会社からの帰り道にサンリオショップがあるので嫌なことがあった日にはハンギョドンに貢いでいる
障害者支援施設で折り鶴を作りウクライナ大使館に届けるという記事に対するブコメに困惑している。 届けられた方は置き場所や処分に困るため問題になっていることは理解しているし、その通りだと思う。 送るのではなく施設内に飾るという方法を取るべきだろう。 それはそれとしてウクライナを想い励ましたいという施設利用者の気持ちまで踏みにじるようなコメントは行き過ぎだろう。 自己満クソ野郎どもとでも言いたげなコメントが散見されて萎える。 方法が間違っているからといって、ウクライナを想いやる気持ちまで虚構とは限らない。特に折り鶴は日本においては最近問題として取り上げられるようになったが、まだまだ祈りを届ける手段として一般的な方法なのだから。 確かに折り鶴そのものは何の役にも立たないので全く非合理的手段ではあるが、そもそも思いやる、祈るという行為とはそういうものだ。 方法「だけ」を批判すればいい。だがお前らの自
※冗長なタイトルを変更しました 割りと深刻な話なんだけど、田舎では歩行者が横断するために一時停止するクルマは あまりいない そもそも歩行者が少ないからか、歩行者に譲るという考えが殆ど定着していないんだよ 信号のない横断歩道で人が待っていても無視する車は相当いる 例えば俺の通勤ルートには学生が毎朝渡る横断歩道がある たった数名なのだけどその子達はクルマがいなくなるまで待って渡っている 危険だし、そもそも止まればいいんだけど誰も止まらない 俺は毎朝、その子達がいないことを祈って走っているが、運悪くあたっても気づかなかったフリをシて通過している 以前、道を譲ったことがあったのだが、他の車が邪魔だと思ったらしく普通に抜いていったからね 横から来たクルマも歩行者の存在を知っていて、俺が一時停止したのを見計らって堂々と通っていった 違法なのに、止まることが馬鹿らしくなる こういうのってまじでどうすれば
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