「バルバリア海賊との海戦」、カストロ・ロレンソ画、1681年頃 アルジェリアの海賊船に乗り移って戦うイングランド水兵 バルバリア海賊(バルバリアかいぞく、英: Barbary pirates、またはバルバリア・コルセア、英: Barbary corsairs、またはオスマン海賊、英: Ottoman corsairs)は、北アフリカの主にアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊と私掠船乗員である。 概要[編集] 北アフリカの地中海沿岸地域は、ベルベル人が住んでいるので、ヨーロッパではバーバリ(バルバリア)海岸と呼ばれていた。それを根拠地とした海賊が、バルバリア海賊である。 その略奪行為は地中海全体に及び、西アフリカの大西洋岸や南アメリカ、さらには北大西洋のアイスランドまで広がっていたが[1]、主な活動領域は西地中海だった。船舶を捕獲することに加え、主にイタリア、フランス、スペイ
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