豊臣秀吉が己の天下を誇示するようにして築いた日本最強(当時)の大坂城。 その死から16年後の1614年に冬の陣を迎え、いざ徳川に攻められても、弱点とされる南側には真田丸が悠然と立ちはだかり、浪人たちの働きもあって、実際、痛い目に遭ったのは徳川でした。 やっぱり大坂城、強すぎ! しかし、試合に負けて勝負に勝ったのは結局、徳川家康でした。 大坂城の天守へ向けてカルバリン砲(大砲)を打ち込み、首尾よく淀君の侍女を的にすると、今度は和睦交渉へ。その結果、真田丸は取り壊され、更には外堀まで埋められる……だけでは済みませんでした。 どうしてこうなった\(^o^)/ 大坂城が無力にされてしまえば、豊臣方は裸同然。もしも新たな合戦となれば、カンタンに負けてしまうことは火を見るより明らかですが、恐怖は人の判断を迷わせてしまうのでしょう。 とことん追い詰められた大阪方。さて、どうする!? 外、外、内、内、左右