世の中は、わたしが思っているよりも、あなたが思っているよりも、ずっとずっと複雑だ、という気がする。 わたしたちがある事物に対して語れるのはつまるところ「受容」と「拒絶」の2つと、その間のどこか、皮膚の上1ミクロンの、生理的感覚、とも言うべき主観でしかない、とわたしは信じてる。 「評論」、特に娯楽への「評論」という行為には、ネット上のアマチュアの短い感想文をも含めて、わたしは本質的に懐疑的であるし、不可能だと思う。澁澤が殊更に「偏愛」という言葉を多用したのは、エクスキューズであり、照れであり、同業を討つ刃であったのではないか。 「だって好きなんだもん」と「だって嫌いなんだもん」より多彩なことを、食物や文学や音楽や映画や芝居に対して、言ったり聞いたりした、と思ったら、それは言った人か聞いた人が錯覚しているのだろう、と思う。その錯覚こそが豊穣であるのかもしれないけれども、それは石ころを口の中で転