「人それぞれ」と、何かあるごとに言う人がいます。言う人は、どうやらこれを「他人に対して柔軟で寛容な考えかた」だと思っているようですが、それは大きな間違いです。「人それぞれ」というのは非常に危険な言葉なのですから。そのわけを説明します。 まず、「人それぞれ」と口にするのは、どんなときでしょうか。それは、誰かとの間で意見が割れたり、衝突したり、とにかく相手の考え方が理解できなかったりするときでしょう。大げさに言えばそれは、「他者」との出会い、異文化との接触、の場面です。 しかし、考えてみてください。異文化との接触において必要なこととは何でしょうか。「柔軟性」?「寛容さ」?確かにそれらは必要です。しかし、それはあくまで「手段」ですね。柔軟で寛容な態度が求められるのは、それが相互理解のために必要だからであって、真の目的はその「相互理解(その結果としての両者の平和的共存)」なのではありませんか。 も
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