August 18, 200623:23 カテゴリ蓼科散策蓼科グルメ 三駒(蕎麦)――グルメ蓼科編 5 三駒(蕎麦)――グルメ蓼科編 5 ☆☆☆☆☆ 長野県茅野市米沢7682 Tel0266-73-5455 Fax73-5286 営業時間11時〜22時 定休日(水) わたしたち家族はこのビーナスライン入り口近くのこのお店を、二十年来「みこま」「みこま」と呼び続けていた。実は「みつこま」が正しいと今回、初めて知った。 その「三駒」は武田信玄の野戦食であったといわれる、大鍋で煮込む「ほうとう」で有名なお店だが、わたしはここの麺の太い、色黒い「玄(くろ)そば」が大好きだ。その味はことのほか素朴で、しっかりとした喉越しの量感が何ともいえずよい。 店内は、一歩、足を踏み入れるとふっとタイムマシンにでも乗って、江戸時代に来てしまったような感じに襲われる。少し薄暗く感じられるが中央に囲炉裏が切ってある光
全員が同じ方向を向く組織は強い。一層の強さを求めるなら、誰か一人、違う景色を見ていると、さらにいい。「なでしこ」が米国に競り勝ったワールドカップ(W杯)の決勝戦を見て、そう思った。 いつも一人、周囲と違う行動をとる選手がいた。黄金の紙吹雪が舞う中、W杯を手にする沢穂希ら選手、スタッフ、協会幹部たちが記念写真に納まろうとしたとき、カメラの前をVサインをしたまま笑顔で横切る選手がいた。宮間あやだった。 延長戦を含めた120分を自らの1ゴール1アシストで引き分け、PK戦に向けて控え選手も含めた大きな円陣が組まれたとき、宮間はベンチで監督、コーチとともに、PKを蹴る順番を最終確認するホワイトボードを見つめていた。 PK戦では1番手でGKの逆をつく緩いシュートを決め、「女ヤット」の愛称もなるほどと思わせた。「ヤット」こと男子代表、遠藤保仁の「コロコロ」と呼ばれる人を食ったようなPKを、W杯決勝の舞台
今週のコラムニスト:レジス・アルノー 近頃の日本では、政治家と官僚は90年代のオウム真理教並みに人気のようだ。政治家のスキャンダルと並んで官僚の権力乱用が連日報じられ、霞ヶ関ではもはや誰も安心していられない。 政治家たちが「絶望的な無能集団」なら、官僚は日本を破滅させる卑劣な組織とみなされている。この時期、「将来は公務員になりたい」などと学生が言えば、「ポン引きになりたい」と言ったかのごとく、父親にひっぱたかれるかもしれない。「天下り」も国民への侮辱と見なされつつある。官僚はどこにも行きつかない橋を建設し、自分たちが監督すべき業界でお気楽な仕事を手にしている「ひどい奴ら」だ。 だが日本人は気付いていない。鳩山由紀夫首相も退陣と相成り、5年間で4人も首相が変わるような政治不安の日本では、官僚こそが「縁の下の力持ち」だということを。 私自身はお役所に出向くたびに、職員たちの熱心な仕事ぶりや優し
通勤途中らしきスーツ姿の若者が歩くのに合わせて、お腹の部分に青白い炎が上がる。 よく見る清涼飲料のコマーシャルだ。飲めば体内の脂肪が燃焼することを窺わせる メッセージも流れる。 トクホ――。特定保健用食品と呼ばれ、現在九百以上の商品が発売されている。 本格的に販売されるようになったのは一九九〇年代後半だ。市場規模を見ると、記録の残る 九七年の一千三百億円余りから急増し、二〇〇七年にピーク(約六千八百億円)を迎えた。 二年ごとの調査のため、最新の数字は〇九年の約五千五百億円だ。トクホの定義は次の通り。 「食生活において特定の保健の目的で摂取をする者に対し、その摂取により当該保健の 目的が期待できる旨の表示をする商品」 極めて曖昧な表現だ。「健康によい」というイメージだけで「お化け商品」が生まれる トクホは食品メーカーにとってドル箱である。 しかし、この「健康によい」とい
今週のコラムニスト:レジス・アルノー 〔7月27日号掲載〕 アメリカの作家ポール・セローはかつて、東京があまりに効率的なのに感服して「これは都会じゃない、機械だ」と評したことがある。 確かに東京は最高に効率的な都会の1つだ。しかも人間に頼らず、自力で機能しているらしい。13時24分に到着予定の電車は13時24分ぴったりに到着するし、荷物は指定した時間にきちんと届く。忘れ物をしても、たいていは戻ってくる。この街に「想定外」はない。 東日本大震災が発生した3月11日も、東京で印象的だったのは混乱ではなく秩序だった。あれがパリなら略奪が起きていただろう。アメリカ人も、大型ハリケーン「カトリーナ」がルイジアナ州を襲ったときは大混乱に陥った。 だが日本は違った。外資系の銀行に勤める友人は、3月11日の午後4時に金融庁に電話して、いつもどおりに営業終了後の報告が必要かと聞いたそうだ。すると金融庁の職員
今月から、久々のJavaのメジャーバージョンアップであるJava SE 7を紹介していきます。 Java SE 6がリリースされたのが2006年12月ですから、もう5年にもなろうとしています。これだけの時間がかかってしまったことからもわかるように、Java SE 7の仕様が決まるまでは紆余曲折の歴史でした。 もともと、Java SE 7はJava SE 6と一緒に仕様を決め、簡単に実現できる機能をJava SE 6、実現に時間がかかる機能をJava SE 7にすることになっていました。その当時、Java SE 7に盛り込まれる機能としてリストアップされていたのが、クロージャやfriendです。 クロージャのすったもんだについては本連載の「クロージャからProject Lambdaへ」で言及しました。その後、Project Lambdaは再び仕様が変更されています。 friendはスーパーパ
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