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ブックマーク / www.ele-king.net (13)

  • R.I.P. Damo Suzuki | ele-king

    「今」だけを生ききった旅人 松山晋也 昨日(2024年2月10日)の深夜にダモ鈴木さんの訃報をツイッターで知った時、まっさきに思ったのは、やっぱりダモさんの最新インタヴューもとっておくべきだったな、ということだった。2020年秋に私の編集・監修で出た『カン大全――永遠の未来派』には、人の回顧録『I Am Damo Suzuki』の紹介記事(崎山和弥)と、セレクテッド・ディスコグラフィ(小柳カヲル)、そして私が96年にやったインタヴュー原稿を掲載したが、総ページ数に制限があったため、最新情報までは載せられなかった。まあ、ガン治療で大変そうだと聞いていた上、インタヴューしても肝心なポイント(言葉)はだいたい予想できるという思いもあったわけだが。 ダモさんには過去4回インタヴューした。「日でのちゃんとしたインタヴューは初めて」だと言っていた最初の取材はたぶん88年だったと思う。70年代後半か

    R.I.P. Damo Suzuki | ele-king
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    yuzuk45 2024/02/14
    ダモ鈴木
  • R.I.P. 鮎川誠 | ele-king

    連日レジェンド級のアーティストたちの訃報が続き、堪えるなと思っていたところへまたひとり……シーナ&ロケッツの、そして日を代表するロックンロール・ギタリストの鮎川誠が1月29日午前5時47分(シーナ!)に亡くなった。享年74歳。日中のロックンロール・ファンがいま、悲しみに暮れている。 昨年5月に膵臓がんで余命5ヶ月を宣告されてからも「一でも多くライヴをしたい」とツアーを続け、近年ではもっともライヴの多い一年になったという。最後までロックとライヴにこだわった生涯だった。 11月にはシーナ&ロケッツ45周年ワンマンを新宿ロフトで行った。ライヴ中にウィルコ・ジョンソンの訃報が入り、「ウィルコの分までロックするぜぃ!」と叫ぶ姿がYouTubeに投稿されている。 そんなウィルコ・ジョンソンやイギー・ポップといった鮎川とも交流のあったアーティストたちと同様に、鮎川はパンク以前とパンク以後、メジャー

    R.I.P. 鮎川誠 | ele-king
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    yuzuk45 2023/02/03
    “長年連れ添ったレスポールから発するあの爆音は、エフェクターなしでどうやったらあんな音が出るのかまったく見当もつかない。”
  • 高橋幸宏 音楽の歴史 | ele-king

    高橋幸宏は1952年6月6日、東京で生まれた。父は会社経営をしており、自宅は200坪の敷地に建ち(もともとは天皇の運転手が建てた家だそうだ)、軽井沢には別荘を持っていた。 後に音楽プロデューサーとなる兄に感化され、早くから音楽に親しみ、小学生のときにはドラムを始めている。このドラムという楽器を選んだ理由にはドラムの練習ができるほど広い家に住む子がなかなかいないからだったと後年明かしている。 中学生のときにはユーミンが参加することもあったバンドを組み、高校生のときにはもうセッション・ミュージシャンの仕事を始めていたのだから早熟と言うほかないだろう。ドラムのうまい高校生がいるという噂を聞きつけて大学生だった細野晴臣が会いに来たのも高橋幸宏の高校時代のこと。大学に入るとガロに一時在籍するなど、すでにプロのミュージシャンとしての道も歩き始めていた。 そんな高橋幸宏の転機となったのは、旧知の加藤和彦

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  • Horace Andy | ele-king

    ホレス・アンディは黄金の喉を持っている。ヴィブラートのかかったファルセット・ヴォイス。甘い声だが、しかし言葉は反骨的だ。「金、金、金、金、それがすべての悪の根源(Money, money, money, money/Is the root of all evil)」、永遠の名作『ダンス・ホール・スタイル』の冒頭でこう歌った彼は、作『ミッドナイト・ロッカー』でもこう歌っている。「金、金、お前には心がない」。ホレンス・アンディだけがマッシヴ・アタックの全作品で歌っているのは、彼がブリストル・サウンドの根幹のひとつとしてあるジャマイカのレゲエ・シーンから出てきた歌手だからという、ただそれだけの理由ではないだろう。両者のあいだには精神的な繋がりもあるに違いない。 ホレス・アンディが70年代に残した全作品が必聴盤であり、1982年にNYの〈ワッキーズ〉からリリースされたくだんの『ダンス・ホール・ス

    Horace Andy | ele-king
  • Lee Perry | ele-king

    リー・ペリーの初来日は1992年6月、バックバンドは当時の〈ON-U〉が誇るダブ・シンジケート(スタイル・スコットにスキップ・マクドナルド、そしてルーベン・ベイリー)だった。忘れられないライヴのひとつだが、ぼくはその来日時に編集者として取材にも立ち会っている。インタヴューの最後にライターは「日のルード・ボーイ、ルード・ガールにメッセージをお願いします」という申し出をした。記事の締めとして「俺も昔はルード・ボーイだったんだよ」みたいな共感を喋って欲しかったのだろう。しかしペリーはじつにシンプルに、笑みを浮かべてこう答えた。「良い子になりなさい」 それから30年近く過ぎたいまでもぼくはこの答えが忘れられないでいる。 8月29日、リー・“スクラッチ”・ペリーはジャマイカの病院で息を引き取った。85歳だった。死因はまだ明らかにされていない。 1936年にジャマイカのケンダルで生まれ、1961年に

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    yuzuk45 2021/08/31
    追悼
  • 追悼・蜷川幸雄(後編) | ele-king

    前半では、おもに、蜷川幸雄さんと歌手としてのわたしについて書いた。後編では、女優として、蜷川さんの現場に立ったときの、思い出と感じたことを書こうと思う。そしてその後のことも。 蜷川さんが、チェーホフの「三人姉妹」の、三女イリーナの役を、とオファーをしてくれたときは、天にも昇る気持ちであった。まさか、というか。メインキャ ストだったし、わたしにも、京子やアイドルの方のような華があるのかと、恐る恐るだが思えたし。そのときは、まだ緊張というものはなかった。劇場は今はなきセゾン劇場で、小劇場で演劇をやっていたわたしには、大きく感じた。それくらいのキャパの劇場は、歌手としてなら、幾らもあったが、マイクを使わない、 というのは全く違う。そして、ふと思った。 蜷川さんは、大きな賭けをなさったんだ、と。わたしを大きな舞台で使う、という(経験でいうと、子役のときに新橋演舞場で出たことがあっただけであった)。

    追悼・蜷川幸雄(後編) | ele-king
  • 追悼・蜷川幸雄(前編) | ele-king

    歳を重ねて、嫌だなと思うことは、わたしの場合あまりない。ただ、25歳前後に知り合いの結婚式ラッシュがあったように、歳を重ねると喪服を着ることが多くなるのだ。だが、この人は、まだ大丈夫と思い、覚悟をしてなかった人が逝った。80歳で、車椅子に乗り、鼻に管をしていたにもかかわらず、だ。蜷川幸雄さんは、その状態で、演出しながら怒り、あいかわらずの調子で台を床に叩きつけている映像が流れたこともあったから、なんとなく油断していたのだ。 蜷川さんは、女優としてのわたしと、歌手としてのわたしの両方でお世話になり、卑屈なわたしに、両方の自信をくれた人だ。 亡くなる数年前にも、「サワコの朝」という番組で、まだ凄いことを言ってくださっていた。ソロになってからずっと好いてくださったのだ。自分で書くのは、あまりに恥ずかしいから、ネットで調べていただきたい。さいたまゴールド・シアターという、高齢者だけの劇団を作った

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  • talk with Takkyu Ishino × Stephen Morris | ele-king

    Home > Interviews > talk with Takkyu Ishino × Stephen Morris - 特別対談:石野卓球×スティーヴン・モリス(ニュー・オーダー) 余計な説明はいらないだろう。5月24日、都内某所、石野卓球とニュー・オーダーのドラマー、スティーヴン・モリスは40分ほど対話した。以下はその記録である。 前日の25日には、バンドは来日ライヴを成功させているが、石野はフロントアクトとしてDJを務めた。彼は、今回のアルバム『ミュージック・コンプリート』からのシングルの1枚、「Tutti Frutti」のリミックスを手掛けている。そして石野は……以下、どうぞ対談をお楽しみください! 失礼ですが、僕がそれまでに観た海外のバンドなかで1番ヘタクソだなって思ったんですよ(笑)。でもね、それがすっごくカッコよくてね。 ──石野卓球 石野卓球:僕のニュー・オーダーのライ

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  • talk with Takkyu Ishino × Stephen Morris | ele-king

    Home > Interviews > talk with Takkyu Ishino × Stephen Morris - 特別対談:石野卓球×スティーヴン・モリス(ニュー・オーダー) 余計な説明はいらないだろう。5月24日、都内某所、石野卓球とニュー・オーダーのドラマー、スティーヴン・モリスは40分ほど対話した。以下はその記録である。 前日の25日には、バンドは来日ライヴを成功させているが、石野はフロントアクトとしてDJを務めた。彼は、今回のアルバム『ミュージック・コンプリート』からのシングルの1枚、「Tutti Frutti」のリミックスを手掛けている。そして石野は……以下、どうぞ対談をお楽しみください! 失礼ですが、僕がそれまでに観た海外のバンドなかで1番ヘタクソだなって思ったんですよ(笑)。でもね、それがすっごくカッコよくてね。 ──石野卓球 石野卓球:僕のニュー・オーダーのライ

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  • RIP David Bowie | ele-king

    英国に止まない雨が降った朝文:ブレイディみかこ ある雑誌の企画で「いま一番聴いている5曲」という調査に参加することになり、アンケート用紙に記入してメールした後、酒を飲みながらボウイの新譜を聴いていた。 「いま一番聴いている5曲」の中にも、『Blackstar』収録の” 'Tis a Pity She Was a Whore”を入れた。過去と現在の音をカクテルにしてぐいぐいかき混ぜながら、確かに前進していると思える力強さがある。みたいなことをアンケートには書いておいた。 そして新譜を聴きながらわたしは眠った。 が、朝5時に目が覚めてしまった。 まるで天上から誰かが巨大なバケツで水をぶちまけているかのような雨が降っていたからだ。雨の音で目が覚めるというのはそうある話ではない。こんな怒涛のような雨が降り続いたら、うちのような安普請の家は破れるんじゃないかと気で思った。妙に真っ暗で、異様なほどけ

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  • 第34回:This Is England 2015 | ele-king

    『The Stone Roses:Made of Stone』日公開用パンフのためにシェーン・メドウズにインタヴューしたとき、「わたしは『This Is England』シリーズの大ファンです。『This Is England 90』はどうなってるんですか」などという素人くさい質問をぶつけてしまったことが含羞のトラウマとなり、『This Is England 90』には複雑な想いがあった。が、あれから早くも2年の月日が流れ、わたしは自宅の居間でイカの燻製をいながら当該作を見ていた。 (このシリーズの歴史を説明するとそれだけで連載原稿が終わってしまうので、ここではすっ飛ばす。知りたい人は拙著『アナキズム・イン・ザ・UK』のP136からP145とか、あるいはネット検索すれば日語でもそれなりの量の情報は手に入るし、こういう映像もある) ******* 『This Is England 90

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    yuzuk45 2015/10/09
  • New Order | ele-king

    Home > News > New Order - ──バーナード・サムナーの自伝『ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』刊行のお知らせ イアン・カーティスの死後、1980年の後半からニュー・オーダーとして再出発した彼らは、まず自分たちのサウンドをどのように創出するかで悩んだ。そして、新たなる音を創出するうえでヒントにしたものがふたつあった。ひとつは、ニューヨークで知り合ったDJから送られてくる最新のクラブ・サウンド。そしてもうひとつがベルリンに移住したイギリス人、マーク・リーダーから送られてくる音。バーナード・サムナーは、自分たちが“ブルー・マンデー”を生むまでの過程において、NYクラブ・カルチャーと同時にマーク・リーダーおよびベルリンからの影響をしかと記している。このくだりを読めば、日のファンは思わずニヤッとするだろう。ちなみに、──これは書には書かれていないが──

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    yuzuk45 2015/09/12
  • R.I.P. 横田進 | ele-king

    テクノ/ハウス/エレクトロニカのプロデューサーとして国内外に多くのファンを持つ横田進が、3月27日、長い病気療養のすえ永眠したことが最近わかった。音楽関係者との接点を持たなかったご遺族が、先日、遺品整理中に見つけた関係者からの手紙を頼りに報告があった。54歳だった。 横田進は、ハウス・ミュージックに触発されて、90年代初頭から格的な音楽活動をはじめている。初期の作品、1993年にドイツの〈ハートハウス〉からリリースされたFrankfurt-Tokio-Connection名義の12インチ・シングルは、都内の輸入盤店でも話題になった。当時勢いのあったジャーマン・トランスの重要レーベルからのリリースだったということもある。が、何よりも、無名の日人がいきなり海外のレーベルから作品を出すことがまだ珍しかった時代のことだった。いまや音楽は世界に開かれている──そんなオプティミスティックな気配がア

    R.I.P. 横田進 | ele-king
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    yuzuk45 2015/07/16
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