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2020年1月15日のブックマーク (2件)

  • 日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由(内藤 朝雄) @gendai_biz

    最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根的な解決にいたっていないのだろうか。 いじめは80年代なかば以降、人びとの関心をひく社会問題になったが、いじめ対策は効果をあげていない。 それは、学校に関する異常な「あたりまえ」の感覚が一般大衆に根強く浸透してしまっているからである。マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教委、教育学者や評論家や芸能人たちがでたらめな現状認識と対策をまき散らし、一般大衆がそれを信じ込んでしまうためでもある。 私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ。 きわめてシンプルな「いじめ対策」 いじめを蔓延させる要因は、きわめて単純で簡単だ。 一言でいえば、①市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖

    日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由(内藤 朝雄) @gendai_biz
  • 長篠の戦いの真実!三千挺の鉄砲隊も三段撃ちもウソだった? | ヨシ社長のブログ|バリ島の貿易会社

    ではでは、まずは! 『長篠の戦い』について簡単におさらい。 そもそも長篠の戦いとは? 『長篠の戦い』とは、三河国の長篠城の付近の設楽原(したらがはら)で、武田勝頼軍と織田信長・徳川家康の連合軍が激突した合戦。 1575年(天正3)5月、徳川方500名が立て籠もる長篠城を、武田勝頼軍1万5千が包囲! そこへ、織田信長・徳川家康の連合軍3万8千の援軍が、駆けつけます。 この圧倒的な兵力差を知った武田方の重臣達は、全員で撤退を主張します。 ところが、勇敢なうえに戦が強すぎた勝頼は開戦を決断! こうして、決戦の火蓋が切って落とされます。 戦いの経過を簡単に! いっぽう信長は、それまで徳川軍相手に連戦連勝だった勝頼の強さを、逆手にとった作戦に出ます。 武田軍が着く前に大規模な野戦築城を行なって、設楽原の自陣を城のように固めて武田軍を待ち伏せます。 徹底的に守りに入る訳ですね。 さらに、念の入ったこと

    長篠の戦いの真実!三千挺の鉄砲隊も三段撃ちもウソだった? | ヨシ社長のブログ|バリ島の貿易会社