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2015年4月29日のブックマーク (5件)

  • 反日疑惑 8.6秒バズーカーが「文春さんマジでお願いします!」 | 特集 - 週刊文春WEB

    「♪ラッスンゴレライ~ラッスンゴレライ~」「ちょと待ってちょと待ってお兄さん~」。デビューから1年たたない内に大ブレイクを果たした吉興業のお笑い芸人「8.6秒バズーカー」。ネタ作り担当の田中シングル(24)と公称170cm、80kgながら“やせたらイケメン”と言われるはまやねん(24)のコンビは中学の同級生だ。下積み経験なしでのブレイクは異例だが、早くも大逆風にさらされている。 「4月初旬ごろからネット上で彼らの芸名や芸が『反日的だ』という書き込みが急増して、炎上しています。曰く『8.6秒というコンビ名は広島に原爆が投下された8月6日を意図したもの』『ラッスンゴレライは原爆投下時のアメリカ側の合図と同音』『決めポーズが広島の原爆の子の像や長崎の平和祈念像に似ている』などなど。『chotto matteという名前のB29も存在した』など真偽不明の情報も出回り、収拾がつかない状態です」(芸能

    反日疑惑 8.6秒バズーカーが「文春さんマジでお願いします!」 | 特集 - 週刊文春WEB
    youichirou
    youichirou 2015/04/29
    真に受ける人がいるってのが信じられない。でも、FBのタイムラインには真に受けたような人がいくつも流れてくる。
  • 220TB分のデータをカセットテープに保存する、IBMの新技術

    220TB分のデータをカセットテープに保存する、IBMの新技術2015.04.29 10:008,280 scheme_a カセットテープ、まだまだ健在です! CDの登場と共に、カセットテープは絶滅したと思われていました。しかし驚くなかれ、磁気テープは未だに格安のデータストレージとして活用されているのです。 しかもIBMは、カートリッジ一つになんと220TBものデータを押し込む方法を発見したのです。ハードドライブの競争に思わぬダークホースといったところでしょうか。 富士フィルムの科学者達と共同で開発にあたったIBMの研究者達は、1インチ四方の磁気テープに1,230億ビットの無圧縮データを収納することに成功しました。これはおよそ15GB分のデータになります。より小さなmicroSDカードが200GBの容量を持つ事を考えるとそこまで大きな成果ではないように見えますが、磁気テープはmicroSD

    220TB分のデータをカセットテープに保存する、IBMの新技術
    youichirou
    youichirou 2015/04/29
    話のマクラとはいえ、カセットテープとストレージ用磁気テープを一緒に語るのは非常に乱暴な気がする。
  • AIBOもバイオノート505も!70年代から現代までのソニーがわかるイベント開催! - 週刊アスキー

    ソニーは4月29日から6月14日までの期間、銀座ソニービル8Fにて70年代から現在に至るまでのガジェット約30点を展示するイベント『Sony Design:MAKING MODERN~原型づくりへの挑戦~』を開催する。入場料は無料。開場時間は11時から19時まで。ソニーの一貫して“人のやらないことをやる”というチャレンジ精神から時代を象徴する数々の製品デザインを生み出し、それに共感したニューヨークの出版社Rizzoli International Publicationsが『Sony Design:MAKING MODERN』を出版した、記念イベントだ。 ひと足先にメディア向けに説明会が行なわれたので、展示製品を紹介する。気になった方はぜひ現地でご覧いただきたい。 FM/AM 2 BAND RECEIVER ICF-7500 1976年に発売されたチューナー部とスピーカー部が分かれるポータ

    AIBOもバイオノート505も!70年代から現代までのソニーがわかるイベント開催! - 週刊アスキー
    youichirou
    youichirou 2015/04/29
    ソニーとしては切り捨てたプロダクトを偉業として誇るのはなんかもやもやする。
  • 小渕優子氏:法の網くぐる政治家 本人は不起訴 - 毎日新聞

    youichirou
    youichirou 2015/04/29
    某議員さんに聞いた話では、ある程度以上の議員になると誰でもこんなのは日常茶飯事で、さらに両陣営ともだいたい把握していて、「これを問題にするってならあの件をリークするぞ」とカードの出し合いになるとか。
  • 【戦後70年】「帝国海軍の大艦巨砲主義」に反論…「戦艦大和会」顧問が数々の疑問を解き明かす(1/4ページ)

    戦艦「大和」はなぜ呉で建造されたのか。日海軍は航空戦到来の時代を見誤ったのか。戦後70年の特別企画として3月下旬、大阪市内で開催された「零戦(れいせん)と戦艦大和講演会」(産経新聞社など主催)。そこで大和の元乗組員や遺族らでつくる「戦艦大和会」顧問の相原謙次氏(60)がそんな数々の疑問を解き明かした。 《広島・呉で大和、主力艦が造られた理由について、呉の市街地や呉海軍工廠の写真などを紹介しながら、その繁栄や技術開発の歴史を解説》 江戸時代末期に江戸幕府が横須賀、横浜に鉄工所、造船所を造ったが、そこへ簡単にアメリカの黒船が入ってきた。 明治政府では、「横須賀では安心して主力艦の研究開発、建造ができない」と、内海奥深く気候温暖である呉に造船所を置くことを考え始めた。 明治16年2月10日、後に大阪市長になる肝付兼行(きもつきかねゆき)(1853~1922年)が呉を測量。19年、鎮守府をつくる

    【戦後70年】「帝国海軍の大艦巨砲主義」に反論…「戦艦大和会」顧問が数々の疑問を解き明かす(1/4ページ)