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ブックマーク / nextsociety.blog102.fc2.com (73)

  • Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け

    昨年「機動戦士Vガンダム」を見返していた。 一番気になったのが、ファラ・グリフォンの存在の重さ。 理由は、まず後半での劇中の強さだ。 後半でとても強くなったウッソと互角以上に渡り合う強さ。 特にザンネック(ザンネックキャノン)は凶悪だった。 ファラが戦死するキッカケになった マーベットのお腹の赤ちゃんの存在に気を取られなければ、 逆にウッソはファラにやられていた可能性がある。 ファラとカテジナの強さを比べてみる。 カテジナはシュラク隊の面々は葬っているが、 ウッソとの真正面の対決ではファラより強さを示せていない印象を持つ。 カテジナはネネカ隊やコックピットから降りてウッソを直接刺殺する奇襲で、 ウッソに優位に立とうとするが、MS戦においてはファラの強さに軍配が上がる。 次にこれがより大切だが、ファラはVガンダムを象徴するキャラであること。 特にファラが死ぬ47話「女たちの戦場」のファラとウ

    Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け
  • ダーリン・イン・ザ・フランキス最終話について-プラスティック・メモリーズとの比較

    ダーリン・イン・ザ・フランキスを見終えた。 作は出会っては引き裂かれ、繋がりたいと思えばまた引き裂かれ、 それでも繋がりを繰り返し求め、その絆は愛に昇華した二人の物語だったと思う。 そしてプラスティック・メモリーズの最終話を見返した。 なぜプラメモを見返したのかといえば、 プラメモの脚(全話)とダリフラのシリーズ構成・脚が林直孝さん、 両作がアニプレックスの鳥羽洋典プロデューサーが関わるから。 (アニプレックス製作のオリジナルアニメという点も同じ) ダリフラの物語を読み解くヒントがプラメモにあることを期待して見返したくなった。 プラメモ最終話のあらすじ↓ ヒロインのギフティア(アンドロイド)であるアイラの耐用期間が近づいていた。 主人公の①ツカサはアイラと遊園地で穏やかで幸せな最後の時間を過ごす。 そして観覧車内で②ツカサは「大切な人と、いつかまた巡り逢えますように」と語り 二人は③

    ダーリン・イン・ザ・フランキス最終話について-プラスティック・メモリーズとの比較
    yogasa
    yogasa 2018/07/09
  • 「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】

    劇場版5部作を終えた「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括を述べたい。 「Gレコ」は富野由悠季の研究論文 「Gのレコンギスタ(以下Gレコ)」は、富野由悠季のによる「宇宙エレベーターやフォトンバッテリー等を通して現代の社会経済と科学技術に対して異議申し立てをする研究論文」である。 Gレコの企画が具体化する2000年代後半。富野監督は取材やインタビューを通し、「ハンナ・アーレントの『全体主義』の考えをアニメで表現したい」と語る。この試みに期待を高めていた。 2015年の講演会では参考資料として池内了「科学・技術と現代社会」とE・H.カー「危機の二十年」を紹介。2016年の講演会ではガンダムエースの対談企画「教えてください。富野です。」での対談。特に宇宙エレベーター実験の参加と青木義男教授達との出会いが大きかったと語る。以上の経緯を踏まえると、Gレコは富野監督の出会い・取材・経験を通したインプット

    「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】
  • なぜZガンダムのティターンズは負けたのか?

    1 組織が一枚岩ではなかった 一番大きな理由。 総司令官のジャミトフは建前(ジオン残党狩り)と音(人口の削減)が違いすぎて 彼の思想信条は極めて理解されていなかった。 そんなジャミトフの真意を知らずに、組織No2のバスクは毒ガスやコロニー落としを敢行。 バスクの独断に対しジャミトフは、シロッコを重用する事で、バスクの抑えにかかる。 シロッコはジャミトフの真意を知っていたようだが、野心高きシロッコは 「女性による統治」のための傍観者であるように振舞う。 組織の中心人物達の目的・理念が全く共有されていない点で、 組織だった行動が取れずに、内部崩壊するのは必然だった。 中心人物達以外も、エマのようにエゥーゴに投降する者もいれば ヤザンに騙し討ちされたジャマイカンのようなものもいる。 上もバラバラであれば、下もバラバラ傾向にあった。 2 地球上の拠点・キリマンジャロ・ニューギニアの喪失 両拠点を

    なぜZガンダムのティターンズは負けたのか?
  • Zガンダム39話「湖畔」の物語的位置付け

    機動戦士Zガンダム 39話「湖畔」。 湖畔とは、予期せぬ運命的な出会いが訪れる場所。 宇宙と人工的なコロニーとMSと戦艦がひしめく中で 自然を感じさせ、人同士のふれあいが描ける場所。 1stではアムロとララァが始めて出会い、 Zではカミーユとロザミアが始めて出会った。 これらの出会いは共に悲劇(女の死)に終わる。 カミーユにとってロザミアの死は、 彼の精神崩壊に及ぶプロセスの中での 最後の決定打として見ている。 39話はこの決定打の始まりでもある。 湖畔とセットで押さえておきたいのが 表現における死の象徴に用いられる白鳥だ。 特に1stの空から湖へ下降していく白鳥の姿は やがて死にゆくララァの姿を重ねていたのだろうか。 Zでも湖畔で白鳥を出した点では、 ロザミアも死にゆく運命をまず提示したかったのか。 また一羽で飛ぶ1st、複数羽で飛ぶZの差に 個人の物語(1st)と、集団の物語(Z)の差

    Zガンダム39話「湖畔」の物語的位置付け
  • 「甲鉄城のカバネリ」に見る富野アニメ的要素・富野節

    「甲鉄城のカバネリ」を見ていると 「富野アニメ的」「富野節」という指摘や感想をみかける。 私もカバネリは「富野的な作品」と感じる。 ではどう富野的なのか。 カバネリに見る富野アニメ的な要素について紹介する。 不自由な場面設定から生まれる芝居から物語を作る まず読まれた方も多いだろうが、作の監督の荒木哲郎さんが 富野監督からの影響についての次の発言から振り返る。 荒木:もうひとつ、最近だと富野(由悠季)さんの『Gのレコンギスタ』10話の絵コンテ・演出をやらせていただいた影響が大きいですね。昔から富野さんには憧れていましたが、目の前で仕事を見たことによって、お客さんとして見ている時以上に吸収できた部分がありました。『カバネリ』を作っている中で、「あっ、俺こういうことできるようになったんだ!」と思ったところがいくつかあったんですけれど、富野さんとの仕事をしたからこそだと感じています。 ――例え

    「甲鉄城のカバネリ」に見る富野アニメ的要素・富野節
  • 「鉄血のオルフェンズ」は「心が叫びたがってるんだ」であるーオルフェンズの総評

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」25話「鉄華団」を視聴。 ※サブタイトルが出る直前のこの絵が美しい。この絵を見せたいがために、 オルフェンズの物語を帰納法的に作ってきたのではないだろうか。 1話の感想記事で、長井龍雪・岡田麿里コンビの映画になぞらえて 「ガンダムが叫びたがってるんだ」と書いたのだが、 案外、1期最終話はここさけではないかと思った。 その理由として アイン、ガエリオ、マクギリスが、 そしてクーデリア、オルガ、そして三日月のみんなの 「心が叫びたがってるんだ」といえるように 思いの丈を吐き出した展開になったからだ。 アインはクランク二尉への思いから、 クランク二尉を殺した三日月とバルバトスとクーデリアに対し 自らの正義心の全てを三日月に叫ぶ。 そんなアインの叫びを三日月は悉く否定するのだが… ガエリオは自身を裏切ったマクギリスに対し カルタのマクギリスへの思いと、マクギ

    「鉄血のオルフェンズ」は「心が叫びたがってるんだ」であるーオルフェンズの総評
  • 鉄華団はさくら荘である-「鉄血のオルフェンズ5話」の鉄華団のチームワーク性について

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」5話を視聴。 はじめに クーデリア地球への旅立ち。 ギャラルホルンのMSはイサリビを拘束し クーデリアの身柄を引き渡すように伝えるものの、 この状況を想定してたオルガと三日月。 三日月はバルバドス出撃し、MSを引き付け 後方からのオルクスの船は昭弘が引き付ける。 鉄華団に不利な状況が訪れるが 小惑星を上手く利用して形成を逆転。 ユージンが身体を張る。 コーラルはマクギリスとガエリオを差し置いて 自ら出撃するが、バルバドスに負ける。 そして戦場で三日月とマクギリスとガエリオは交戦し お互いの存在に気づくのだった。 鉄華団のチームワークについて 今回、印象に残ったのは鉄華団のチームワークの良さだ。 オルガはトドが裏切ることを想定し、 予め三日月にガンダムを準備させ状況に備えた。 また前回で昭弘に別行動を取らせて、 オルクスの船への対抗と三日月のバックアッ

    鉄華団はさくら荘である-「鉄血のオルフェンズ5話」の鉄華団のチームワーク性について
  • 「生きる糧の物語」としての「鉄血のオルフェンズ」4話。

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」4話を視聴。 クーデリア姫を地球に護送する算段を整えつつ 鉄華団がこの護送の仕事をこなして生きる糧と自分たちの道を手に入れようとする。 一方のギャラルホルンのファリドとボードウィンは クーデリア姫を拘束しようとして現地に調査へ向かう。 三日月はクーデリアを連れて、ビスケットの祖母のトウモロコシ畑に連れて行く。 三日月はクーデリアに作物を採取することと作物の状況や行き先を教える。 その最中に三日月達とファリド達と遭遇し、一悶着がある。 畑から戻ってきた三日月達にオルガは新しい旗を持って迎えるのだった。 「生きる糧の物語」として描写された作物を採取すること 鉄血のオルフェンズの物語のキーワードは「生きる糧」である。 作は生きるために何をしなければならないのかを 火星と厄祭戦300年後という世界をもって描いている。 ガンダム作品の多くは、キャラクターに理

    「生きる糧の物語」としての「鉄血のオルフェンズ」4話。
  • 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話ー少年と大人と血の関係について

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話を視聴。 はじめに ギャラルホルンのMSによる攻撃を、 三日月乗るガンダム・バルバロスによって防ぐものの、 再攻撃を命じられたクランクは単身CGSとの決戦に望み、 一方のCGSのオルガも大人達からの独立を企て、三日月に協力を願う。 敵を追い返しても、少年達の目の前には地獄しかない。 地獄であるなら、居場所を作り、地獄からの解放を自ら勝ち取る。 オルガと三日月の二人の行動から、自由への意志が感じられた回だった。 1話でも強調されていた大人と子供という構図が 2話でも「血」というキーワードで語られる。 三日月はガンダム・バルバロスに搭乗での負荷により鼻から血を出し、 オルガはCGSの大人達の都合により制裁を受け、血を流す。 三日月とオルガという少年二人が、それぞれの信念をかけて血を流す。 少年側という話でいえば、クーデリアもまた血を流さぬのだが、 彼

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話ー少年と大人と血の関係について
  • 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」1話「鉄と血と」感想-「ガンダムが叫びたがっているんだ」

    長井龍雪と岡田麿里の「あの花」「ここさけ」コンビの新作ガンダム。 田中将賀さんも参加が自然なような気もするが事情があるのだろう。 「鉄と血と」というサブタイトル、 地球圏に反旗を翻す少年達の戦いな世界観をみると、 ガンダムより「太陽の牙ダグラム」を彷彿とさせる。 1話は独立運動のお姫様クーデリアを守るために 主人公・三日月達がいる警備会社が請負ったら、 別の組織が襲いピンチになったところを、 三日月がガンダムを起動させて敵MSを倒して終わる。 Aパートでキャラクターと世界情勢を説明を尽くして語り、 Bパートでガンダムにとって大切なメカアクションを描く王道的構成だ。 サブタイ通りな血と鉄の汗臭い世界にみえつつも、 良い意味で脱臭され、爽やかに感じさせるバランス感覚もあった。 火星の底辺に生きる若者たちの反抗の中で 純真な少年三日月はどう動くのか。 寡黙で能動的な姿は見せないが、秘めたる思いは

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」1話「鉄と血と」感想-「ガンダムが叫びたがっているんだ」
  • 富野監督の「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」発言から感じた事

    8/27のガンダムカフェで開催されたGレコ勉強会。 ゲストは富野監督と石井マークさん。 勉強会のクライマックスは、 この勉強会の質疑応答の中で富野監督は、質問者から 「初めて時間を遡った作品を作られた心境を」と聞かれたところ 「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」 という返答をしたところ。 私は目からウロコだった。 監督自身による「Gレコ」が「ターンエー」より後の作品という発言に驚かされた。 私は「ターンエー」で提示された 黒歴史そしてガンダムの全肯定という概念に対して 「ターンエー」以降に作られるガンダムも全て黒歴史となり 全てのガンダムの終着点として「ターンエー」があると思っていた。 「SEED」も「00」も「AGE」もこれからの「鉄血のオルフェンズ」も 全て黒歴史になって、最後に「ターンエー」の世界が訪れると思っていた。 「ターンエー」が歴史の最後という位置づけで今までのガンダ

    富野監督の「ターンエーはGレコの500年くらい昔の話」発言から感じた事
    yogasa
    yogasa 2015/08/28
  • 響け!ユーフォニアムは「特別」と「みんな」の物語―吹奏楽の演奏とアニメ制作

    「響け!ユーフォニアム」12話を見て、 作は「特別」と「みんな」の物語であると私は感じた。 今回、それは久美子が「特別になりたい」「上手くなりたい」と泣きながら 自分に訴えかけるように主張したことで決定的になったといえる。 特に橋の上で泣きながら「上手くなりたい」というシーンは、強く心打たれる。 久美子のこのような変化には、 麗奈の「特別」になりたいという姿勢に心打たれたのか。 香織の態度や葵の退部劇の影響もあるのか。 何にしても久美子が吹奏楽部で培った経験によって 「特別」になりたいと思ったのだろう。 何より久美子がユーフォを心から好きだったことに気づいたことに他ならない。 ずっとユーフォをやっていたのも、好きだったという証明なのだろう。 そうした久美子の「特別になりたい」「上手くなりたい」「ユーフォが好き」 という様々な感情が見事に入り混じった久美子を今回は上手く描いていた。 ただ吹

    響け!ユーフォニアムは「特別」と「みんな」の物語―吹奏楽の演奏とアニメ制作
  • 「響け!ユーフォニアム」の組織論ー拍手をしない部員達の心理について

    はじめに 「響け!ユーフォニアム」11話で秀逸だったのは、 再オーディション時に、どちらがソロにふさわしいか、 滝先生が演奏後の拍手で決めようと提案したのに、 結局は麗奈と香織のどちらにも拍手をしない部員達の描写。 私は、この部員達の描き方に色々感じてしまった。 拍手をする人、しない人 まず拍手をしないというのは、正しい言い方ではないのかもしれない。 拍手ができなかったという方が正しいのかもしれない。 おそらく多数の部員達が拍手をできなかったのは、 どちらにも与することができないという気持ちが、 部員達の中で支配していたからだろう。 明らかに、両者の演奏後の場の空気や部員の反応を見る限り 麗奈の演奏の方が香織を上回っている事は確かだ。 香織の最大の支持者の優子ですら、麗奈の演奏に観念していた。 だからといって、部員達が麗奈に拍手を送ることをしない。 それは麗奈に与する動機が殆どの部員にはな

    「響け!ユーフォニアム」の組織論ー拍手をしない部員達の心理について
  • 「響け!ユーフォニアム」の魅力はハラハラ感と寸止め感のバランス感覚にある

    「響け!ユーフォニアム」の面白さは、 編中の物語のハラハラ感と寸止めのバランス感覚にあると思う。 「響け!ユーフォニアム」のハラハラ感 ハラハラ感とは何か。 今回10話でいえばオーディションの結果に 一部の部員が疑念を持ってしまい、 吉川優子が高坂麗奈に当たってしまうような ギスギスした展開や人間関係が壊れてしまうような展開が挙げられるだろう。 一触即発。香織が「やめて」と言わなければ、 その後に麗奈が久美子に言ったような愚痴を 麗奈が優子に直接言って、事態はより悪化していたのかもしれない。 こうした緊張感溢れる展開、部活動が部員の人間関係が、 もしかすると壊れてしまうという展開とニュアンスを含みながら 物語が進行していくことが、ハラハラ感に他ならない。 作は必ずしも安全に物語が進まない作りになっている。 何かハプニングが起こることでハラハラ感が生まれるのだ。 あすかの存在もまた面白い

    「響け!ユーフォニアム」の魅力はハラハラ感と寸止め感のバランス感覚にある
  • 高坂麗奈の圧倒的存在感「響け! ユーフォニアム」8話

    「響け!ユーフォニアム」8話は、 高坂麗奈の圧倒的存在感が際立った。 まず久美子と一緒に山に登る時の、高坂さんが髪を縛るシーン。 シュシュを、口を使って作る描写、 髪を縛る時の腋の動きが素晴らしい。 特に右脇の影の部分もきちんと描かれていて、 見ているだけで高坂さんのエロスが伝わってくる。 また久美子の顔を指でなぞる時の上唇あたりのプルルン感。 このプルルン感は久美子によるものだが、 人の顔に指を当てる行為をする、高坂さんの方がキレキレである。 自分は他の人間とは違う、 「特別」になりたいと久美子に告白した時の 高坂さんの髪の色トレス(線画の部分に色をつける)の美しさ。 この色トレスの処理を施す事で、 高坂さんが特別な存在のように見えるのは私だけか。 最後にワンピースのひるがえり。 服の生地の柔らかさを感じずにはいられない。 アニメーションの快楽性が凝縮された瞬間だ。 これらの描写によって

    高坂麗奈の圧倒的存在感「響け! ユーフォニアム」8話
  • 「響け!ユーフォニアム」の高坂麗奈が魅せる「京アニ髪かきあげ」について

    「響け!ユーフォニアム」5話は高坂麗奈さんの絵作りがすごくよかった。 まず、高坂さんのトランペットを吹くシーン。 顔が汗でテカテカした感じで描かれ、 目を見開いて吹くのに一生懸命な感じが出ていて素晴らしい。 後、矢印で示したように、髪の部分を長い色トレスで描いているのが 髪の描き方に効果的なニュアンスを与えていて面白いと思った。 次にここからが編。 部活の帰りに高坂さんと黄前久美子が会話する中で 久美子が先生の事を「かっこいい」と言って反応し、 振り向く高坂さんの表情が素晴らしい。 比較的クールで感情的ではない高坂さんが、 目を大きく開き、驚きの表情を見せる。 編で始めて見せる表情ではないだろうか。 それだけにインパクトあるシーンに仕上がっている。 ※作監修正が半端無く入れているようにも感じる。 そして久美子が話を進めていくうちに、 久美子が高坂さんの地雷を踏んだと思い込み、 高坂さん

    「響け!ユーフォニアム」の高坂麗奈が魅せる「京アニ髪かきあげ」について
  • 「響け!ユーフォニアム」と「中二恋 戀」の瞳の描き方を比べてみた。

    前の記事で「響け!ユーフォニアム」の瞳の色の描き方について というものを書いた。 これは各キャラの瞳の中に使われる光沢の配色について、 瞳にメインで使われている色味とは別に色味がちょいと違う 小さな丸を瞳の真ん中部分に描いているのが面白いという趣旨の記事だ。 では、京都アニメーションの他の作品と比べるとどうなのだろうか。 「響け!ユーフォニアム」の色彩設定の竹田明代さんが以前手がけた 「中二病でも恋がしたい!戀」の1話と比べてみたい。 まず「響け!ユーフォニアム」から。 瞳のメインの色=茶系 瞳の中の小さな丸=緑 瞳のメインの色=青系 瞳の中の小さな丸=ピンク 瞳のメインの色=紫 瞳の中の小さな丸=ピンク 次に「中二病でも恋がしたい!戀」から。 瞳のメインの色=藍色系 瞳の中の小さな丸=小さくて判別しづらい 瞳のメインの色=茶系 瞳の中の小さな丸=ピンク 瞳のメインの色=緑系 瞳の中の小さ

    「響け!ユーフォニアム」と「中二恋 戀」の瞳の描き方を比べてみた。
    yogasa
    yogasa 2015/04/19
  • 「響け!ユーフォニアム」の瞳の色の描き方について

    「響け!ユーフォニアム」で気になるのは、 各キャラの瞳の中に使われる光沢の配色だ。 久美子の瞳の色は黄色系と茶色系で構成されているが、 瞳の中に一つ、光沢を表現するような小さい緑色の丸が入っているのが印象的だ。 茶系の中に緑色が入ることで、絵的なアクセントになっている。 ※キャラの瞳の赤丸の中を参照 緑輝は、黄緑色が基調になっているが、ピンク色の小さい丸が入っている。 久美子の旧知の間柄だった葵も、久美子と同じように 緑色が基調な瞳の中に、小さいピンク色の小さな丸が描かれている。 あすかは、水色系が基調な瞳の中に、小さなピンクがある。 麗奈は、紫系の中にピンク色の小さな丸。 よく美少女の瞳の描き方として、瞳の光沢を表現するために 円形に近い形の白色のアクセントを対角的に2つ施す。 上の久美子であれば、こちらから見て瞳の左下と右上にそれぞれ光沢をつけている。 そして「響け!ユーフォニアム」で

    「響け!ユーフォニアム」の瞳の色の描き方について
  • リアル「SHIROBAKO」-山ねずみロッキーチャックの現場から

    「SHIROBAKO」の宮森あおいがアニメ制作を志すキッカケの一つになったのは 劇中でもたびたび登場した「アンデスチャッキー」。 19話のEDは特に印象的だった。 さてこの「アンデスチャッキー」の元ネタとされる 「山ねずみロッキーチャック」についての面白い記述が 富野由悠季さんの著作「だから僕は」にあった。 「山ねずみロッキー・チャック」 (※ズイヨー)後半以後、五のコンテをきらせてもらい、監督、アニメーターとしての遠藤政治さんという怪物と出会った。そのころは氏の酒量はへっていたらしいのだが、スタジオに臆面なく一升ビンをおいて仕事をなさる方というのをはじめて目撃した。すすめられることではないが、悪いともいえない。そんな状況を呑みこんでアニメを創ってみせる、と口にした方は遠藤監督以外にはいない。剛気さと繊細さをみせてくれた方として僕には貴重だった。あたりまえなことを、感動をもって描けという

    リアル「SHIROBAKO」-山ねずみロッキーチャックの現場から