広州は、宋代や元代の昔から南洋貿易の拠点だった街で、清代半ばからは対外貿易が許される清国唯一の港として発展した街です。その時代、外国の公館などの設置は広州にしか認められず、外国人の保護・隔離を目的として清国は広州市内に外国人居住区を設置していました。その後のアヘン戦争後の交渉で、その外国人居住区はイギリスやフランスの租界地となったわけですが、それが沙面島です。 東洋の魔都といわれた上海のようにスケールの大きな建物は少ないのですが、今でも、沙面に行くと上海の外灘ほどではないものの、ヨーロッパのような街が広がっているのはこうした歴史によるものです。 朝の沙面を散歩して、そのまま沙面で朝食を取るところがないかを大衆点評という中国のグルナビのようなサイトで探していたところ、沙面にある勝利賓館というホテルの二階に西関粤という高級レストランがあって、朝8時半から飲茶ができることがわかりました。 勝利賓