「命を奪う」という表現がある。べつになにがどうまちがっているわけでもなく、じつに頻繁に使われているし、おれも使う。だが、ちょびっと頭の隅でいつも気になっていることがある。 たとえば、「財布を奪う」などの場合、財布は奪った者の手に移るわけである。だが、「命を奪う」場合、奪われる者は財布と同じように命を失うのだが、奪ったほうの手に命が移るわけではない。命はただ消えてなくなるだけである。これを果たして、「奪う」と能動的に表現してしまっていいものなのだろうか――と、いつも悩むのだ。もしかしたら、命などは、「奪われる」ことだけが可能であって、「奪う」ことはできないのではなかろうか? 幸福なんかもそうだ。「あの男が私たちの幸福を奪ったのよ」と言う場合、私たちが幸福を失ったことは事実かもしれないが、じゃあ、私たちの占有を離脱した当該の幸福を「あの男」が横領することによって、「あの男」がそのぶんの幸福を享