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ブックマーク / diary.originallove.lolipop.jp (15)

  • 和音、スパイス、色彩 | 田島貴男  DIARY

    66年会のメンバー数人とカレー会に行ってきた。 スリランカカレー美味しかった! 音楽の和音の話になって、 僕はポップスやジャズで使われる和音をそこそこ知っているので、 いくつかのコードを説明してくれという話になった。 ちょうどカレーべていたので、 和音の種類を調味料やスパイスに例えて説明した。 メジャーセブンスコードは砂糖。 セブンスコードは塩。 ナインスはクミン。 シャープドナインスは黒胡椒。 フラットナインスはマスタードシード。 サーティーンスはコリアンダー。 フラットサーティーンスはターメリック。 イレブンスはカルダモン。 シャープドイレブンはクローブ。 などなど(笑)。 絵やデザインをする人なら、 構図がメロディーで色が和音になるのかな。 メジャーセブンスはピンク。 セブンスはレッド。 ナインスはオレンジ。 シャープドナインスはエメラルドグリーン。 フラットナインスはダークブル

    和音、スパイス、色彩 | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2016/08/25
  • 真面目さと正直さ | 田島貴男  DIARY

    スカパラの谷中敦が「真面目さと正直さ」についてツイートしてるのを読んだら、 いろいろまとまらないイメージのようなものが浮かんだので、 まだ考えの途中のような状態をとりあえず書き留めておこうと思った。 真面目だなあと人に言ってみたり。人から言われたり。 真面目っぽくなさそうな人に実際会ってみたらすごく真面目だった、 ということもよくある。 でも、「真面目」は、 誰もが共有する「一般的な真面目の基準」と、 「真面目」の量も内容も種類も人それぞれ違う「個人的な真面目の基準」の、 二種類があるように思える。 或る人に会うまでは分からなかったけれど、 その「或る人」に会って話すと、 その人なりの「真面目さ」の基準が分かって、 「ああ実はこの人も真面目な人だったのだ」となる。 ルーズに生きたい人はルーズに生きることに関して真面目だったりする。 殺し屋は殺し屋なりの「真面目さ」があるのかも。 夢を実現し

    真面目さと正直さ | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2016/05/13
  • ストレッチ | 田島貴男  DIARY

    いろんなところで話題になったようだが、 この間のグラミー賞のダフトパンクのパフォーマンスは感動した。 グラミーはそのパフォーマンス以外見ていない。 あの瞬間だけ、 久しぶりに音楽が人に夢を与えてくれるものであることを思い出した。 2000年以降のポップスと70年代のポップスが繋がった瞬間だった。 ダフトパンクの2000年以降のDJ的なセンスと、 ナイル・ロジャース、オマー・ハキム、スティービーをはじめとする、 1970年代に肉体的な演奏を極めた一流のミュージシャンの演奏が見事に融合したエンターテイメントだった。 ミュージシャンたちがグルーヴを楽しんで笑顔になってるのを見るのが嬉しかった。 グルーヴに反応して踊りだすポール、リンゴ、オノ・ヨーコ、スティーブン・タイラー、ビヨンセ等の映像がまた良かった。 ダフトパンクの最新アルバムは懐古的かもしれないが、 ナイル・ロジャース、ファレル・ウィリア

    ストレッチ | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2014/02/05
  • 演奏ノート | 田島貴男  DIARY

    ずっと練習して弾けなかったフレーズが今日弾けるようになった。 少し嬉しい。 試しに鏡に自分の指を映して弾いたら弾けた。 速めのオルタネイトベースピッキングは、 目で見て追えるものではなく、 頭でひとつひとつのピッキングを理解して動かしていては間に合わないと思っていたが、 ある程度動くようになってから鏡で見て動きを確認するのはいいようだ。 速くて複雑なフレーズは、 最初は理解が追いついてゆかない。 だから頭で分かるというよりも、 指が勝手に動きを憶えるまで繰り返すしかない。 条件反射みたいに、 頭が指令を出す前に、 からだが勝手に動くように、 指がある程度勝手に動くように練習してゆく。 そうしてある程度できそうな気がしてきたら、 鏡を見て指の動きを確認するのは効果的みたいだ。 弾き語りは頭とからだがフル稼働だ。 押さえなければならないいくつかのポイントに意識を砕いて分散させ、 小さくしたいく

    演奏ノート | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2013/08/22
  • ポップス論 | 田島貴男  DIARY

    この間とあるラーメン屋で聞こえてきたポップスなのだけど、 自分たちが作る曲で、 聴く人をものすごく感動させてやろうという意気込みが、 強力に満ちあふれていて、 ぼくは引いてしまった。 感動させようと必死になっている作品に出会うと引いてしまうんだ。 人を感動させようとして作品を作るのってなんかどこか違う気がするんだ。 まったく感動させようとしてない作品に感動することがあるんだ。 じゃあどうやって作品て作られるんでしょうね。へへへ。 この辺りこのことは吉隆明さんがいろんな場面で説明していた。 吉さんがもうこの世にいないってのは、なんだか寂しいなあ。

    ポップス論 | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2012/09/05
  • ロックの日に | 田島貴男  DIARY

    ジョギングの距離を少し延ばし始めたので、 身体がまだ慣れてなくて少し眠たい一週間だった。 次第に雨が多くなってきて、 梅雨がもう間近だということが分かる。 ジョギングしたいけれど走れない日もあって、 ペースが乱れがちになる時期だ。 音楽好き、ロック好きは、 「かっこいい」が大好きだ。 そして大声も大好き。 威風堂々も大好き。 盛り上がることが大好き。 カウンターも大好きだ。 僕もロック好きだからそれはよく分かる。 「かっこいい」に敏感になれるから、 音楽を自分なりに好きになって聴けるのだ。 でもすべての「かっこよさげな意見、言説、正義、スローガン」(それはしばしば大きな声で語られる)が、 必ずしもすべて正しいとは限らない。 むしろ大きな声で語られる「かっこよさげな意見、言説、正義、スローガン」には、 用心しなければならない場合が多いのだ。 「カウンター」と言われることもあるロックは、

    ロックの日に | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2012/06/09
  • 「作り」がいいポップスと、実際のポップス | 田島貴男  DIARY

    名曲といわれている曲をいくつか聴き返す。 ポップスのスタンダードと言われる名曲は、 メロディとコードの関係、流れが、 とんでもなく絶妙な構造になっている。 前後の関係性を滑らかに保ちながら意表を突く展開をして、 見事に解決する。 複雑さとシンプルさが同居していて、 その完成度の高さに唸るばかりだ。 ぼくは曲書きであり、歌い手であるので、 曲の構造と歌と演奏に重きを置いて音楽を聴いていることが多い。 カリスマ性、スター性、メッセージ性も嫌いではないが、 ぼくにとっては、第一のものでなはい。 しかし実際はそういったものとか、 タイミングとか運とか演出とか、 いろんな要因が様々に絡み合って、 偶然にポップスが出現するのだろう。 けれどもいい曲はやはり「作り」がいい。 洋服やバイクや楽器その他いろんな商品もきっとそうだろう。 いいものは「作り」がいいのだ。 ぼくが作りたいポップスはずっと昔から、

    「作り」がいいポップスと、実際のポップス | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2012/05/24
    "いい曲はやはり「作り」がいい。洋服やバイクや楽器その他いろんな商品もきっとそうだろう。"
  • 好きな音楽の傾向 | 田島貴男  DIARY

    「天国にぶっ放せライブ」のリハーサルのあと、 曲作りをしたのだが少し行き詰まった。 いま自分が作りたい音楽のイメージは見えてきているのだが、 具体的な形がはっきりしないので、 最近気になっている、 80年代に自分がよく聞いていて、 それ以降あまり聞かなくなった音楽を、 いろいろ聴いた。 あの当時に気付かなかった音楽の美味しいところに感動して刺激された。 80年代の音楽にしろ、 70年代のにしろ60年代のにしろ、 他の年代の音楽にしろ、 自分の好きな音楽の傾向は、 ロックの伝統を意識的に引き継ぎつつ、 豊かな感性を持って工夫を凝らして新しいアプローチをしている音楽だ。 伝統的なセンスを感じない音楽は、 なにか薄っぺらい感じがして面白くない。 新しい音楽だけれども、 そこに先人が作った素晴らしい音楽が投影されていない音楽は、 あまりいいと思えない。 新しいけれども伝統的な音楽が好きなのだ。 自

    好きな音楽の傾向 | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2012/03/02
    いい表現! → "新しい音楽だけれども、そこに先人が作った素晴らしい音楽が投影されていない音楽は、あまりいいと思えない。新しいけれども伝統的な音楽が好きなのだ"
  • 最新で最古のスタイル | 田島貴男  DIARY

    ひとりソウルショウはてっきり自分が始めたものだと思っていたが、 今日Youtubeを見ていて、 自分と似たようなことを超絶にやっている人たちを発見した。 昔の黒人ブルースマンたちである。 ジョン・リー・フッカーやミシシッピー・ジョン・ハート、 ブッカー・ホワイトなどの人たちの演奏である。 ひとりソウルスタイルが結果的に、 ブルースミュージックの要素を含んできていることは、 自分では意外なことだった。 ぼくがいままで持っていたブルースミュージックのイメージが、 いまガラッと変わりつつある。 ブルースミュージックは地味でシブい音楽では決してなく、 楽しげなダンスミュージックであり、 ワンマンバンドショウであり、 当時の最先端ポップミュージックであり、 大道芸であり、 一人芝居であり、 ピン芸人の芸であり、 ひとりヒップホップであり、 ひとりオモシロ音楽であった。 ひとりソウルショウはブルースミ

    最新で最古のスタイル | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/11/09
  • 反復、練習 | 田島貴男  DIARY

    ギターの奏法やらシンセの使い方やらライブのことや歌など、 練習したいことが山ほどある。 練習したいことは、 30代までよりも今の方が多い。 明らかに時間が足りないから、 なにを練習するかを選ばなきゃならない。 ジョギングをいま毎日欠かさず続けているのは、 反復し練習したいからだ。 「単調」とか「ふつう」に向かってゆくこと、 と言ったらいいのか。 反復し練習することが実際なのであり、 勝った負けたとか、 成功した失敗したとか、 たまに「奇跡的」などと言われる、 「一瞬の特別な結果」は、 反復し練習することの「オマケ」であるような、 反復し練習することの「影」であるような なにかそんな気がするときがあるんだ。

    反復、練習 | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/09/13
    > "反復し練習することが実際なのであり、勝った負けたとか、成功した失敗したとか、たまに「奇跡的」などと言われる、「一瞬の特別な結果」は、反復し練習することの「オマケ」"
  • 「なごり雪」についての覚え書き | 田島貴男  DIARY

    糸井重里さんが「なごり雪」についてほぼ日に書いていたので、 ぼくも自分への「覚え書き」のようにここに書いておこうかな。 「なごり雪」は依頼があって歌った曲だけれど、 歌ってみて好きになったんだ。 4畳半フォークが流行った時代の音楽の、 どこか夕焼け小焼け的な風景が若い頃苦手だった。 ぼくは洋楽志向で、 ちょうど10代の頃がパンク・ニューウェーヴの時代だったのでね。 正直いまもまったく抵抗がなくなった分けではないのだけれど。 でも「なごり雪」とか、 吉田拓郎さんの曲とか、 最近になってやっと、 あの時代のいくつかの素晴らしい曲に気付き始めている。 遅すぎるっつうの。 いろんな人がカバーしている「なごり雪」のなかで、 松任谷正隆さんがアレンジしたイルカさんのバージョンは、 シティポップス風なアレンジで、 僕もすんなり入っていけた。 オリジナルのバージョンよりもイルカさんのバージョンの方が、 歌

    「なごり雪」についての覚え書き | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/09/06
    > "日本人は昔から「季節」の変化を心の小さな痛みのように感じることができて、その小さな痛みを歌にしていた"
  • 作者不詳の流行歌 | 田島貴男  DIARY

    鶴見俊輔の「限界芸術論」を読んでいて、 柳田国男の民謡研究が紹介されていて面白い。 民謡は昭和初期に西条八十や野口雨情とかの流行歌の専門的作家が、 ビジネスとして作り始める以前は、 作者不詳の労働歌、作業歌が時代を超えて歌い継がれてきたものだったという。 20世紀は流行歌は作家やアーティストによって作られる時代だったが、 21世紀に入ってインターネットの時代になり、 これからはひょっとしたらふたたび、 「流行歌の作者が不詳」の時代がやってくる可能性も、 ゼロではなくなってきているのかとも思う。 ちなみに鶴見のの中で紹介されている柳田の民謡研究によると、 労働歌の表現には、 恋愛感情をダブルミーニングできる曖昧さがあり、 「ある実際的活動、茶摘みとか、臼挽きだとか、木やり、 草刈り、田植えなどを進めに必要な相互連絡の言葉が、 作業の必要上最小限の意味を越えて、 少しばかりのゆとりを持つよう

    作者不詳の流行歌 | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/08/18
    田島さん鶴見俊輔とか読むのかー / これって米国でいったらブルースみたいだ > 「民謡は(略)作者不詳の労働歌、作業歌が時代を超えて歌い継がれてきたものだったという」
  • 「生きもの」としての「ふつう」 | 田島貴男  DIARY

    今日も楽器屋を走り回り、 あたらしい楽器を見て回った。 アトリエの改装がもうすぐで完了する。 改装されれば、 アトリエにとっての「あたらしいふつう」が始まる。 ぼくらが住む町の「あたらしいふつう」は快適なものなのだろうか。 政府、公的機関の中枢が、 これほど実務的実際的な働きができなくなっているのを目の当たりにすると、 「あたらしいふつう」はどうやらなにか、 「ひとりで自分をなんとかできるか」が、 いままでよりももっとひとりひとりに突きつけられるような、 そういうちょっと厳しいところのある「ふつう」なのかもしれない。 でもそういう「ふつう」ならばなお、 ポップスをないがしろにしてはいけないんじゃないかと思う。 ポップスは英雄でもギャングでもない。 ポップスは正しくも強くもない。 ポップスは主義でも思想でもない。 主義や思想が生まれるよりもずっと前からある、 「生きもの」としての「ふつう」を

    「生きもの」としての「ふつう」 | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/07/29
    田島氏ポップス論
  • James Blake | 田島貴男  DIARY

    少々バテ気味だがひとりリハーサルをしてジョギング。 「白熱」のレコーディングが終わって、 しばらく音楽を聴いていなかったが、 そろそろ聴き始めようと思い、 去年あたりから海外サイトなどで話題に挙っていた、 James Blakeを聴く。 ノートブックパソコン一台で作ったような、 プラグイン楽器のシンプルな音楽だが、 エフェクトを施されたソウルフルで寂しげな歌がよい。 音数は極端に削ぎ落とされ、 ダブの影響が伺える。 音像が極端で独特。 全体に渡ってどことなくリリカルな雰囲気があり、 そこが魅力になっている。 プラグイン時代のブルーアイドソウルか。 こういう音楽を聴くと 日記をつけるように曲を作りたくなってくる。

    James Blake | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/06/28
  • 歌を分かっているかい? | 田島貴男  DIARY

    ミックスダウンの作業も残りが少なくなってきた。 ミックスが済めばあとはマスタリングをすれば完成である。 長かったアルバムレコーディングが終わりに近づいて、 嬉しいような不安なような、 なんとも言えない気分だ。 今回は音制作のほぼすべての作業を自分一人でやったのだから、 このまま最後の一手間までギリギリいっぱい、 私がいまやれることを力のかぎりやり尽くすつもり。 あとは聴いてくださる方々に音楽を委ねる。 そんなに堅苦しい音楽ではない。 たかが音楽、されど音楽、みたいなものだ。 自分の音楽をその作者が無理になにかの役に立てようとするのは、 どこかが間違っている気がする。 役に立てようと意図すると、 おかしなものになってしまう気がする。 役に立てようと意図すると、 もしかしたら意表を突いて役に立つかもしれない機会があったとしても、 それを嘘っぱちにしてしまう気がする。 音楽はそのように説明的なも

    歌を分かっているかい? | 田島貴男  DIARY
    yojik
    yojik 2011/05/31
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