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ブックマーク / emiyosiki.hatenablog.com (2)

  • わずか50年で消えた古九谷は隠れキリシタンによる暗号だった。日本版ダ・ヴィンチ・コード! - 歴史ニュースウォーカー

    九谷焼というのは、なんだか派手な色をした陶磁器です。東洋風とも西洋風とも、とりあえずワビサビな世界とは一線を画しています。 九州の伊万里焼(有田焼)に似ています。似ているどころか伊万里焼が九谷のオリジンというのが有力説です。 伊万里焼は、秀吉が朝鮮出兵で、むこうの陶工を連れてきたのが始まりなので、戦国時代末の16世紀後半からスタートです。 江戸時代の17世紀の後半(1655年ごろ)になって加賀藩(石川県、厳密には加賀藩支藩の大聖寺藩)に突如あらわれたのが、伊万里焼っぽいテイストを持つ「古九谷」でした。両方とも「いい仕事していますね〜」。 この古九谷はなぜか50年ほどでこの世から消えてしまいます。その後、復活するまで100年以上の断絶があるのです。 (古九谷を造った人たちと、九谷焼をつくる人たちの間には、人的に技術の継承がないということ。デザインは古九谷を踏襲しています) 芸術品として当時も

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  • シチューなどの煮込み料理は奴隷制の産物。日本にもあった奴隷時代の食 - 歴史ニュースウォーカー

    きょうのエントリー「意外に浅かった鍋の歴史は200年」の続きです。 西洋の伝統的な料理というと、シチュー、ボルシチなどがあります。 ところが、この煮込み料理というのは、実は、中世の奴隷制の中で生まれたものなのです。 中世の農奴制というやつで、各地の王や領主たちは、民を朝から晩まで使役し、酷使していました。 「朝から晩まで」というのがポイントで。ランチなんてありませんから、昼をべに家に帰ったりはしません。 日の出とともに家を出て、日没とともに帰ってくる非常にブラックな仕事を、民衆はしていたのです。 もちろん、専業主婦なんていません。そのため、事を用意する時間もありません。 そこで、朝、仕事に行く前に、かまどに火を入れて、野菜や塩漬けの肉をいれた鍋を置き、弱火でコトコト10時間くらい煮込むのです。で、帰ってきたときには、どんなに硬い肉でもべられるくらい柔らかくなっているというわけです。

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