のふるさとの山村へと入る。鷹四はそこで青年団を組織して、独自の政治運動を始めることになる。 私が前回この小説を読んだのは、2002年夏である。この小説が発表されたのは、1967年である。その当時、周りで盛んに話題になっていたにもかかわらず、私は読んでいなかったので、それがその頃どのように受け取られたの

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    yob 2008/02/25
  • 司法論ノート―利害関係者司法に向けて - on the ground

    この記事は「犯罪被害者保護に一考」「刑法についての試論」「修復的司法批判メモ」「刑法39条を擁護してみる」 「刑事裁判への被害者参加」「stakeholder justiceへ」を素材として加筆・修正を施したものです。 刑罰の意味と役割 刑罰とは、社会秩序の維持を目的として、定められた「罪」が行われることを予防するために設定されているコストである。したがって、刑罰は基的に目的刑でしか有り得ない。事前に罪とそれに応じた刑罰が定められている(罪刑法定主義)という前提の下で、合理的選択の結果として違法行為を為した者は、定められたコスト=刑罰を負わなければならない。多くの場合、既定の社会秩序に対する違反行為は社会道徳に対する違背行為と意味的に大きく重なり合って受容されるため、刑罰の執行は社会的には道徳的非難として受け取られる。こうした刑罰の社会的意味は、道徳的規律として副次的に社会秩序の維持に資

    司法論ノート―利害関係者司法に向けて - on the ground
  • オーディオの楽しみを再び

    かつては多くの人の趣味として愛されたオーディオだが、発行されている専門誌の数を見ても分かるよう、いつしか愛好家は減っていった。しかし、最近では再びオーディオを趣味として始める人が増えているという。 呼応するようにハイエンドといわれる製品カテゴリも活況を呈し始めているが、それよりも大きな動きを見せているのが、10万円前後から手が届く「ちょっと高級」な価格帯の製品だ。これは「これまで音が聞こえればいい」と思っていた人が、音楽を積極的に楽しみたいと考え始めたことをハッキリと表している。 デジタルメディア評論家の麻倉怜士氏による月イチ連載『麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」』。今回は大学(津田塾大学)で音楽理論の教べんもとっている麻倉氏に、「趣味としてのオーディオ」の近況と変化、オススメのシステムについて語ってもらった。 ――最近では「趣味としてのオーディオ」が再び脚光を浴びているようですが、ご自身でも

    オーディオの楽しみを再び
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    yob 2008/02/25
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    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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