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ブックマーク / aketekure.hatenablog.com (14)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    高木浩光という人は実に得がたい人物だと思う。空気を読むことなど決してなく、手加減することもせず、ゴルゴ13のごとくただひたすらに自分の信念のみに従って、間違ったまま放置されているセキュリティホールに対して異常なまでの情熱を注いでそれらを明らかにし続けている。 人口十億人の中国が4000年かかってやっと孔子を得、人口十億人以上とも言われるインドが釈迦に続いてやっとアマルティア・センを得たのと同じぐらい、高木浩光をもう一人得るのは難しいと思う。その貴重さ加減はレアアースどころではない。 このような貴重な人物に対し、おそらく今後ありとあらゆる恐喝恫喝泣き脅しハニートラップが組関係や総会屋関係や電通がらみやモサドがらみで押し寄せてくると思われるので、カネゴンたちとしてはたとえば次のような方法をもってこれらの圧力を可能な限り排除し、彼を全面的に支援しなければならない。 家族や親戚に身の危険が及ぶこと

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2013/02/02
    曰く『人口十億人の中国が4000年かかってやっと孔子を得、人口十億人以上とも言われるインドが釈迦に続いてやっとアマルティア・センを得たのと同じぐらい、高木浩光をもう一人得るのは難しいと思う』
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    玄米はなぜミネラル不足になるか。 玄米を長く続けて体がおかしくなった人や短命になった人をたくさん見てきました。フィチン酸の排出作用は強力なものです。だから病気の症状が消え、ガンさえ治るのです。玄米にミネラルが多いから病気が治るのではないのです。玄米のアクが毒素を引っ張って出すのです。 甘い物を全くべない玄米菜に徹底している人や子供に虫歯になる人が多いのも玄米のフィチン酸のミネラル排出作用によってカルシウムも奪われるからでしょう。 結論を申し上げますと玄米より白米の方が人間の主として適しているということです。 http://www.global-clean.com/html/akude-minerarubusoku_01.html 健康品は数ヶ月から一年以内で止めないと体のミネラルがどんどん奪われ寿命を縮めていく原因となります。 このような一品主義健康法はあまりにも片寄った健康法な

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2010/06/19
    『玄米食はなぜミネラル不足になるか』『このような一品主義健康法はあまりにも片寄った健康法なので絶対に続けてはいけないものです』
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    色川武大は自身の中で「自然律」を最上位のものに置いていた。 これは「自然界の法則」と同じものであり、「人はいつかは死ぬ」とか「いいことばかり起きることはありえない」とか「何かを得るには何かを失わなければいけない」とか「進歩することは終わりに近づくことである」とか「どんなことにでも終わりはある」とか、1+1=2のような、人間どころかエホバの神ですら変えることができないような、科学者を含めたいかなる人間でも屈服せざるを得ないような法則を指す。 そして、「文学とは、人間が(人智では越えられない原理原則に立ち向かい、そして)負けるプロセスを描くものだ」という極めて優れた文学の定義を得た。 なぜか色川武大はこの自然律に「愛」を含めていたりして、ぎょっとするのだけど。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2009/05/25
    色川武大曰く「進歩することは終わりに近づくことである」「どんなことにでも終わりはある」「何かを得るには何かを失わなければいけない」「いいことばかり起きることはありえない」
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    逆に言えば、島耕作みたいに「勝ちを描写するもの」は定義上含められない。ちゃんと読んだことがないので恐縮なのだけど【殊勝なふりとはおれカネゴン】、島耕作は地位の上昇と引き換えに何かを失った気配がどこにもないところが、統計的にものすごく不自然な気がする。 対照的に、角川一族は彼らが得たものと引き換えに失った莫大なものごとがバランスシート上ではっきり示されていて、自然律に合致していることが確認される【因果応報おれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2009/05/24
    曰く『島耕作は地位の上昇と引き換えに何かを失った気配がどこにもないところが、統計的にものすごく不自然な気がする』 ― ほんとだ!
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    漫画喫茶で十数年ぶりに背中の四角い少年漫画雑誌と少女漫画雑誌を10分でザッピングして、唯一ぶっちぎりに面白かったのがさよなら絶望先生という漫画。以来ついつい単行をちびちび買ってしまう。ちっとも知りませんでしたが、講談社漫画賞も受賞していたらしい。 とにかく、最初から最後までとことん人をっている。単行第一巻から「前回までのあらすじ」があり、そのあらすじがその後も毎回口からでまかせで、今やそれが楽しみになってしまっている。 第一回から(おそらく現在まで)、毎回の読み切りのフォーマットというか話の展開を完全にテンプレート化していて、そこから決してはみ出さないようにしているところも人をっている。 さらに、意味もなく女の子のパンツを見せたりツンデレをやってみせたりしていながら、書いている人はそういうことが心の底からどうでもよいと思っているために、そうした手垢の付いた手法の唐突な引用がそのま

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2009/04/26
    カネゴンさん「さよなら絶望先生」を大絶賛
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「日経サイエンス別冊「こころのサイエンス」04」からかいつまむ。 子供を育てるにあたり、子供の知能や才能を強調したり褒めたりすると、予想に反して次のような結果になりやすい: 失敗に対してもろくなる 失敗に対して言い訳ばかりするようになる(「自分にはやはり才能がない」など) 挑戦を恐れるようになる 短所を改善することをいやがるようになる 対照的に、子供の努力を強調したり褒めたりすることで、その能力にかかわらず、困難に挑戦し、短所を改善し、成績も向上するようになった。 大人でも、たとえば漫画家や映画監督やゲームクリエイターなどは前者と同じ罠に落ちやすいような気がしないでもない。周りの人たちも話題が他にないものだから深く考えずに一つ覚えで「才能ありますね」とばかり繰り返し、それがまじないとして人にじわじわ影響を与えたりしそう。未来の子供たちが進路を定めるにあたり、そういう意味での職業ごとおよび

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2008/08/11
    子供を育てる時、知能や才能を褒め過ぎると失敗に脆くなったり怖れるようになるが、努力を強調して褒めると困難に挑戦し、短所を改善し、成績も向上するようになるというお話からの展開
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    マキアヴェリ語録。内容はともかく、微妙にこなれていない日語が気になって仕方がないので、気になった文のみカネゴンが練習として勝手にリライト【文化を汚すおれカネゴン】。 なお「君主」は「指導者」に一律変更。あくまで指導者向けらしいので、一般の農奴には通用しないかわり、指導者であれば社長でもヤクザの首領(ドン)でもよいはず【ワンオブ農奴のおれカネゴン】。 小馬鹿にされた者は間違いなく仕返しを企むが、とことん馬鹿にして地べたに這いつくばらせてやれば仕返しをあきらめる。だから、相手を痛めつけるときには徹底的にやること。でないと自分の身が危うくなる。 他人をおめおめと出世させるようなへまをする者は、必ず自滅する。 相手を痛めつけるなら、一息にやれ。恩を着せるなら、ゆっくりと時間をかけて味あわせてやれ。 自分たちの望みを一つ残らず叶えるためには、無関係な第三者を蹂躙し、収奪する以外に方法はない。 欲が

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2008/08/10
    『欲がなく忠実な部下を手に入れたら、何があっても手放すな』―クリリンのことかーーーー!w
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    屋で見かけた『確率の哲学理論 (ポスト・ケインジアン叢書)』という悪文オンパレードのからやっと読み取った部分を記憶から: 確率論のパイオニアであったパスカルのところに、プロのギャンブラーがサイコロの確率について相談し、パスカルがそれに回答したところ、ギャンブラー氏はその回答は自分の経験と合っていないと却下した。 後に、実はパスカルが勘違いしていたことがラプラスだか誰かによって指摘され、ギャンブラー氏の経験の方が正しかったことが判明した。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2007/08/12
    パスカルとギャンブラーとの対決で、実はギャンブラーの経験の方が正しかったという故事
  • 2007-08-09

    宗教の人というのは、やっぱり現在に通じる新しい「天国モデル」を提案できないと嘘だと思う。 http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/08/post_526.html がんばります【呼ばれておらぬおれカネゴン】。 しかし天国を設計するのであれば、地獄をも念入りに完成させないといけない【地獄の使者のおれカネゴン】。 人はその死に際し、基的にまず意識が遠のく。実はこのとき、意識の動作速度が最初は1から始まって1/2.1/4,1/8...と無限等比級数に従ってぐんぐん低下するとしたらどうなるか。 収束する数列なら何でもいいのだけど、今のリンク先によるとと収束するので【計算しとらぬおれカネゴン】、たとえばこの時間の単位が秒なら、周りで看取る人たちにとってはたった2秒である時間が、死に行く当人にとっては無限の時間となる。 そして、死に際して人生

    2007-08-09
    zetamatta
    zetamatta 2007/08/12
    『宗教の人というのは、やっぱり現在に通じる新しい「天国モデル」を提案できないと嘘だと思う』から始まる死生のモデリングの試み?
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    偶然と必然を混同する勘違いもよくあります。たとえば交通事故のほとんどは偶然に起こるものですが、運転者の心がけに問題があったのだろうとつい思ってしまうことがあるので注意が必要です。 http://wiredvision.jp/blog/masui/200707/200707270224.php 予想どおり「懲戒免職は当然だ」という反発の声が多いが、果たして厳罰化で事故は減らせるのか。この記事でも書いたように、飲酒運転は交通事故の1.6%でしかない。大部分の事故は、意図的な危険運転が原因ではなく、偶然が重なって確率的に起こるのである。事故件数は車の総走行距離に比例するので、根的な交通事故対策は、大量輸送手段を整備して車を減らすことなのだ。 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/3da23ce284d794319c280acbc4ab73c0 (前略)今回の事故

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2007/08/12
    「偶然と必然を混同する勘違いもよくあります…交通事故のほとんどは偶然に起こるものですが、運転者の心がけに問題があったのだろうとつい思ってしまう…」
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 20070627#p2

    奴隷主義者(=ほとんどの人間は奴隷としての幸せを追求すべきというか既にそうなっている、奴隷でない人は奴隷の分まで苦労と責任と孤独と非難と恥辱を背負うべきというか既にそうなりつつある)のカネゴンにはさっぱり理由がわからないのだけど、欧米の人々にとっては「自分に自由な意志がある」かどうかというのが何だかとても重要なことらしい。 かれこれ400年も前にぼくスピノザ先生が「自由でない(必然の)意志ならあるが自由な意志などない」「一見自由意志に見える現象は、単に身体がそれを欲しているだけだ(身体の奴隷になっている)」と第一ヒントでずばり質を見抜いてゴンドラが2つ上がったことが今になって続々と裏付けられていることが、どうやら欧米の人々にとって何やら屈辱的かつ実に嫌な部分を衝いているらしく、日ごろ何一つ浮かばれることのないカネゴンの溜飲がナイアガラの滝のように轟音蹴立てて下がりまくる【ルサンチ男のおれ

    あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 20070627#p2
    zetamatta
    zetamatta 2007/07/21
    曰く「自由でない(必然の)意志ならあるが自由な意志などない」「一見自由意志に見える現象は、単に身体がそれを欲しているだけだ(身体の奴隷になっている)」
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 「交換の社会学」の結論のうち、目に付いたものを表現を改めてピックアップ

    「交換の社会学」の結論のうち、目に付いたものを表現を改めてピックアップ【つまんでうとはおれカネゴン】。 人は、結局自分と同じような種類(地位)の人間と付き合おうとする。特にプライベートの付き合いで。 地位の低い者が地位の高い者をパーティに呼ぶということは、(たとえそのつもりでなくても)よばれた地位の高い者からすると自分を引きずりおろそうとしているように思われてしまい、(同じ地位の低い)同僚からは抜け駆けしようとしているように思われる。 釣りバカ日誌の背景にある力学がようやく見えてきたような気がする。寺沢武一の漫画にあった「たまにはバカな女と付き合った方が勉強になるぜ」という台詞を未だふと思い出す【勉強不足のおれカネゴン】。 地位または能力の低い人は、いじけてすねることによって消極的に抵抗する。しかしそれによってその地位の低さがますます確定する。 リーダーは、会社組織で下から恐れと尊敬を受

    あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 「交換の社会学」の結論のうち、目に付いたものを表現を改めてピックアップ
    zetamatta
    zetamatta 2007/04/08
    曰く『ものわかりよさげな近代人が目障りとばかりにこの地上からすっかり駆除してしまったカミナリ親父達こそは実は貴重な資源だったりなんかして』
  • 安全そうな覚せい剤モダフィニル - あけてくれ

    戦闘機のパイロットにも投与される、安全そうな覚せい剤モダフィニル。10時間睡眠をとるだけで88時間働けてしまうという凄まじい効能。 もしかするとこの薬こそが高齢化問題を抜的にスカッと解決するのではないかとカネゴン期待してしまう【解決されるはおれカネゴン】。成人したら誰もがこの薬をらって不眠不休で馬車馬のように働き、介護が必要な高齢に達する前に皆で揃って過労死すれば、やがて人口ピラミッドが美しい三角形を描く希望に満ちた覚醒社会になるのではないかと【涅槃で待ってるおれカネゴン】。もしかしてカネゴン、問題解決の功績により表彰してもらえるだろうか【宴会準備のおれカネゴン】。 ダイエットに効くとそっと申し添えるだけで、わざわざ頼まなくても婦女子が争って飲んでくれる(実際爆発的にやせてしまいそう)。アーリーリタイアメントと囁けば管理職や社会の上層部まで満遍なく服用してくれる。トップクラスの科学者ま

    安全そうな覚せい剤モダフィニル - あけてくれ
    zetamatta
    zetamatta 2007/03/31
    戦闘機のパイロットにも投与される、安全そうな覚せい剤モダフィニル
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    色川武大が「怪しい来客簿」の「たすけておくれ」の冒頭で紹介していた、強烈な印象の話。例によって記憶から丸引用【二重引用おれカネゴン】。今回はあんまり自分の考えではなかったりする。 能「善知鳥(うとう)」はこんな話: ある所に暮らしていた猟師は、家業に励むことこそ大事と教えられ、来る日も来る日も鳥を撃って暮らす。しかし猟師は、死んだ後に殺生の罰として地獄に落ち、鳥が流す血の涙に溺れて苦しみぬく。亡霊となった猟師は旅の僧に助けを求める。殺生がいかんというのならなぜ自分はそれを知らされずに育ってしまったのか。家業に励んだことがなぜいけなかったのか。「助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧」(坊様、助けてください、助けてください)と猟師の亡霊が泣き叫んだところで、ふっと話が終わる。 ハリウッドで映画化されることはまずないだろうけど、カネゴンはこの話を思い出すたびに胸が締め付けられそうになってしまう。正

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    zetamatta
    zetamatta 2005/05/14
    救われぬ猟師に涙した…
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