ギガバイ子さんより、推理の意味の食い違いというお話をいただきましたので、竜騎士07の理解している「推理」をご説明いたします。 以下は、竜騎士07の、いわゆるチラシの裏ですので、お茶を飲む時の茶菓ぐらいの感覚でのんびりお読みいただけると嬉しいです。 すい‐り【推理】 [名](スル) 1 ある事実をもとにして、まだ知られていない事柄をおしはかること。「いくつかの条件から問題を―する」 2 論理学で、前提から結論を導き出す思考作用。前提が一つのものを直接推理、二つ以上のものを間接推理という。 ※ただ、「推理」と「推理小説」は似つつもまったく意味の異なる単語ですので、私もこの2つを混同している可能性があります…。 ギガバイ子さんが、数式を引用にしてとてもわかりやすい説明をしてくださっています。 X+1=2 この時、Xは1であると「推理」できる。これが氏の仰る「推理小説」の定義です。 ただ、竜騎士0
敢えて、「何」を探る作品だと申し上げなかった点が『ひぐらしのなく頃に』の最大の意地悪と言えるかもしれません。 暇潰し編で示されますが、「古手梨花が昭和58年6月を抜けきりハッピーエンドを迎えるにはどうするか」が、実は『ひぐらしのなく頃に』で推理すべき最大の箇所です。 どうしてどのシナリオでも梨花はハッピーエンドを迎えられないのか。そこに至った時、ルールXYZという「犯人」を推理する段階に至ります。 また、個別のシナリオについては、綿流し編のどこを間違えなければ事件は起こらなかったのか、のように「隠れた選択肢」もまた探るべき箇所です。 鬼隠し編では、友人たちに無意味な疑心暗鬼を抱かないこと。 綿流し編では、魅音に人形を渡して傷つけないこと。等です。 ちなみに、祟殺し編では、どうすれば「平和的手段で沙都子を救出できるか」でした。この箇所についての「解」は、今回の皆殺し編で示されたと思います。
どんな方がいわゆる1%なのか、というお問い合わせを少なからず頂戴しますので、少しだけご紹介させていただきます。 鬼隠し編の時点では、圭一の主観に疑問を持つことがポイントとなりました。 現在ではネット上では圭一の妄想はもはや定説と言った感もありますが、2002年の当時では非常に希少な説でした。 鬼隠し編に寄せられたぴったり100通のご感想のメールの中で、たった1人だけ圭一の主観に疑問を持たれたのは、yoshioさんという方でした。 この100通の内の1通という偶然の数字が、1%というキャッチコピーとなっていきます。 さて、その後、シナリオを綿流し編・祟殺し編と重ねて出題編が3編出たところで、いよいよルールXの存在に気付く方が登場します。こちらで確認している一番最初の回答者は香紗さんという方でした。香紗さんは、3編の不特定な凶行者の理由を火山ガスという名の「環境」に初めて求めました。 当時の推
ここは3カ月ぶりになってしまった。どちらかといえば、テレビドラマの方に偏っていた秋だったな…。現BLOG(夢だと気づいた時に夢は始まる)はこちら。 01.『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』(2006・香港) 07/08/13 DVDレンタル 02.『魂萌え!』(2006・日本) 07/08/25 DVDレンタル 03.『サランドラ』(1977・米国) 07/08/25 DVDレンタル 04.『松ヶ根乱射事件』(2006・日本) 07/08/26 DVDレンタル 05.『ナイトミュージアム』(2006・米国) 07/09/01 DVDレンタル 06.『劇場版 NARUTO-ナルト- 疾風伝』(2007・日本) 07/09/02 MOVIX亀有 07.『虹色★ロケット』(2006・日本) 07/09/02 DVDレンタル 08.『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007・日本) 07/
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
推理小説・映画・テレビ・漫画の部屋・合同企画 「リプレイ」ノススメ 「リプレイもの」というジャンルがあります(断定)。 タイムトリップ物の一種なのですが、単なるタイムスリップと違う点は、 普通のタイムスリップではある人物Aがn年前にタイムスリップしようとすると、 n年前の時点に「n年前のA」と「旅行者A'」とが同時に存在します。 ところが「リプレイ物」では「旅行者A'」の意識だけが「n年前のA」 と重なり、存在としては「n年前のA」だけが存在することになります (逆に言うと「n年前のA」の意識はどこかへ消えてしまいます)。 たとえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、 マーティが30年後の未来に行くと、その時点では47歳のマーティがいますが、 「リプレイ」では、戻った時点であくまで自分は一人。 その代わりそれから先の未来の記憶を全部持っています。 ドラえもんで例えると、「タイムマシン」
"And I look again towards the sky as the raindrops mix with the tears I cry." 角川書店で「Fate/stay night(2004,Type-Moon)」のPS2移植が決まったという話。 レビューに書いていますが、私は当初からこの作品は、ヲタ文化層が大衆文化表層に進出するための“旗”の一つと捉えていましたので、驚いたというより「やっと情報を表に出したか」という感想を抱いています。 同人期の「月姫」と比較すれば、明らかに物語描写の陰惨さは薄れているばかりか、下手すれば、“Fate”と“Unlimited blade works”は、そのままテキストを抜き出しても、ライトノベルとして扱えそうな代物。むしろ、アニメ化より先にコンシューマー化すると思っていたので、PS2移植が(発売が2006年末ということで)アニメ終了後
以前、 ジャンルの歴史を学ばない若者にジャンルに詳しいとしよりが老婆心であれこれ言う、ことについて(1) - 焚書官の日常 という記事を書いていたので、以下のエントリを読んでちょっと思うところがあった。 http://d.hatena.ne.jp/kaien/20050623/p3 http://novel.no-blog.jp/minkan/2005/06/post_8550.html ランドル・ギャレット論争、あるいはなぜだれも「魔術師は多すぎる!」について語らないのか問題についてのまとめ。そしてライトノベル領有権問題へ・・・(Something Orangeより) - 平和の温故知新@はてな 状況:先輩の不在 なんでことさら年寄りがウザく感じられるかというと、リアル人脈での「先輩」がきちんと機能しなくなってるからなんじゃないか、と思う。 「先輩」は、偉そうなオーラを放って、後輩に、背
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050222#otakuhis 上の話をふまえて、一般論として考えてみる。 あるジャンルが成熟して、歴史が築かれると、人間ひとりが「把握できない」「後追いで勉強するのがしんどい」局面がおとずれる。そうすると突然、それまでリアルタイムで楽しくやってた筈の人が、入門者に対して「まずはこれから理解したほうがいいよ」と、おせっかいを焼き始める、ように見える。その話を聞く気がない入門者にとって、そういう「歴史」を語ろうとする年寄りは、鬱陶しいことこのうえない。「オレの好きにさせろよ、いいじゃん楽しんでるんだから」、というわけだ。 なぜこの対立が生まれるのか。経験者は入門者に対してやきもきして、善意で言っている筈なのだが、それが通じない。 経験者の善意とは何だろう。そのジャンルに踏み込んでいくなかで、自分の効率のよかったこと、悪かったことに
21日からの続きです。 hallyさんから、その記述はチョイマチ! とのご指摘があったので、「言葉の起源と流通」のところをけっこう長めに追加しました。 主にビデオゲーム雑誌やゲームファンの間で日常的に使われる言葉だが、その定義ははっきりしない。 一言で言うとすれば「そのゲームならではのおもしろさや醍醐味」程度の意味とでもいったらよいだろうか。 特にこの言葉の用法として議論の俎上にのぼりやすいのは、ビデオゲームソフトを誉めたりけなしたりするときに使われるような「ゲーム性が高い/低い」「ゲーム性がない」などといったものいいである。言葉の定義が曖昧でありながらも、評価軸として決定的に重要なものとして作用する、という矛盾ゆえに多くの議論を呼びやすい言葉であるといえる。 言葉の起源と流通 言葉の起源からすると、そもそもからしてビデオゲームの言葉であったというわけではない。トランプやダーツなど各種の「
2003年11月4日から6日にかけてユトレヒトで開催された「レベル・アップ」カンファレンスにて要旨提出。 Jesper Juul http://www.jesperjuul.net 本論文の参照方法 (MLAスタイル): Jesper Juul: "The Game, the Player, the World: Looking for a Heart of Gameness". In Level Up: Digital Games Research Conference Proceedings, edited by Marinka Copier and Joost Raessens, 30-45. Utrecht: Utrecht University, 2003. http://www.jesperjuul.net/text/gameplayerworld/ 摘要 この論文はゲームの定
http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/comment?date=20051102#c のhallyさんのコメントに対する応答です。 私もhallyさんやjuul氏の立場をまだまだ理解・整理できていないと思います*1ので、お互いの立場を手探りしていくように議論につきあっていただければ幸いです^^ 1:立場について まず、「定義できる/できない」というのではなく「定義することの意味をどこまで、どのように重視するか」というのがhallyさんと私の差異ではないでしょうか。私は定義そのものが無用だ、とは思っているわけではありません。 2:境界設定の問題について そのような立場の違いが生じる理由は、hallyさんの言うように「境界領域」の問題にどのようなスタンスをとるのか、ということにかかってくるかと思います。この「境界領域」の問題を大きく A.範囲設定の問題:どこまでが、どの
帰省、寿司、陶芸体験 8/13(火) 妻の実家の墓参りへ行き、俺の実家へ帰省。風呂に入る前に子供達と外で水鉄砲で水を掛け合いびしょ濡れになる。最後のほうはどうにでもなれと思い、ホースやバケツで直接水をかけ合う。久しぶりの大胆な遊び方に子供たちは大声をあげながら騒いでいるが、田…
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く