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歴史に関するyoukokittyのブックマーク (10)

  • 会津藩からみた北越戊辰戦争

    会津藩からみた北越戊辰戦争記事は、幕末ヤ檄団様の09年夏コミ発行の、『明治維新-会津戦争Ⅱ編-』に寄稿させて頂いた記事を転載した物です。 戊辰戦争の際、会津藩は各地に出兵したが、「白河口」や「日光口」の会津藩兵の動向は広く知られているものの、日海側の「越後口」での会津藩の動向についてはあまり知られていないと言うのが実情だろう。しかし戊辰戦争が始まる遥か前から、会津藩は越後内の利権を狙っており、戊辰戦争が始まったのを契機に、単に国境防衛だけではなく、その利権を狙って会津藩兵は越後に出兵したのである。純軍事的な出兵と言える白河口や日光口とは違い、越後口への出兵は政治的な利権を狙った出兵だったと言えよう。 この項では、そのあまり知られていない会津藩兵の越後口への出兵が、どのような背景で行われ、そしてどのような過程を得て挫折したのかを検証したいと思う。 会津藩の新潟港への野望 領地に海を持

  • 歌会始 - 宮内庁

    人々が集まって共通の題で歌を詠み、その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは、「万葉集」によって知ることができます。 天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに、毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。 歌御会始の起源は、必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期、亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており、『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後、年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから、歌御会始の起源は、遅くともこの時代、鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。 歌御会始は、江

  • チェルノブイリ原子力発電所事故 - Wikipedia

    事故当時、チェルノブイリ原子力発電所では4つの原子炉が稼働中で、さらに2つが建設中だった[19]。原子炉はいずれもソ連が独自に開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉で、熱出力が320万キロワット、電気出力が100万キロワットのRBMK-1000であった[19]。 黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉は、重水を使わなくても運用できるが高出力、低出力の時に炉は不安定となる[20]。 1986年4月25日、4号炉は保守点検に向けて原子炉を止める作業中で、この機会を使っていくつかの試験を予定していた[21]。黒鉛制御棒型の炉において、核分裂により生じた中性子を吸収、核の連鎖反応を防ぐのは炉心内を循環する冷却水である。非常時に備え冷却水循環ポンプ用ディーゼル発電機は有るものの、起動から、循環水ポンプが必要な出力になるまでに数十秒を要する。そこで、冷却水用電源ロスからディーゼル発電機の起動〜十分な出力を得る

    チェルノブイリ原子力発電所事故 - Wikipedia
  • 「中国のマスコミと石原慎太郎」(その3)

  • ガザの隣国

    ●エジプトに初めて来たのは1988年の10月。自転車一人旅でギリシャからアレキサンドリアに入り、サハラ、シナイ砂漠地帯を抜けてガザに向かったことを思いだす‥‥遊牧民にラクダと自転車を交換しないかと尋ねられたことは忘れられない。 第三次中東戦争の傷跡がそのまま残り、地雷原を横目に進んだ。ガザでは、常に緊張感が漂って投石や争いが耐えなかった。 教えられなかった歴史がショックだった‥‥ ●モスクがあった神戸生活の際にイラクからの医師やNGOスタッフを招き講習会を開いたが通訳をお願いした方はエジプト人だった。 今回ツアーの合間、エジプトの人権保護活動のNGOスタッフと会い、情報収入とカンパを手渡した。微妙な情報もあるのでブログ発信は減らしている。 下記は、前回のブログで紹介した20日に届いたJIM-NETからの転送だ。それぞれができることを細く長く‥‥吉村 ‥‥‥‥‥‥‥ 皆様、お元気でしょうか?

    ガザの隣国
  • 2010-09-01

  • 東京新聞:朝鮮人虐殺『異様だった』 関東大震災から1日で87年:埼玉(TOKYO Web)

    一九二三(大正十二)年九月一日の関東大震災は、地震による建物の倒壊や火災で多くの死傷者が出ただけでなく、差別と流言飛語で常軌を逸した一般の民衆が多くの朝鮮人を虐殺する陰惨な事件を引き起こした。県内も例外ではなく、特に被害が大きかった県北部では、熊谷市で七十〜八十人、庄市で八十〜百人、上里町で四十数人が犠牲になったといわれる。今年も九月一日に慰霊の追悼式が行われる。(柏崎智子)

  • 「皇室とハンセン病」

  • 親は関係ねえだろ、親は! - ・・行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ・・

    防災関連・物品・正しい情報など個人で追求している防災ブログです。備え は自分の為ではなく身近な弱者様用と考えましょう。 苦しんでいる人を救いたい これまでも、そしてこれからも変わらぬ赤十字の想いで、命を守ろう。暮らしを救おう。 * 日赤十字社 * 人間を救うのは、人間だ。 戦争のたびに傷つけあい、憎しみあってきた人類の歴史に、人道という貴い思想の第一歩を刻み込んだアンリー・デュナン。彼の説いた思想は150年をかけてあまねく広がり、現在、紛争や災害、病気、老いや貧困などに苦しむ人々を救うために活動する赤十字社、赤新月社は世界186社にのぼっています。 日赤十字社もまた、「苦しんでいる人を救いたい」という基理念のもと、国内外で様々な活動を展開しています。そしてその中には、私たちが参加できるものもあります。それはどんな活動か……、日赤十字社について知ることから始めてみませんか。 苦しんで

    親は関係ねえだろ、親は! - ・・行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ・・
  • 信濃毎日新聞[信毎web] 平安時代の佐久地方に国内史上最大規模の天然ダム

    平安時代に現在の南佐久郡小海町一帯で発生した山体崩落で千曲川がせき止められてできた天然ダムの規模が、国内史上で最大規模だった、とする研究成果を県内外の専門家がまとめ、26〜28日に長野市で開く砂防学会で発表する。天然ダムの湛水(たんすい)量は黒部ダム(富山県)の約2・9倍にあたり、天然ダムはその後決壊して、東北信一帯が大きな水害に見舞われたと説明。専門家によると、同町内などにいまも点在している巨大な岩はダム決壊で運ばれたとみられる。同郡内の「小海」などの地名も、天然ダムと関係がある可能性が高いという。 研究をまとめたのは、砂防フロンティア整備推進機構(東京)の井上公夫技師長や県埋蔵文化財センター(長野市)の川崎保調査研究員ら。 一帯の山体崩落については、元信大教育学部教授の故河内晋平氏の研究で、887(仁和3)年に八ケ岳北部で山が崩壊して一気に崩れる「岩屑(がんせつ)なだれ」が発生し、

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