昨日のエントリを別の角度から 飲み仲間のひとりに、数学の個人塾をやっている高校の先輩がいますにゃ。この間、ひさしぶりにこの先輩と飲んだおりに、ちょっとびっくりする話を聞きましたにゃ。 「高校の数学の試験で、授業で教えていない解答をすると×にするようになった」 「はあ!? 別解はご法度ということですかにゃ?」 「そうだ。中学ではあったんだけど、高校でもそうなった」 「高校って、もしかしてA高(僕らの母校で、いわゆる進学校)でそうなんですかにゃ!!??」 「そうなんだよ。まあ受験生になれば何でもアリになるようだが、1〜2年の定期テストでは別解が認められなくなった」 「工工工工工工工工工エエエエエエエエェェェェェェェェェェェェェ(゚Д゚;│」 「俺だって信じられねえよ」 「数学って自由なものではなかったのですかにゃ?」 「俺だってそう思いてえよ」 「別解って誉められるものではなかったのですかにゃ
もし例の大聖堂の落書きが、50年前に長嶋茂雄が書いたものであれば、みんなもっとほほえましいエピソードとして扱ったのではないか。「見てください、壁にたくさん落書きがありますね。おや、こんなところにミスターのも。というわけで正解は、『マジックを売る』でした」 たとえば我々は21世紀のフィレンツェの大聖堂においてなされる落書きをノイズとして拒否するのに対して、1世紀のポンペイの街並みにある落書きは、「生き生きとした庶民感情の発露」として受け入れる。でも、もちろん1世紀の時点において、ポンペイの落書きが「生き生きと」したものとみなされていたわけではない。それは、2000年を経過した我々の視点から見る限りにおいて「生き生きと」したものとして認識される。 とはいえ、ポンペイの「生き生きとした庶民感情の発露」は2000年かけて、火山灰の中でだんだんと醸成されていったものではない。むしろ、あらかじめそこに
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