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ブックマーク / hallucinyan.hatenablog.com (7)

  • スピリチュアルブームとはなんだったのかーーオウム真理教的集団主義から霊性的個人主義へ - A Mental Hell’s Angel

    2015-02-13 スピリチュアルブームとはなんだったのかーーオウム真理教的集団主義から霊性的個人主義へ 私が以前書いたファウスト系論がなかなか好意的に受け止められ評判が盛況だったこととても嬉しく思います。 セカイ系以後の生存の技法――ファウスト系はどうサヴァイヴしたか - A Mental Hell’s Angel このエントリがどういう経緯のもと書かれたのか、あるいはスピリチュアリティといったものが現代的にどうして論述されるべきなのか、そうした文化的背景と理論的妥当性について少々書かせていただきたいと存じます。 ーーー 現代社会とは、といった大上段から論じるのも気が引けますが、しかしまぁそれは良しとして、いわゆるポストモダンでも後期近代でも再帰的近代でもポスト産業社会でもハイパーリアルでもなんでもかまいませんが、現代社会なるものがいわゆる単純な「近代性」=「モダニティ」を剰余するよう

    スピリチュアルブームとはなんだったのかーーオウム真理教的集団主義から霊性的個人主義へ - A Mental Hell’s Angel
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    yuiseki 2015/02/13
  • ドラッグカルチャーの系譜――変性意識の文化史 - A Mental Hell’s Angel

    2015-01-11 ドラッグカルチャーの系譜――変性意識の文化史 以下、ドラッグとそれに付帯する文化について記述しています。サブカルチャーにおいてドラッグが大きな役割を果たしてきただけでなく、それが人類において古くから文化的に重要であったことが論じられています。 ーーー ドラッグとは何か ドラッグとは何でしょうか。それはもちろん薬物です。そしてそれは使用者をある特異な心的ステートへと導くマテリアルです。そうした祝祭的な心理状態を「変性意識状態」(英: Altered state of consciousness)と呼びます。可換な表現としてトランス状態という語があります。 変性意識と古代宗教 変性意識誘発性サブスタンスは、古来より人類の文化に根ざしていました。たとえば、シャーマンなどの宗教儀礼において、タバコやマジックマッシュルーム、ペヨトルなどが使用されてきたことは歴史学的な事実です。

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    yuiseki 2015/01/12
  • メンヘラと事件の話 - A Mental Hell’s Angel

    2014-03-08 メンヘラと事件の話 迷ったが少し例の件について書く。 憂で思考能力がめっきりと減退し、長らくやめていた煙草もまた自堕落に再開して、その気怠い煙を肺に流しこみながら、朦朧とした意識状態で唐突にブログを書いている。 一緒に文芸同人誌を作った女の子が八階からダイブしたり、その元カレが自殺教唆で逮捕され実名報道され、いま徹底して気分ががらんどうになっている(ニュースを見て、実名報道とインターネットの悪魔的なコンビネーションで社会的抹殺を被ることの恐ろしさを考えながら僕は動揺を隠せなかった)。 「はは、ここから飛び降りたら死ねるよね」と、以前彼女のマンションで、彼女が空疎に笑ったのを聞いたことがある。そのとき僕たちはオフ会の帰りで、オフの参加者とともに彼女の家に立ち寄ったのだった。メンヘラオフという不健全の塊のような会合。ブロンをキメてから来ましたという女もいた。そして立ち寄

  • 國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』レジュメ - A Mental Hell’s Angel

    2014-01-18 國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』レジュメ 哲学の先生と人生の話をしよう 作者: 國分功一郎 出版社/メーカー: 朝日新聞出版 発売日: 2013/11/20 メディア: 単行 この商品を含むブログ (3件) を見る ■ 國分功一郎氏について  國分功一郎(以下敬称略)は若手の気鋭の哲学者であり、処女作は『スピノザの方法』、スピノザや、またドゥルーズについての研究で知られる(ちなみにドゥルーズはもともとヒュームやスピノザ、カント、ニーチェ、ベルクソンなどの研究からそのキャリアを始めた)。  消費社会と退屈の問題をハイデガーなどを参照しながら論じた『暇と退屈の倫理学』はベストセラーになり紀伊國屋じんぶん大賞の一位を受賞している。『暇と退屈の倫理学』は消費と浪費を区分しながら、爛熟した資制下の記号的な差異化に振り回される「消費」に対し「善く生きる」ためにある事

    國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』レジュメ - A Mental Hell’s Angel
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    yuiseki 2014/01/19
  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

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    yuiseki 2012/12/15
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』感想 - A Mental Hell’s Angel

    2012-11-18 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』感想 新エヴァの破を見て「ウェルメイドなエンタメだな」という印象しかいだかず、批評業界でもおおむねそれが支配的ディスクールであったため、落胆していた。評論家の前島賢が「こんなのエヴァじゃない」と言っていたが、まったく同意見だった。Qに期待を持たず見に行ったところ、良い意味で裏切られた。まずいきなり十四年経っていることに驚かされたが、見ているうちに「これだ……これがエヴァだ……」と思わずにはいられなかった。もし僕が葛城ミサトだったら「破はデコイだったのよ」と言っただろう。つまるところ破というのはエヴァンゲリオンというよりグレンラガンだった。しかし、Qはエヴァンゲリオンだと感じた。予想を裏切ってこそのエヴァである。 破とQは明瞭かつ美麗なコントラストをなしている。解りやすい例を挙げれば、破では綾波がぽかぽかしていた。どうやらけっこう好評だっ

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    yuiseki 2012/11/19
  • 「つらぽよ宣言――けいおん!とニーチェ」 - A Mental Hell’s Angel

    つらぽよを生きるということ。 まず言っておこう。稿はけいおん!論である。そうであるのと同時にまた哲学であったりする、そのような奇妙かつ切実なテクストが稿である。東浩紀を含む批評と哲学の立場から、現実を根源的的に取り扱うことを通して、「つらぽよ」と「らぶぽよ」の二項対立が現れ、最終的に「めんへらぶぽよ」浮かび上がってくる、そのような論考になっている。 まず、「つらぽよ」とは何かを説明しよう。つらぽよとは「あげぽよ」や「さげぽよ」などの女子高生用語から派生したスラングであり、まず単純には「つらさ」を意味する。特にそれを僕は「生きづらさ」を表現する用語として使いたいと思う。しかし、つらぽよは単純なつらさとは異なる側面も持たざるを得ない。それは「つらぽよ」という語の「使用」における効用である。つらぽよという語はTwitterで検索をかけてみると実際に多くの人が使用している。なぜ僕らは「つらい」

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    yuiseki 2012/09/25
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