ブックマーク / www.daiwashobo.co.jp (16)

  • 大和書房WEB連載

    この連載がになりました。 <2020年3月12日発売> 『スゴ母列伝 いい母は天国に行ける ワルい母はどこへでも行ける』 詳細はこちら 国連で怒りのスピーチをぶちかました16歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんを見て、『長くつ下のピッピ』を思い出したという人は多い。学校に通わず、権威に屈せず、自分が正しいと信じることのために大人たちと渡り合うパワフルな三つ編みの女の子ピッピは、児童文学から生まれたスウェーデンの国民的ヒロインである。少女のひとりストライキに国民が賛同して一大ムーブメントになるぐらい女子供の声が重んじられているのは、いかにもピッピの国らしい。 一方日は、「もし手前どもの娘なら大人に向かって口のきき方もわからないのか、と張り倒す」とグレタさんに暴力ふるう気満々の男性文化人のツイートが何千もリツイートされるくらい、「女子供はすっこんでろ」という風潮が根強い国である。ついつい

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  • 大和書房WEB連載

    この連載がになりました。 <2020年3月12日発売> 『スゴ母列伝 いい母は天国に行ける ワルい母はどこへでも行ける』 詳細はこちら NHK大河ドラマ『いだてん』をご覧になった方なら、白石加代子演じる三島和歌子にすでに心を射抜かれ済みだと思う。そう、跳んできた野球ボールを仕込み杖で斬る鮮烈なデビューを飾ったあの女傑である。 明治の筋肉パリピ集団「天狗倶楽部」の花形メンバーかつ日初のオリンピック選手・三島弥彦の母であり、ベストセラー悲恋小説『不如帰』の意地悪姑のモデルにされた女西郷といえば、彼女のこと。 日史的には、日銀総裁・三島弥太郎の母であり、自由民権運動を弾圧した警視総監・三島通庸(みちつね)を支えたといったほうが、通りがいいだろう。 そして仕込み杖を常に所持していたのは史実である。ただし、仕込み杖を携帯していたのはボールを叩き斬るためでも、映画版『不如帰』にブチ切れるためで

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  • WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第32話 修羅場

  • WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第29話 被害と加害について

    「目の前にいる、生まれたばかりの赤ちゃんである我が息子。この子が、男であることがなんか、嫌」 ある日、自分のそんな奇怪な感情に気づいた、漫画家・田房永子。上の娘が赤ちゃんの時にはこんなこと思わなかったのに。 思えば中学、高校と6年間女子校に通い、生身の男子との交流に飢えながら、少女漫画でファンタジックな男性観を培い、しかし実際に出会い接触するのは「痴漢」という性的な恐怖を与えてくる男たちのみだった──。 もしかして自分は、強烈な男性嫌悪者かもしれない。このまま、男の子を育てるなんてしてはいけない。己の歪んだ男性観の矯正に挑む、ド直球日常報告エッセイ! ワイ君が生まれてから、夫との関係は穏やかだった。とにかく大人2名で子どもが2人いる生活を回すことに精一杯で、余計な喧嘩はできなかった。 だけど夫がなんとなく冷たくなったりすることがあった。 そんなにすごくはないけど、なんか気にかかるくらいの冷

    WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第29話 被害と加害について
  • WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第26話 私は男性を嫌悪などしていない! 後編

    「目の前にいる、生まれたばかりの赤ちゃんである我が息子。この子が、男であることがなんか、嫌」 ある日、自分のそんな奇怪な感情に気づいた、漫画家・田房永子。上の娘が赤ちゃんの時にはこんなこと思わなかったのに。 思えば中学、高校と6年間女子校に通い、生身の男子との交流に飢えながら、少女漫画でファンタジックな男性観を培い、しかし実際に出会い接触するのは「痴漢」という性的な恐怖を与えてくる男たちのみだった──。 もしかして自分は、強烈な男性嫌悪者かもしれない。このまま、男の子を育てるなんてしてはいけない。己の歪んだ男性観の矯正に挑む、ド直球日常報告エッセイ! 私は、自分が発する「痴漢する男って、こういう心理なんじゃないかと思うんですよ」という意見は、男性にも有益なものだと思ってた。加害者の心理を分かっていたほうが、冤罪を闇雲に怖がらず対策を取りやすいのではないかと思うからだ。 そういったことを前提

    WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第26話 私は男性を嫌悪などしていない! 後編
  • WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第25話 私は男性を嫌悪などしていない! 前編

    「目の前にいる、生まれたばかりの赤ちゃんである我が息子。この子が、男であることがなんか、嫌」 ある日、自分のそんな奇怪な感情に気づいた、漫画家・田房永子。上の娘が赤ちゃんの時にはこんなこと思わなかったのに。 思えば中学、高校と6年間女子校に通い、生身の男子との交流に飢えながら、少女漫画でファンタジックな男性観を培い、しかし実際に出会い接触するのは「痴漢」という性的な恐怖を与えてくる男たちのみだった──。 もしかして自分は、強烈な男性嫌悪者かもしれない。このまま、男の子を育てるなんてしてはいけない。己の歪んだ男性観の矯正に挑む、ド直球日常報告エッセイ! 18歳の私は、男になりたかった。男だったら夜までバイトできるし、できるバイトの種類も多いし、いいなーと思ってた。バケラッタをあげた彼氏はホームセンターでバイトしてて、そのお金を貯めて大きなバイクを買って、それに乗って1人で釣りに行ったりしてた

    WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第25話 私は男性を嫌悪などしていない! 前編
  • WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第17話 父への手紙

    「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました〜田房永子

    WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第17話 父への手紙
  • WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第16話 世界の中心は樹木希林

    「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました〜田房永子

    WEB連載:「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました 田房永子 / 第16話 世界の中心は樹木希林
  • 大和書房WEB連載

    この連載がになりました! 2019年6月22日発売 『「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました』 詳細はこちらへhttp://www.daiwashobo.co.jp/book/b452138.html

    大和書房WEB連載
  • WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol14

    11月15日、雨宮まみさんが急逝されました。 何歳になろうと、周囲にどう思われようと、自分の信じる道を強く美しく生きよう、と読者を励ましてくれたこの連載に、多くの方が救われてきたと思います。 今はただ、雨宮さんのご冥福を心よりお祈りしております。 私の世代の人間は、若いころから「自撮り」をしてきた世代ではない。そして、自撮りが流行り始めた頃には30代後半になっていて、自撮りをやっている若い子たちはというと、アングルもキメ顔もこなれているし、アプリの使い方も上手いしで、もうぜんぜんそのテクニックにはついていけないし、自分で自分の最高値を素直に叩き出そうとする感覚そのものが、私にはなんだか恥ずかしくて「無理!」という感じだった。たまに一人で、iPhoneに向かってキメ顔なんて……。iPhoneのカメラを自撮りモードにして自分の顔を見るだけで、「ッカー!」と謎の奇声を発しては、シャッターを押せず

  • WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol12

    8月の終わりに、オールナイトのAV上映イベントに出演した。外に出るともう明るくなっていて、私は楽しかったイベントの余韻を引きずっていたし、このまま帰っても興奮したまま眠れないんじゃないかと思って、「あと一時間待って、映画観る!」とぐずり始めた。友達のAV監督の今田さんが、「じゃあお茶でもつきあうよ」と言ってくれ、早朝のミスドでドーナツをべ、コーヒーを飲むことにした。 今田さんは、私よりも1つ年上で、学年は同じ、みたいなやつで、ほぼ同い年みたいなものだ。通ってきている文化が似ているのと、今田さんのどっか力の抜けまくった柔らかい感じに油断して、私はわりと、今田さんには警戒の壁を下げて自分の話をしてしまうことが多かった。 今田さんは、今年、長年所属していたAVメーカー・ハマジムを会社都合で退社することになり、「ハマジム以外でAVを撮る気はないから」とAV監督引退宣言をしたばかりだった。もともと

  • WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol09

    40歳を前にして、急にそれまでに会ったことのないような人種の人と出会うことが増えた。野心があって、自分のしたいことに正直で、てらいがまったくなく、噓もないパワフルな人たちである。そして、そういう人たちはもれなくすごく軽やかで、自分に嘘がないから健やかでもある。 私は自分自身が、どちらかというと内向きな人間で、野心はあるものの、それをはっきり表に出すのはなんだか恥ずかしく、欲しいものにパッと手を伸ばすことができない人間である。そんな自分にとって、真っ直ぐにパワフルな人たちはまぶしすぎて、どうしても劣等感を感じてしまうから、無意識のうちにあまり近づかないようにしていたところがあった。出会っても「あの人は私とは違う」と、どこか一線を引くようなところもあった。 でも、そんなことをしていられなくなった。実際に会って、その人たちの屈託のなさ、ためらいのなさ、妥協のしなさ、自分を曲げない意志の強さ、世間

  • 大和書房・WEB連載〜40歳がくる! 雨宮 まみ

    一年に一度だけ会う友達がいる。九州から年に一度上京してくる人だ。インターネット経由で知り合った人で、ブログはたぶん十年近く読んでいるのに、会ったことは数回という不思議な感じの関係で、上京してきたときに他の友達や、彼の奥さんと一緒に会う、というのがここ数年の習慣になりかけている。 今年も同じように、会うことになったのだが、そのときにこんなことを言われた。 「今年の雨宮さんは、勢いすごいですね。買い物もたくさんしてるし、地方の取材も自腹でバンバン行ってるし、やっぱり東京で生き残っていく人って、そういうパワフルなところがある人なんだなぁって感じしますね」 違う違う、そうじゃ、そうじゃない! と思わずミラーサングラスをかけて鈴木雅之を歌いそうになる気持ちをぐっとこらえた。 確かに今年に入ってからの私の金遣いの荒さは尋常じゃなかった。生まれて初めてハイブランドのバッグを買うぞ! と決めてGUCCIの

  • WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ Vol.6 - 親が死ぬ

    2015年の年始に、友達との新年会で、親との関係の話になった。私は親と、特別仲が悪いわけではないし、年に1~2回は帰省している。が、帰省して泊まるのは祖母の家で、自分が家を出てから、実家に泊まったことは一度もない。主な理由は、父だった。 私と父の関係が微妙になったのは、もとをただせば、当にくだらない話だ。まず、うちの父は厳しかった。娘を公務員にしたがっていて、九州大学に入れたがっていた。そして品行方正になってほしかったのか、単に心配だったのか「日が暮れたら外出禁止」という門限が課せられていた。そんなのは、私の世代でも、田舎の話であっても、ありえないくらい厳しい門限だった。 私は中学生の頃から、音楽を聴くことが好きになった。まず爆発的にハマってしまったのが、なんとB'zである。しかしこんな門限でライブなんか行けるはずもない。お金もない。私は知恵を絞り、土日だけ梅ヶ枝屋で時給500円のバイ

  • WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol02

    40歳が近づいてきて、まず最初に焦ったことは「仕事」だった。ライターの世界ではよく言われることだが、「自分より年上のライターとは仕事しにくい~って理由で編集者の依頼が途絶える」というのはほぼ定説だし、自分の書いているものが同世代の女性に向けてのものが中心なため、年齢層が上がっていったらどうなるのか、正直予想がつかなかった。 女性エッセイの棚は、だいたいキラキラしていて、20代~30代向けという感じがする。そもそも私のは、そのキラキラ棚の片隅の「キラキラしてるやつとはちょっと違いますよ」的なポジションに置かれているのが現状だ。とりたてて詳しい専門分野もないのに、この世界でこの先、ご飯をべて家賃を払っていけるのだろうか。 何かこれというジャンルを見つけて、今からでも勉強して知識をつけるべきなのだろうか。でもそれって、自分のやりたいことなのだろうか……。そんなことを考えていたとき、祖母が亡く

  • 大和書房・WEB連載 - 40歳がくる! 雨宮 まみ

    40歳になったら、死のうと思っていた。」桐野夏生『ダーク』の有名な冒頭の一文である。この一文のあと、主人公の女探偵は、自分のこれまでの人生に決着をつける旅に出る。 私の中で漠然と、40歳というものはそういうものだという認識があった。覚悟を決めたり、何かをつきつめたり、しっかりと定まった目標に向かってゆく年齢。若くはないとしても、その姿を想像すると、意志のあるそんな40女の顔は、どんなにかっこいいだろうと思っていた。 実際のところ、40歳というものが、自分にもやってくるのだと実感したのは、37歳になったときだった。自分は「なんとなく35歳ぐらい」だと思っていたのに、ぐっと「だいたい40歳」側に近づいた感じがした。 30歳になるときに、こんなことはなかった。そりゃあもう、30歳になるということは怖かったから、25歳のときから心の準備をして、年が明けるごとに誕生日より早く「今年は26歳になるん

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