2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。
![DELIC short history(2009年『アイデア』337号)|bxjp](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/726f5a2063267774e1576383fe4300f2d8a77368/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F46753033%2Frectangle_large_type_2_89824efde67659dbcb68984433c1628b.jpg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)
インターネットで渋谷系が盛り上がったって話を『教科書~』やその他で何度かしてるんですけど、第三者からすると理解が難しいようです。その話を聞いた人の反応は「趣味があう人と話せたら盛り上がるよね」という感じかと思います。ちょっと違うんですね。ここではいつもより若干細かく説明しましょう。 渋谷系というのはリスナーの文化です。実際のところ、ミュージシャンが主導したのではありません。送り手と受け手を分けた場合、受け手が主導したという意味です。送り手側の多くが否定的に渋谷系を捉えたのは、そこに自分たちが主導でない何かを読み取ったからでしょう。まあ、ジャンル名なんてだいたいそうなんですけども。音楽家は音楽をやってるだけなのに、そこに別の意図や括りを見られて居心地が悪い、というのはよくある話だと思います。もちろんリスナー型のミュージシャンが先導したという言い方はできますね。 で、渋谷系というのはだいたい1
インターネットと音楽、日本のネットレーベルとその周辺(2011年『HOMEMADE MUSIC 宅録~D.I.Y.ミュージック・ディスクガイド』) インターネットと音楽、日本のネットレーベルとその周辺 ネットレーベル、同人音楽、東方アレンジ、ニコニコ動画、初音ミクなどのキーワードに代表される、インターネットと親和性の高い音楽が持つ姿勢は、自宅録音について語る際に時々用いられる「ベッドルームからの革命」という意識とは、似ているようで少し違うかもしれない。彼らのほとんどは個人制作だが自宅という場所はそれほど重要ではない。彼らの革命はデスクトップからはじまる。デスクトップはもちろん実際の机上ではなく、パソコンを立ち上げて最初に表示される基本操作画面のことで、ここから音楽制作ソフトを起動し、インターネットに接続し、ファイルをアップロードし、たまにCD-Rを焼いたりする。ラップトップと無線LANがあ
今、インターネットを介して起きている音楽の特殊な動きは、まだ貴方の目の前にほとんど現れていないと思う。それは能動的に知ろうと思わなければいつまでも知らないままでいられるものであり、だが、これから先登場する様々な文化の先行形態にもなり得るものだ。そこを少し説明したい。 現在、YouTubeやニコニコ動画などの動画配信サイト、および基本データのみで完結するネットレーベルなどを舞台に行われている音楽活動は、送り手と受け手の距離が非常に近い。彼らは自分達のルールに則った創作活動を行う。ルールとは記号の共有で(初音ミクはなぜネギと親和性が高いのか?)、それは作品自体では説明されず、どこかで学ばなければいけないし、暗黙の了解なら大量の作品を消費しなければならない。そうした記号が積み重ねられるほど、その表現はいわゆる「内輪向け」の状態にある。これを「仲間内で盛り上がっているだけ」と切り捨てるのは、以前な
音楽の話をしている最中に「『SUBURBIA SUITE』が~」と言ったら「ちょっと待って下さい、なんですかそれ」と話を止められる経験をしたことがありますか? ワタシはあります。ついさっき。これはいかん、受け継がれてないぞ、と思ったので、軽く説明します。たった一人のために(でも有料記事)。 「SUBURBIA SUITE」は一番最初は橋本徹さんが発行していたフリーペーパーの名前でした。Suburbia Factoryの橋本さんが発行するのが『SUBURBIA SUITE』という関係性でしたが、活動を続けていくうちに「SUBURBIA SUITE」も屋号のようになって、現在ではこの名称は橋本さんの一人ユニット名のような位置づけです。たんに「SUBURBIA」とだけ書かれる場合もあります。1992年時点の自己紹介文によると「選曲、編集、デザイン等に貫かれたソフィスティケイトされたセンスが話題の
これで今月の更新は以降は不定期になります。この記事は渋谷系本用のネタなので本でいつかもう一度読むことになるかもしれませんが、先に読みたい人向け。 フリッパーズ・ギターの解散日っていつなの問題があります。解散したのっていつなのか知ってますか? すぐ答えられる方は相当のマニアですね。 「1991年10月29日!」 はい、半分正解です。半分?どういう意味? というのは、それはレコード会社が決めた解散日なんです。この日はフリッパーズが毎週火曜にやっていたラジオ番組「マーシャンズ・ゴー・ホーム」(FM横浜)の最終回。番組の最後に「ながらくお聞きいただいたマーシャンズ・ゴー・ホームは、フリッパーズ・ギター解散にともない、番組を終了することになりました」とアナウンスされ、公に発表されました。19時30分からの30分番組なので19時55分頃でしょうか。ただ、月曜深夜(実質火曜)に放送されていた「さくらもも
1985年11月29日から1988年1月17日まで渋谷にあったオーディオ&ヴィジュアル・ショップ「CSV渋谷」についてのまとまった情報は、ウェブにない。というより、書籍やら雑誌やら紙媒体にもほぼない。その後の様々な音楽文化の起点になった重要な場であったにも関わらず、である。なのでここは「CSV渋谷って名前をたまに聞くけど、何?」という人のために参考資料を提示しようという有料ページだ。 見出しだけ先に抜き出しておく。 ■開店について ■CSV渋谷の基本情報 ■フロア解説(1987年3月頃のパンフレットより) ■CSV渋谷の設計データ(開店時) ■CSV渋谷提供のラジオ番組 ■店員(判明している人のみ) ■CSV渋谷の会員組織 ■CSV渋谷発行の印刷物 ■CSV渋谷発行のカセットマガジン『Hi’lde』 ■CSV渋谷発売のミュージックビデオ ■CSV渋谷運営のオリジナルレーベル「1ℓ RECO
『日本のZINEについて知ってることすべて』が発売されてから2週間ほど経ちました。今日はこの本のデザインについて書きましょう。この本のデザイナーは山田和寛さんです。 この本は雑誌連載をまとめたもので、連載時は毎回デザイナーを変更していました。まだ仕事をしたことがない人と仕事をしてみたい、という気分のせいです。毎回、デザインのテイストはかなりバラバラになり(機会があったら見比べてほしいです)、面白かったのですけど、それを一冊にまとめ直してもらう際は、なにかルールがあったほうがいいなと漠然と思っていました。ワタシには、雑誌は「動」、本は「静」、というイメージがあるんです。 それで最初の打ち合わせでひとつ、山田さんにお願いしたことがあります。それは「掲載する図版はすべて実際と同じ比率にしてほしい」ということでした。これがどういう意味かといいますと。 A5サイズ(148×210mm)の本とA4サイ
2017年8月、ネット上の記事がもとになり「昭和歌謡」についてちょっとした騒動があったのをご存知ですか? 昭和歌謡とはその名のとおり「昭和の時代に作られた歌謡曲」のことで、明治歌謡・大正歌謡の次に作られた歌謡曲です。ここではそんな昭和歌謡についてワタシ自身もいまいちわかっていなかったので調べてみました! 「昭和歌謡」騒動の経緯は?2017年8月24日に柴那典×大谷ノブ彦による対談記事「ヒップホップ警察を追い返せ!!【ゲストぼくのりりっくのぼうよみ】」が期間限定で無料公開されました(今はもう無料では読めません)。 この記事の中で、音楽ライターの柴那典さんが〈どうやら「昭和歌謡」って、僕が最初に雑誌で使った言葉らしい〉と発言しました。これは輪島裕介さんの新書『創られた「日本の心」神話』(光文社新書/初版2010-10-20)という本にそう書いてあるそうです。「昭和歌謡」という言葉をデータベース
1991年にフリッパーズ・ギターを解散してから、1993年にソロデビューするまでの小沢健二は、はたして何をしていたのか。一見、空白の年である1992年だが、表舞台に出なかったわけではなく、それなりに活動は行っている。ただ、あまり強調して語られることはないし、まとまった情報は見たことがないように思う。 しかし、この1992年という年は重要だ。なぜなら小沢健二はかつてこう語ったことがある。 '92年というのがボクの創作の原点なんですね。その1年間、ボクがこれまでいろいろ勉強したり考えていたことが、全部凄い勢いで浄化されていったんです。(『月刊Views』1995年8月号) 1968年4月生まれの小沢健二は当時24歳。フリッパーズ・ギターを浄化し、ソロへ至る創作の原点になった1992年とは一体なんなのか。その年、小沢健二は一体何をしていたのか。ここでは1992年の足跡をわかる限り辿ってみたい。
このテキストは1990年代の日本のテクノの歴史を史料から辿ったものです。数年前に発売予定だった某音楽書籍に収録されるはずでしたが、結局出ないまま時間が過ぎました。お蔵入りさせるのももったいのでnoteに出してみます。文中で「本書」と言っているのは、その本のことです。「出る予定だったけど出なかった本を読んでるんだな……」という気持ちで読んでください。約2万字です。 見出しだけ先に抜き出します。2000年代以降は言及してません。 ■「日本のテクノ」とは何か ■1988年、テクノとセカンド・サマー・オブ・ラヴの誕生 ■日本におけるDJブームとデトロイト・テクノの輸入 ■メディア上の認知とDELICのテクノ化 ■ハードコア・テクノ旋風とジュリアナTOKYO開店 ■テクノポップ再評価からYMO再生へ ■90年代東京テクノ・シーンの胎動 ■ケン・イシイの登場による国内シーンの活性化 ■電気グルーヴの『
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