運動部が滅法強く、やんちゃの方面でも名を轟かせていた中学から、どういうわけか県内有数の進学校に入ってしまったときのカルチャーショックは大きかった。悪さをした生徒に泣きながらビンタをくれる教師もいれば、近郷近在泣く子も黙る伝説の番長もいる。公立中学なのに、立派な団旗を備えた応援団まである(筆者も強制徴用された団員だった)といった、当時にしてすでに十分前時代的、牧歌的な世界で愉快に暮らしていた者には、いわゆる有名進学校の環境・風土はほとんど別の惑星のそれとしか思えなかった。 男がみんな「ボク」という外国語の一人称を使っているのにも驚いたが、何よりもたまげたのは、彼らの会話に当たりまえのように出てくる人名や書名が、それこそ神かけて聞いたことがないものばかりだったことだ。 当時、家庭の経済的困窮、及びグレるほど腕力に自信がなかったなど諸般の事情により、やむなく文学少年となっていたのだが、太宰治を読