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人生に関するyonksyのブックマーク (95)

  • 社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる - トイアンナのぐだぐだ

    社会の底辺の人とは関わってはいけませんという記事が挙がった。内容はざっとこんな感じだ。 第1階層 上級公務員、経団連加盟大企業勤務者、難関国家資格、成功した起業家。配偶者含む 第2階層 2流中規模会社勤務者。2流公務員 第3階層 中小企業勤務者、ニート 第4階層 フリーター、非正規社員、派遣社員、飲み屋、風俗嬢など売春婦 唐突ですが、第4階層の人とは、口聞いちゃダメです。理由は、頭が悪いからです。第2の理由は、貧乏だからです。そういう人が正常な精神状態を保てるわけがありません、なにをするかわからないのです。 第1階層だけなぜ配偶者込みなのか、ニートがフリーターより上にあるなど突っ込んだらキリがない。 実はこの筆者、別の記事で自分自身が第4階層の出身だと明らかにしている。 私は大学受験も失敗してすべて不合格になり一年浪人をして偏差値40の女子大へ進学しました。非正規労働者です。 当初、時給9

    社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる - トイアンナのぐだぐだ
  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
  • 人生の目標を20分で見つけ出す方法 | ライフハッカー・ジャパン

    『Personal Development for Smart People: The Conscious Pursuit of Personal Growth』の著者Steve Pavlinaさんは、自身のブログで、たった20分程度で人生の目標を見つける方法を紹介しています。 方法は以下の4つのステップです。 ステップ1: 紙を取り出す、もしくはワープロソフトを立ち上げる ステップ2:表題として「人生における当の自分の目標はなにか?」と書く ステップ3: この問いに対する答えとして頭に浮かんだことを次々列挙する ステップ4:泣けるまでステップ1~3を繰り返す。涙が出てきたらそれがあなたの目標。 答えを列挙するときは、文でなくフレーズやキーワードだけでもOK。 同じような答えが続いても構わないそうで涙が自然と溢れてくるまでどんどん書き続けることがコツ。一人になれる場所で集中して取り組むの

    人生の目標を20分で見つけ出す方法 | ライフハッカー・ジャパン
  • 妹と私

    ■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。 ■妹は15才年下。 ■妹ができたことはうれしかったけど、40代で子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。 ■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。 ■私が実家を出た時、妹はまだ3才。 ■妹の赤ちゃん時代の可愛さは異常。なんだあれは。毎日、学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡! ■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親に悪態をついたりしてみたかった。 ■上京してからは、妹と会うのはお盆と年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。 ■妹が小6の時、母から電話で苦笑まじりに言われた。 ■「あの子、あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫か

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  • 「まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

    40歳の節目。私は乳がんになった。 素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。 幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。 乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。 でも全然カンタンではなかった。 家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。 判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。 手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。 今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。 「もっと早く気づくことができれば・・・」「あの時あの治療を選択していれば・・・」「友人家族にもっと接する

    「まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌
  • 日本に、この人がいて、本当に良かった。高木正勝インタビュー | milieu(ミリュー)

    こんにちは、塩谷舞です。このWebメディア「milieu」を運営するのが生業です。 「社会的に意義のある記事を、広く届けなければいけない」とか 「記事を読んでくださる相手の時間を、1秒たりとも無駄にしてはいけない」とか そんな勝手な責任感により、一所懸命にやってます。 が、「あなたの記事を読むのはエネルギーが必要で、今は、ちょっとしんどい」と言われることもある。 だれかの「全力」は、調子じゃない人にとっては、ちょっとしんどい。でもその「しんどい」という声は、私にはほとんど届かないから、私は知らずに、かなり多くの人を疲れさせているのかもしれない。 私の記事だけではない。インターネットをひらくと「お前も頑張れ!」という無責任なエールが四方八方から飛んでくる。 Facebookで流れてくる「お友達」の輝かしい仕事の成果。 Twitterで流れてくる「成功者」のインタビュー。 Instagram

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  • 12時間円柱を描きつづけてはじめてわかったこと。「気づく」までにはたくさんの時間がかかるのに、みんな先に教わってしまうんだね。 | ■ 暮らしの旅あるき  ■

    4月から美大の学生になった。 美大といっても、大学生と一緒に通う形のもんじゃなくって、ムサビが社会人向けにやっている各種学校のほう。 普通に19歳と一緒に美大に入るには、私にはほかの生活がありすぎるので、1年分のカリキュラムを、私は週2日づつ2年かけてやってる。 これは人生のリベンジなんである。 とにかく、どうやったって絶対絵を描きたくて、学びたいのは美術で、ほんでもって高校の美術の先生も「君は絶対美術系に進みなさい」って言ってくれてたにもかかわらず、親に強固な権力行使をされて普通大学にしか学費を払ってもらえなかった。ってか、それ以外は選択の余地なしで、父親のDVも恐ろしかったので、そうするしかなかった。 今の時代、得意なものを探せ、やりたいことをみつけろ、進路を早めに定めろってさんざん言われてるのに、当時、それをちゃんと高校一年生から定めていた私は、ちっともやりたいことなんて選ばせてもら

    12時間円柱を描きつづけてはじめてわかったこと。「気づく」までにはたくさんの時間がかかるのに、みんな先に教わってしまうんだね。 | ■ 暮らしの旅あるき  ■
  • 僕はジョブズではないということを理解するのに30年近くかかった話 - 発達障害就労日誌

    さて、いよいよ新卒の皆さんもXデイが近づいて来ましたね 2月も半ばを過ぎました。このブログが始まってもう半月以上が過ぎたわけです。早いものですね。さて、新卒の皆さん、残った猶予時間も少なくなってきましたね。思い残すことはありませんか?十分にモラトリアムを満喫しましたか?泣いても笑ってもあと一ヶ月と少しです。悔いを残さないようにやりたいことをやってください。 僕も、3月に向けて新卒向けの「生存手引き書」シリーズを完結させる予定です。それに向けて、僕の失敗談を少し書き連ねて行こうと思います。 僕のキャリアは文句のつけようのないホワイト企業から始まりました。もちろんそれなりの激務感がゼロだったわけではありませんが、一般的な水準から見れば給与は高く、休みは多かったと思います。福利厚生はこれ以上ない水準で揃っており、教育環境は極めて高いレベルで完備され、正しく文句なしの職場でした。大学4年生の2月の

    僕はジョブズではないということを理解するのに30年近くかかった話 - 発達障害就労日誌
  • http://blog.lalamiamor.net/entry/2017/02/12/171602

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  • 「ふたりの人生は、何がちがったの?」。格差社会にメッセージを投げた漫画

    努力をすれば報われる。それは正しいことかもしれないけれど、きっと現実はそれだけじゃないはず。誰にでもチャンスがある世界にするためには、何が必要なのか? そんな問題を描いた、Toby Morrisさんのマンガ。 貧しい家庭に育った子供が、貧しいままになってしまうという現象は「貧困の再生産」とも呼ばれ、その視点をわかりやすくまとめたこの作品はアメリカでも話題になりました。

    「ふたりの人生は、何がちがったの?」。格差社会にメッセージを投げた漫画
  • 教師との恋愛という罪の告白

    先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。 当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。 気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃で

    教師との恋愛という罪の告白
  • 「LGBTのショートカットの道を作って消えていく人になりたい」牧村朝子さんの生き方、働き方 - りっすん by イーアイデム

    LGBT」という言葉をご存じですか? 最近では「ダイバーシティ(多様性)」と合わせ、企業の取り組みとして見聞きすることが増えたかもしれません。LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取った、性的マイノリティの総称の一つ。 LGBTという言葉は知っていても、その存在を知っていても、どう接すればいいのか、何を配慮すればいいのかわからない……はたらく女性の深呼吸マガジン『りっすん』では今回、タレント・文筆家の牧村朝子さん(まきむぅ)にお話を伺いました。牧村さんはフランス人女性とフランスで結婚し、現在はパートナーとともに東京で暮らしながら、自らの体験をもとに執筆・講演活動をしています。牧村さんが当事者としてLGBTについて考えていること、伝えたいことをお聞きしました。 3回落とされたけれど「オフィス彩」にどうしても入りたかった 牧村さんが今のお仕事に就かれる

    「LGBTのショートカットの道を作って消えていく人になりたい」牧村朝子さんの生き方、働き方 - りっすん by イーアイデム
  • 「表に出よう。飛び込め。続けるんだ」これがオバマ大統領退任スピーチ全文だ

    アメリカのオバマ大統領が1月10日、シカゴ・コンベンションセンターで行った退任演説は、およそ1時間に及ぶ異例の長時間スピーチとなった。 2期8年の成果を強調するだけでなく、建国以来アメリカが培ってきた民主主義の価値観を守り抜くことを若い世代に訴え、涙を見せながら家族に感謝する姿は、多くの人の心を揺さぶるものとなった。

    「表に出よう。飛び込め。続けるんだ」これがオバマ大統領退任スピーチ全文だ
  • 無趣味卒業!趣味がない人におすすめの「お金がかからない趣味」15選 - ホビヲログ

    「嗚呼、趣味がない。人に言える趣味がない。履歴書に書ける趣味がない。これと言った趣味がない。何かいい趣味はないだろうか」 そんな悩みを持ったことはないだろうか。 何かに夢中になる人、熱中する人は素敵だ。輝いている。人生を謳歌している。自分もそうなりたいと思う。 では、そんな趣味にどうすれば出会えるのだろうか。 「30日間チャレンジ」で好きなことを趣味にする 元グーグル社員のマットカッツ氏は言う。「毎日ちょっとのことでいい。30日間チャレンジすれば習慣になる。それを続ければ人生が変わる」と。 ひとつテーマを決めて、毎日欠かさずにやってみるのはどうだろうか。 たとえば、アントクアリウム、人生の100のリスト、ストリートビュー、NAVERまとめ、百人一首、四コマ漫画、ぐるっとパス、早起き、あいうえお作文、エスペラント語、ポケモンGOラーメン二郎、はてなブログ、なんでもいい。 習慣になれば、やら

    無趣味卒業!趣味がない人におすすめの「お金がかからない趣味」15選 - ホビヲログ
  • Jリーガーだった。

    Jリーガーだった。 つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。 山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕