東京が江戸と呼ばれていた時代から最も古い下町が形成されていた、東京における下町エリアのボス的存在、それが「台東区」である。台東区の名が起こったのは戦後の昭和22(1947)年のことで、それまでは下谷区と浅草区という旧東京市時代の区に分かれていた。 御存知の通り浅草にある創建1370年を超える東京最古の寺・浅草寺、上野にある鬼門封じの寛永寺という二大古刹の門前に開けた市街地で、とりわけ浅草は江戸時代の穢多頭弾左衛門の配下にある特殊産業地域だった所以から現在も皮革関連産業が盛んであり、かつて被差別民でもあった各種職人や芸能関係者が暮らしていたことも戦後の大衆繁華街として隆盛を極めた浅草の歴史とは無関係ではない。 奥浅草などと呼ばれる千束や日本堤、今戸、橋場のあたりまで足を伸ばせば400年以上もの歴史を誇る江戸の一大盛り場「吉原遊郭」の名残りを留める特殊なお風呂屋さん街、高度経済成長期に栄えた日