社会が個々人から成り立っている以上、たとえ一個人の行動といえども社会に何らかの影響を及ぼしていることに疑いはありません。もちろん、総理大臣でもない限り、一個人の影響力など微々たるものでしょう。しかし、個々人が集団で同じ行動をとると、事情は変わります。時には、良かれと思ってした個人の行動が、積もり積もって、社会を奈落に突き落とすことさえあるのです。本稿では、そうした「個」と「全体」の微妙な関係について、労働生産性をめぐる議論を題材に考えます 木を見れば、森を見なくともよい 一般に経済学では個をミクロ、その集合である全体をマクロと称し、両者を対置させます。ただし、マクロを構成する個人(ミクロ主体といいます)をどのように想定するかに関しては、二通りの考え方があります。 先ず現代の主流派経済学(供給側の経済学)では、全ての個人は「同一の情報を有し、同一の価値観(物欲の充足)に従って合理的に行動する
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