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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (24)

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    yuiseki
    yuiseki 2024/01/31
  • 1790 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    生まれながらのサイボーグ 心・テクノロジー・知能の未来 アンディ・クラーク 春秋社 2015 Andy Clark Natural-Born Cyborgs - Minds, Technologies, and the Future of Human Intelligence 2003 [訳]呉羽真・久木田水生・西尾香苗 編集:小林公二 協力/丹治信治・串田裕彦 装幀:芦澤泰偉 思索に速度がある。カボチャを皮ごと丸煮していた。言い切っている。バイクでウィリーして走っていた。 一行目に「わたしの体は電子的処女である」とあり、二行目で「わたしはシリコンチップも、網膜インプラントや内耳インプラントも、ペースメーカーも内蔵していない。メガネすら掛けてはいない。しかしわたしは、ゆっくりと着実にサイボーグになりつつある」というふうになる。 あれこれの電子装置を身に付けていなくたっていい、われわれは生ま

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    yuiseki 2023/01/14
  • 0180 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    百科全書 ディドロ&ダランベール 岩波文庫 1971 Diderot et d'Alembert Encyclopédie,ou Dictionnaire Raisonné des Sciences,des Arts et des Métiers 1751~ 1780 [訳]桑原武夫 書の正式タイトルは『百科全書、または学問・芸術・工芸の合理的辞典』である。「合理的」という意味がはなはだ重要で、それがわかればディドロとダランベールの意図がすこしは見える。 ここで合理的といっているのは、諸学芸間の連関をつける体系的な合理のことで、わかりやすくいえば「知識をバラバラに扱わないこと」を意味する。共通感覚的で、編集的なのだ。ディドロは、バラバラにしないことを「合理的な体系を与える」という意味でつかっている。 どのように合理的で、どのように編集的であるかは、にわかに掴みがたい。『百科全書』はディド

    0180 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
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    yuiseki 2022/10/31
  • 0793 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    黒い皮膚・白い仮面 フランツ・ファノン みすず書房 1969・1998 Frantz Fanon Peau Noire , Masques Blanc 1951 [訳]海老坂武・加藤晴久 「黒人はその黒さの中に閉じこめられている。白人はその白さの中に閉じこめられている」。「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」。「白い世界はない。白い倫理はない。ましてや白い知性はない」。 こんな激越なマニフェストが連発できる黒人はいなかった。自分で自分をニグロという黒人もいなかった。フランツ・ファノンが出現するまでは――。この言葉がどれほど激越なものであるかは、日人が「黄色人種宣言」をしたことなど、かつて一度もなかったであろうことをおもえば、想像がつく。 「ニグロは自由の値を知らない。なぜならニグロは自由のために戦ったことがないからである」。この言葉の「ニグロ」を「日人」におきかえれば、どうか。

    0793 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
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    yuiseki 2019/07/19
    なるほど…
  • 1632夜 『それでも、読書をやめない理由』 デヴィッド・L・ユーリン − 松岡正剛の千夜千冊

    それでも、 読書をやめない理由 デヴィッド・L・ユーリン 柏書房 2012 David L. Ulin The Lost Art of Reading: Why Books Matter in a Distracted Time 2010 [訳]井上里[訳] 編集:八木志朗 装幀:ヤマシタツトム ある日、フィッツジェラルドやカート・ヴォネガットを読み始めたら、どうも以前の読書感覚とは違っている。そこそこ歳もとったのだから再読感が変わっているのは当然だけれど、その違いではない。何がおこっているのか。 そのうち15歳の息子のノアと『グレート・ギャツビー』の話になったら、息子も学校の授業で読んでいたらしく応じてきたが、ふいに「でも、文学なんて死んでるんじゃないの」と言った。たしかに文学は死んでいるかもしれない。小説や物語は生きているだろうけれど、文学は死んだというのは当たっている。そうか、自分は

    1632夜 『それでも、読書をやめない理由』 デヴィッド・L・ユーリン − 松岡正剛の千夜千冊
  • 0390 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ドイツ国民に告ぐ ヨハン・ゴットフリート・フィヒテ 玉川大学出版部 1999 Johann Gottlieb Fichte Reden an die Deutsche Nation 1807 [訳]石原達二 一人の哲人が国民のすべてに何かを訴えることは、歴史上においてもそうそうないことだ。フィヒテがそれをやってのけた。レーニンや孫文や浜口雄幸やヒトラーやカストロのような政治家や革命家ではない。フィヒテは哲人であり、一介の大学教授だ。 著述ではない。声を嗄らしての肉声の演説だった。マイクロフォンもなかった。それも一回や二回ではない。一〇回をこえた。なぜフィヒテはドイツの国民に向かって熱烈な演説を連打しつづけようとしたのか。その肉声で何を訴えたかったのか。 ぼくがこのの標題を知ったときの名状しがたい戦慄感のようなものは、何といったらいいか、ニーチェが「ツァラトストラかく語りき」とか「この人を

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    yuiseki 2018/06/03
  • 0372 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    アウトサイダー コリン・ウィルソン 紀伊國屋書店 1975 Colin Wilson The Outsider 1956 [訳]福田恆存・中村保男 コリン・ウィルソンは売れに売れた『オカルト』を選ぼうかなとおもったが、処女作の書にした。そのほうがウィルソンが『オカルト』や『殺人の哲学』や『ミステリーズ』を書いた理由もよく見える。 ともかく中学校しか出ていないウィルソンが書をひっさげて登場したときは、世界中がびっくりした。こんな書きっぷりをした男はいなかった。26歳のときの出版だ。 ウィルソンがここでしてみせたことは、自我の監房からの脱獄を手伝うことである。脱獄といって悪いなら破獄。 その手際は猛烈だった。ウィルソンは最初に誰もがH・G・ウェルズの「盲人の国」にいるはずだということを告知して、まずはアンリ・バルビュスの『地獄』の神経症患者の破獄を試み、ついではサルトルの『嘔吐』でマロニエ

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    yuiseki 2018/06/03
  • 207夜『意識の中心』ジョン・C・リリー|松岡正剛の千夜千冊

    意識の中心 ジョン・C・リリー 平河出版社 1991 John C.Lilly The Center of the Cyclone 1972 [訳]菅靖彦 そのとき野球帽をかぶったリリーさんは80歳をこえていた。背は高く、背中はちっとも曲っていない。最初はアイサーチの国際イルカ・クジラ会議のプレシンポジウムで互いにパネリストとして会った。リリーさんはそのシンポジウムの主人公であったのに、ニコニコしたり、あらぬ方向を見たりしているだけで、あまり語ろうとはしない。どうやら飛んでいるらしい。 その夜の立パーティでは椅子に坐りっぱなしのリリーさんを、ぼくは覗きこむようにしてずっと話した。その会話はとりとめなく至福に満ちたものだったが、とくにどんな主題があるわけでもなかった。パーティにはティモシー・リアリーも若い恋人と一緒に来ていて、ネオテニー社をおこしたばかりの伊藤穰一君と話しこんでいた。数日後

    207夜『意識の中心』ジョン・C・リリー|松岡正剛の千夜千冊
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    yuiseki 2018/06/03
  • 1555夜 『パタン・ランゲージ』 クリストファー・アレグザンダー − 松岡正剛の千夜千冊

    パタン・ランゲージ 環境設計の手引 クリストファー・アレグザンダー 鹿島出版会 1984 Christopher Alexander A Pattern Language 1977 [訳]平田翰那 編集:矢島直彦 装幀:海保透 いまさらアレグザンダーの パターン・ランゲージでもないだろうと思う諸君に、 今夜の千夜千冊をこっそり贈りたい。 では、各地の商店街がうまくいっているの? では、高層ショッピングモールが賑やかに機能しているの? では、大学競争の設計は勝ち目があるの? では、文化施設はちゃんと町や観光に役立っているの? では、都市の高齢者対策はうまくいっているの? きっと日の成功率は3割にとどかない。 だったらいったん、「ここ」に戻ってみてはいかがなものか。 たとえば、どこか手近なところに「緑」のスペースをつくりたいとする。植木屋や花屋にかけこむ前に次のことを考えたい。 一方ではその

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  • 1534夜 『ハッカーと画家』 ポール・グレアム − 松岡正剛の千夜千冊

    ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者 ポール・グレアム オーム社 2005 Paul Graham Hackers and Painters――Big Ideas from the Computer Age 2004 [訳]川合史朗 編集:オーム社開発局 装幀:轟木亜紀子 ヘンリー・ウォーレン・ジュニアの 曰く付きの『ハッカーのたのしみ』も ジュリアン・アサンジの自伝も、 たいそう刺激的、また挑発的でおもしろかった。 でも、ぼくはプログラマーでもSEでもないので、 書『ハッカーと画家』のほうが ちょっと古典の風格があって、紹介したくなった。 しかも、書が強調しているのは、 「共感力」によるプログラミングなのだ。 一方、白夜書房の「ハッカージャパン」は 先月休刊の憂き目とあいなった。 どうも日のハッキングカルチャーは まだまだ歪んだままのようだ。 アメリカン・スラングでは機転がきく

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  • 1284 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    家康が認めた浅草弾左衛門。 日の被差別社会の鍵を握った弾左衛門。 その弾左衛門は13代が続いて、明治で廃絶した。 いったい弾左衛門とは何なのか。 長吏(ちょうり)の歴史。非人の生活。 皮革の取扱い。犯罪者や失業者との関係。車善七との確執。 13代目弾直樹の冒険。明治政府による決断。 そこには、大都市江戸がつくりだした権益社会の実像と、 日の被差別社会の実像とが、鮮やかに重なっている。 今夜は、塩見鮮一郎の洞察なくしては生まれなかった 希代の小説の背景を覗きたい。 長編小説である。傑作である。浅草弾左衛門13代目の直樹を主人公にした。直樹は文政6年に生まれて、明治22年に67歳で没した。慶応4年1月13日に弾内記と、さらに弾直樹と改名して、そこで浅草弾左衛門の名は消滅した。直樹は“最後の弾左衛門”なのである。 20年前のこと、この小説が出現したときはびっくりした。まさか浅草弾左衛門が小説

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    yuiseki 2017/04/06
  • 1115 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    主義のハビトゥス ピエール・ブルデュー 藤原書店 1993 Pierre Bourdieu Alegerie 60 1977 [訳]原山哲 感情生活の現象学とでもいうものがあってよかった。ピエール・ブルデューはそれを試みようとした。そうしたら構造主義とは別れざるをえなくなった。 ブルデューの出発点は「人間であること、それは文化を身につけることである」という点にある。すべての起源はそこにあり、すべての重要性はそこにあった。そこでブルデューは「文化的資」という見方を想定してみた。文化的資は書物や絵画のように物質的に所有可能なものから、知識や教養趣味や感性のような個人のうちに蓄積され、漂流し、ときに身体化されているものまでを含む。ブルデューは当初からそのいずれにも関心を示したが、わけても身体化されている文化的資に注目した。 そして、そこには固有の様式のようなものがひそんでいて、それが

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    yuiseki 2017/04/04
  • 1361 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎 ジャレド・ダイアモンド 草思社 2000 Jared Diamond Guns,Germs,and Steel 1997 [訳]倉骨彰 装幀:間村俊一 2つの脳をもつジャレド・ダイアモンドの 10年前の噂の名著である。 書においてわれわれは 忘れていた「文明の質」の何たるかを、 新たに告知されることになる。 世界の力が「銃と病原菌と鉄」によって、 1500年代に“転換”されてしまったことを思い知る。 グローバリゼーションの進捗には、 特異な宿命がはたらいていたことを知らされる。 しかしこの、日では 誰がちゃんと読んだのだろうか。 1532年11月16日が旧世界と新世界が出会った劇的な瞬間だった。スペインの将軍ピサロがペルーの皇帝アタワルパをカハマルカで捕らえ、ここに神聖ローマ帝国カール5世であってスペイン王カルロス一世の帝国が、アメ

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  • 1362 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    10万年の世界経済史 グレゴリー・クラーク 日経BP社 2009 Gregory Clark A Farewell to Alms 2007 [訳]久保恵美子 装幀:間村俊一・内田隆史 10万年ぶんの世界経済史? それは多すぎる。クラークもそんなつもりはない。 では、何を書きたかったのか。 なぜ産業革命がイギリスにおこって、 他の国にはおこらなかったかを 計量経済史を総動員して問いたかったのだ。 それともうひとつ。 ジャレド・ダイアモンドは1500年で 世界境界を分けたけれど、 書では1800年が境界線になっている。 これは何を意味しているのか、そこも書こうとした。 最初に言っておくが、書の邦題はいささかインチキくさい。グレゴリー・クラークは10万年ぶんの経済史なんて書いていない。 主題は「世界はなぜ不均衡に発展したのか」ということで、その主たる理由は1800年以前と1800年以降をく

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    yuiseki 2017/01/22
  • 1290 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡 ジュリアン・ジェインズ 紀伊国屋書店 2005 Julian Jaynes The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind 1976 [訳]柴田裕之 原始古代のある時期まで、 人類の脳はバイキャメラル・マインド状態にあった。 それがあるとき崩壊して、やがて「意識」が生まれた。 その意識をつくったのは「言語」だった。 比喩の力と物語の力のせいだった。 そんな途方もない仮説を ジュリアン・ジェインズが構想した。 それにしてもバイキャメラル・マインドとは何なのか。 あまりに大胆な仮説と構想に、 多くの者は呆然とし、そして沈黙してしまった。 いま、その一端を蘇らせてみたい。 火元 君たち、連想は得意だよね。 学衆 編集術の基ですからね。 火元 じゃあ、制限連想は? 学衆 まだ

    1290 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

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  • 1077 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    かなり読ませた。ゲーム理論のは数あるが、入門書はおバカなビジネス仕様の御案内ばかりでつまらないし、専門書は数理経済学の細部にどっぷり浸かって特性関数やシャープレー値ばかりがページに踊る。これまでおもしろかったのはいずれも大著であるが、ゲーム理論の原典ともいうべきフォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュタインの『ゲームの理論と経済行動』(1944)、ダグラス・ホフスタッターの『メタマジック・ゲーム』(1985)、ウィリアム・パウンドストーンの『囚人のジレンマ』(1992)くらいなものだった。 それが書は小著ながら、しかもゲーム理論の専門家が書いたものでないにもかかわらず、イキがいい(著者は経済学者)。イキがいい理由はゲーム理論を専門バカから解きはなっているところにある。ときに痛烈な批判も加えている。この手のとして、読んでいてめずらしくたのしかった。 いま、ゲーム理論は流行しまくっている

    1077 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0867 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    サイバネティックス ノーバート・ウィーナー 岩波書店 1948・1962 Norbert Wiener Cybernetics Or Control and Communication in the Animal and the Machine 1961 [訳]池原止戈夫 他 ノーバート・ウィーナーは、社会を知るには「通信と通信装置の質を複合的に見る」ということが最も重要だと考えていた。いや、それ以外には社会の理解は進まないとさえ考えた。 そのため、ウィーナーは一貫して通信と制御を一体のものとして見なしてきた。そこに生まれたのがサイバネティックスである。サイバネティックスは20世紀後半のあらゆる科学技術に最大の影響を与えた考え方だった。 サイバネティックスは第2次世界大戦が生んだまったく新しいシステム理論である。 最初は「制御と通信」の領域を開拓する通信工学の強力な牽引車だと思われて世界

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  • 0981 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    杉浦さんが…唐草文様を見ている。そこからエジプト、ギリシア、東アジア、中国、日をまたぐユーラシア植物帯のうねりが立ち上がる。パルメットから忍冬唐草へ。その文様をもっとよく見ていると、植物たちは動きだし、そこに渦が見えてくる。日の正月では、この唐草文様を覆って獅子舞が踊っている。中国では獅子だけではなく、龍も亀も、鳥も魚も、その体に渦を纏って世界の始原や変容にかかわっている。そこで杉浦さんは…ふと目を転じ、その渦がときにバティック(更紗)となって人体を覆い、古伊万里の章魚唐草となって大器となり、ジャワの動く影絵となって夢に入りこむことを、抽き出してくる。 こうして杉浦さんに…よって、どの渦にも、天の渦・地の渦が、水の渦・火の渦が、気の渦・息の渦が、躍動していくことになる。これらの渦を総じていくと、カルパヴリクシャが待っている。樹木が吐く息のことである。けれども杉浦さんが…見るカルパヴリク

    0981 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    yuiseki
    yuiseki 2013/10/31