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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (12)

  • もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの - いつか電池がきれるまで

    yutoma233.hatenablog.com 『おのにち』さんは「はてなブログ」を長い間書いておられる方で、僕とは直接の絡みはほとんどないものの、固定読者も大勢いて、マイペースで更新されているのだろうな、と思っていました。 別にブログをやめるとかそういう話じゃなくて、『はてなブログ』有料版の期限が切れたのを延長せずに無料版でやります、というだけの話ではあるのだけれど、最後のほうに、こんな文章があったのです。 最近は、昔感じていたブログへの熱意みたいなものが残念ながら薄れてきつつあるんですけど、それでもやっぱり書くことは楽しいし、同じブログ仲間だ!と親近感を抱いている人達もたくさんいるので、これからも細々と続けていけたらいいなぁと。 ああ、ブログへの熱意みたいなものが薄れてきているのは、僕だけじゃないんだな、と。 それは別に今にはじまったことではなくて、もう5年前くらいから、僕が書いてい

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    zoidstown 2022/08/09
  • 『ファイナルファンタジー』のタイトルの由来と、失われていく「テレビゲーム黎明期」の記憶 - いつか電池がきれるまで

    magmix.jp この記事を読んで、昔の『ファイナルファンタジー(FF)』のことを思い出していたのですが、初代FFの名前の由来について、坂口博信さんのインタビュー記事を以前読んだのを思い出しました。 「CONTINUE Vol.22」(太田出版)のインタビュー記事「『ファイナルファンタジー』を創った男・坂口博信」より。 (「ファイナルファンタジー」のシリーズ最初の作品「ファイナルファンタジー1(当時のタイトルには「1」はついていないのですが、今回は便宜的につけさせてください)」の開発当時のことを振り返って) インタビュアー:『FF1』のクレジットを見ると、坂口さんの名前はなくて、スクウェアAチームになっていますね。 坂口:当時のスクウェアはチーム制になっていて、僕らは古株だったので、スクウェアAチームと呼ばれていたんです。最初のAチームは4人しかいなくて、僕と、渋谷さんという女性デザイナ

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    zoidstown 2022/07/25
  • 人びとを「プア」から「ワーキングプア」に全力でクラスチェンジさせようとしている国で生きるということ - いつか電池がきれるまで

    fujipon.hatenablog.com ※前回のこの記事の続きです。 anond.hatelabo.jp anond.hatelabo.jp これらの『匿名ダイアリー』を読んだ人たちに知っておいてもらいたいのは、現在の日は、すでに、生活保護や低所得者への援助を積極的に行っている国ではない、ということなんですよ。 fujipon.hatenadiary.com こので示されるという統計によると、「日では必要な人の10~20%しか生活保護を申請しない」そうです。 子育て罰~「親子に冷たい日」を変えるには~ (光文社新書) 作者:末冨 芳,桜井 啓太光文社Amazon このには、こんなことが書かれています。 ごく簡単に言えば(「子育て罰」というのは)、子育てする保護者はそうでない大人に比べて賃金が低く、貧困に陥りやすいという課題を表現する「child penalty(チャイルド・

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    zoidstown 2021/08/19
    “「ちゃんと働け!」というプレッシャーは強いけれど、貧困者ががんばって働くと、さらに貧しくなってしまうのです。なんなのその地獄絵図。”
  • 2021年の個人ブログの「誰にも言えない話をネットに書く文化」の復活と、「有料化」の話 - いつか電池がきれるまで

    あけましておめでとうございます。 年もよろしくおねがいいたします。 昨年、2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴う「新しい生活様式」に戸惑う1年になりました。昨年末から年明け、新型コロナウイルスの感染者数は収束するどころか、さらに増えてきており、多くの人たちは「コロナ疲れ」というか、「コロナ慣れ」してしまっているかのようにも感じます。正直、ここまで増えてくると、感染経路を特定するのも困難だし、ワクチンが実用化されて普及するか(とはいえ、こんな短い期間で開発されたワクチンはちょっと怖いな、とも思うのですが)、ほとんどの人が既感染者になってしまうしかないのかな、とも考えてしまいます。ただ、あまりにも急速に感染拡大すると、医療機関で対応しきれなくなってしまうため、なんとか感染者数の爆発的な拡大を抑制したいところではありますが…… このブログでは、毎年、新年最初のエントリは、「現

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    zoidstown 2021/01/03
    “新型コロナウイルスが、人類にとって「災厄」であることは間違いないでしょう。しかしながら、そのなかで、今まで見えていなかったことに気づかされた、という人は、けっこう多いのかもしれません。”
  • こんな世の中だからこそ、「本当のお金持ち」の話をしよう。 - いつか電池がきれるまで

    お金持ちがポンとちょっとしたお金を出して、それを獲得したい貧乏人たちが醜く争ったりしてその様子をお金持ちが眺めて楽しむといったようなウェブサービスを作りたいですね。— pha (@pha) 2008年12月10日 太い実家のない俺が40歳までに何千万の貯金と家を手に入れるのはもちろん無理だったし、ワインをやっていなかったとしても焼け石に水、ぜんぜん無理だっただろう。どんな仕事をしてどんな暮らしをすればそうなるんだ。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2020年12月14日 僕はけっこう長い間、「お金のことをあれこれ言うのは、はしたない」というような、しょうもない矜持みたいなものを抱えていて、その一方で、先輩に頼まれていった当直アルバイトのお金を貰っていないことをずっと根に持つような人生をおくってきたのです。 正直なところ、子どもの頃から、切実にお金に困

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    zoidstown 2020/12/17
  • クックパッドの凋落と「若者のGoogle離れ」 - いつか電池がきれるまで

    www.moneypost.jp togetter.com 僕自身はクックパッドをそんなに利用しているわけではないのですが、こういう記事をみていると、IT業界というのは、新しいサービスだと思っていたものが、いつのまにか時代遅れになってしまっているものなのだな、と痛感します。 そうか、もうすでに「クックパッド離れ」が進んでいるのか……と。 レシピが多すぎて、どれを選んでよいのかわからない。 ネタみたいなレシピもあって、外れを引いてしまうリスクが高い。 文字での説明だと、「短冊切り」とか「とろ火」とかいう説明が、具体的にどのくらいの大きさや火の強さなのか、イメージがわきにくい、という難点もあるのです。 「短冊」の形はわかるけど、どれくらいの幅なのか?と。 ただ、こういうのは、その人の料理スキルに依存しているところはあって、慣れている人にとっては「動画をいちいち早送りしたり巻き戻したりしながら観

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    zoidstown 2019/09/29
  • 「このままでは『note』はダメになってしまう!」 - いつか電池がきれるまで

    penguin-diary.hatenablog.com 最近、「note」っていうサービスが、あらためて話題になっているようです。 note.mu この「note」が生まれたのは2014年。 生まれた当時はけっこう話題になって、岡田育さんとかfinalventさんなどが有料コンテンツをはじめたり、山さほさんのように「note発」で単行を出したマンガ家さんがいたりと、そこそこ盛り上がってはいたのです。 ただし、局所的に。 僕も新しいもの好きなので登録はしてみたのですが、うまく使いこなせていません。 note.mu 「今書いているブログ以外のところ」に、気楽に何かを書きたい人には良いのかもしれないけれど、noteを利用している人は、まだまだ少ない。 「無料」でよくて、「なるべく多くの人に読んでもらいたい」のであれば、『はてなブログ』に書いたほうが良いな、と考えてしまう。 このブログは、す

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    zoidstown 2016/02/11
  • 「ファミコン世代」の独白 - いつか電池がきれるまで

    「ファミコン世代」の一員として、なんだかちょっと憤ったり悲しんだりしているのだけれども、僕自身の1980年代くらいを振り返ってみると、ファミコンが(あるいは、ファミコンの時代が)僕に与えたいちばん大きな影響は「ヒマだな、と思う時間の消失」なのではないか、という気がする。 それまで、ビデオデッキやテレビゲームが無い時代というのは、夜は、「でも読むか、がんばって夜更かしてオールナイトニッポンでも聴くか、寝るしかない時間」だった。 テレビもそんなに遅くまではやっていないし、やっていても、「それは子供が観るものではない」とみんなが認識していた。 だからこそ「子供も『11PM』を観てみたいと思っていた」のだが。 ファミコンをはじめとするテレビゲームは、朝早くから、夜遅くまで、いつでも同じように僕を迎えてくれて、飽きもせずに一緒に遊んでくれた。 もちろん「このゲームには、ちょっと飽きてきたな」という

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    zoidstown 2015/01/11
    > いまは「ゲームを買うお金があっても、それで遊ぶ時間がない」のだけれども。
  • 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 1950年代に漫画が悪書扱いされ、日各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。 僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年

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    zoidstown 2014/11/30
  • 「ガラケー」を知らない大人たち - いつか電池がきれるまで

    「ガラケーって、『ガラパゴス携帯』のことなんだね。今日はじめて聞いたんだけど」 夜、と話していて、こんな話が出てきて驚きました。 「えっ、知らないの、ガラケー」 「うん。習い事に行った先で、他の人たちが携帯電話の話をしていたんだけど、何だかわかんなかったんだよね。今使っているこれが、『スマホ』っていうのは知ってたんだけど。 『ガラパゴス』って、どういう携帯なの?スマホの前に使っていたような折りたたみみたいなやつ?」 もちろん僕は「ガラケー」を知っているのだけれども、高齢者や子どもならともかく、自分と同世代の人(というか、自分の)に「聞いたことない」と言われたのは、すごく意外でした。 ネット上では、「ガラケー」という言葉に解説がつけられていることは、もうほとんどありませんしね。 でも、「メールとAmazon旅行の予約くらいにしかネットを利用しない」僕のにとっては、「ガラケー」というの

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    zoidstown 2014/01/18
  • ブログで、人生が(たぶん)変わった話 - いつか電池がきれるまで

    ブログを書き始めて、人生変わったこと。 僕は、生きていて感じる「ちょっとした疑問」を書くのが好きです。 それで、書いているうちに「平凡な人生の、ちょっとした起伏を見つけるのが楽しくなってきた」すなわち、「平凡な人生が、けっこう面白くなってきた」「退屈を感じることが少なくなった」ような気がします。 たとえば、こんな話を書きました。 「すき家」と「吉野家」の生卵の話 - いつか電池がきれるまで まあ、こういうのって、どうでも良い話、だと思うんですよ、大部分の人にとっては。 僕自身にとっても、「人生を左右するような話」じゃありません。 でも、ブログを書き続けている人間、とくに、僕みたいに「日頃の出来事を拾う」ような文章を書いている人間にとっては、こういう「日常生活のちょっとした気付きとかヒラメキ」で、すごく嬉しくなるのです。 大概において「日常」というのは、パターン化されていて、面白くないもので

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    zoidstown 2013/12/22
    ブログだけじゃなくサイト作ってやはり変わったと思うのだけれど。
  • 「イオンモールは、画一化されていてイヤ」 - いつか電池がきれるまで

    先日、ひとりで東京に行く機会があって。 平日に1泊、自由になるのは、到着日の夕方からと、翌日の朝からお昼まで。 結局、美術館めぐりと、ずっと行きたかった、藤子・F・不二雄ミュージアムを巡ってきました。 それはそれで、すごく充実した時間を過ごせたのだけれど。 僕は生まれてから東京に住んだことが一度もありません。 というか、人口100万人以上の「都会」に長い間住んだこともないのです。 人口数十万人程度の地方都市に生まれ、同じような規模の町を何度が転居し、社会人になってからも、人口数万人~数十万人の地方都市を転々としています。 大学に入るときには、東京に憧れてもいたのだけれど、まあそれは、いろんな事情(というか、偏差値とか、僕の人ごみ嫌いとか)があって、実現しませんでした。 中高生くらいのときには、東京に憧れていました。 東京には、近所の書店には並んでいないような面白いがたくさん並んでいるはず

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    zoidstown 2013/11/09
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