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2013年8月16日のブックマーク (6件)

  • 人事評価とはどういう仕事か--『C:A:Pモデル』による分析の試み | タイム・コンサルタントの日誌から

    中間管理職になってからそれなりの時間がたつが、人の評価というのはいまだに不得手である。毎年回ってくる、人事評定と呼ばれる仕事のことだ。部下を面接し、その目標や達成度や希望やら不満やらを聞いて、それからおもむろに机に向かって、その人の評点をつける。面接自体はそれほど苦にならないが、評価がいつも難しい。その昔、面接で自分が上司に訴えるだけですんだ頃に比べると、とても気の重い仕事である。自分の評価した結果が、直接、その人のボーナス査定や昇進につながるからだ。 まあ、わたしの職場の場合、自分の決めた評点が最終値となるわけではなく、さらに上司やもっと上での調整・決定が行われるので、少しは責任が軽いと言えるかもしれない。ただ、査定が決まった後、今度は管理職は部下にそれを伝えなければならない。当然、(なぜ自分の努力はこれしか報われないのですか?)と、全員の目が訴えてくる。自分だってそうだったのだから、も

    人事評価とはどういう仕事か--『C:A:Pモデル』による分析の試み | タイム・コンサルタントの日誌から
  • プログラミングは「教わる」ものか、「学ぶ」ものか?【連載:中島聡】 - エンジニアtype

    UIEvolution Founder 中島 聡 Windows95/98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトを務めたエンジニアNTTに就職した後、マイクロソフト日法人(現・日マイクロソフト)に移り、1989年、米マイクロソフトへ。2000年に退社後、UIEを設立。経営者兼開発者として『CloudReaders』や『neu.Notes+』、教育アプリ『neu.Tutor』といったiOSアプリを開発する。シアトル在住。個人ブログはコチラ 今回は、脚光を集めるようになってきた「プログラミング教育」について、わたしなりに考えをまとめてみました。 日では、政府が今年6月に成長戦略「世界最高水準のIT社会の実現」の素案としてプログラミングの義務教育化を提唱したり(参照記事)、プログラミング教育事業を始める企業が増えたりと、官民双方で教育熱が高まっていると聞

    プログラミングは「教わる」ものか、「学ぶ」ものか?【連載:中島聡】 - エンジニアtype
  • 「いいね!」しかない空間が気持ち悪い - シルタス!

    実は少し前まで三年ぐらいはアメブロを使ってた。 そのうち二年半ぐらいはダラダラ書いてたから、熱心な読者もいなかったし、コメントも集まらなかったんだけど、最後の半年ぐらいは結構気で更新してたから一気に読者も増えて、記事ごとにコメントも集まるようになってた。最初はその状況がうれしかったんだけど、徐々に違和感を感じるようになってきた。 アメブロの空間って基的に「肯定」しかなかった。 アメブロのコメントってFacebookの「いいね!」と一緒で基的に肯定から始まる。 よくよく考えたらそうなんだけど、アメブロって芸能人ブログが主体でエンターテイメント性が強く、個人で使ってる人たちも「自分の考えを書いて発信する」というよりも日記的な使い方の人が多くて、「ブログ」というよりはつながりを重視した「SNS」なんだよな。だからブログサービスとしてよりも「つながる」ことが主体だから、初対面から基的に相手

    「いいね!」しかない空間が気持ち悪い - シルタス!
  • 政治と所得不平等 - P.E.S.

    とある論文を読んでましたら、分かりやすくて興味深い図がいくつも載っていましたのでそれらを紹介。論文はBonica, McCarty, Pool, and Rosenthal (2013) "Why Hasn't Democracy Slowed Rising Inequality?"*1、訳すると「なぜ民主主義は拡大する不平等を抑えてこなかったのか」。単純な中位投票者定理と、大抵の社会では所得の中央値は所得の平均値を下回るので有権者の過半数は平均以下の所得となる事に基づくと、民主主義においては再分配への傾向があり、これは所得不平等が高まれば高まるほど強くなるはずという公共選択論の比較的有名(?)な主張にも関わらず、民主主義国家においてここ数十年の不平等の拡大に対する再分配要求が強まらなかったのはなぜかということについての論文です。この論文の載っているジャーナルのトップ1%特集の一つで、これ

    政治と所得不平等 - P.E.S.
  • 低学歴と高学歴の世界の溝

    http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155 読んで色々考えさせられた。 せっかくなので、身の上話を増田に吐き出そうと思う。 すごい田舎の底辺中学を卒業してるけど、地元同級生たちや親戚達の常識感っていうのは独特だなぁとずっと思ってた。 上京してからは特にそう思ってて、同じ日なのに当に違う世界が共存しているんだなと思ってそれがもう日だと思ってた。 この記事を読んで、そうかそれは「低学歴の世界」と「高学歴の世界」の溝だったんだと納得した。 地元は田舎だからか両親ともに兄弟が多くて、いとことか30人くらいいるんだけど、その中で大学に行かせてもらったのは俺くらい。 俺の両親は、他のいとこが次々と中卒・高卒で働き始めたりしているのを横目に、頑張って俺を大学まで行かせてくれた。 両親が大学まで俺を行かせたかった理由としては学歴コンプレ

    低学歴と高学歴の世界の溝
    yuichiro0526
    yuichiro0526 2013/08/16
    あるある
  • 単なる現場からのレポートとして - 24時間残念営業

    2013-08-12 単なる現場からのレポートとして 関連エントリけっこう見たけど、わけわかんなくなったので、全体的にざっと見た、ということだけ書いておく。さて、炎上なんだか炎上じゃないんだか、もうなにがなんだかわかんない祭り状態は怖かったので、この問題は蒸し返さないつもりでいたんだけど、やっぱり自分にとっては目の前の現実の話であるせいか、気にはなるし、つい考えたりもする。それ以上に、俺は質的にクソ平等論者である。同じ人間に生まれてメシってうんこしてる以上なにが違う、と。そう思うので「同じ」ではなくするものについては、必要以上の執着を示して考えこむクセがある。 そこで、もう一度書いてみることにする。 ここに、ある町があるとする。人口は、かつては10万人程度だったが、いまは5万人くらいまで減少している。かつては地場産業で栄えた。それが50年くらい前の話だとする。地場産業が栄えると「あの町