1987年1月、ジョゼフ・コニーは、アリス・アウマの聖霊運動(英語版) (HSM)に連なる霊媒として現れた。コニーは、元ウガンダ人民民主軍(英語版) (UPDA) 司令官オドン・ラテク(英語版)から、一般市民を標的にしたゲリラ作戦の指示を受け、元UPDA師団を掌握した。1991年まで、LRAは人々を襲撃し、短期間誘拐された村人によって略奪が実行された。NRA部隊もまた、残忍な行動で知られていたことから、LRAは少なくともアチョリ人の何割かから受動的な支持を得た[6]。 1991年3月に、ウガンダ政府による「北部作戦」が開始された。これは、住民のLRAへの支持を切り崩し、LRAを壊滅させることを図るものであった[7][8]。この北部作戦の一環として、和平担当相に、アチョリのベティ・オイェラ・ビゴンベ(英語版)が任命された。また、西エクアトリア州では、弓矢で武装した自警団「アロー・ボーイズ」(