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ニセ科学と宗教に関するzoniaのブックマーク (10)

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 3ToheiLog: ニセ科学と「1+1≠2」

    ニセ科学と「1+1≠2」 宗教とか進化論とかニセ科学議論というのは、煮詰めていくと必ず水掛け論になるようだ。それはもう、煮詰まったから水かけているのだろうかとか、とか言うしかない。 実際、「ニセ科学」と「権威付けられていない科学仮説」の間に、線が引けるかと言うと、線を引かなければならないけれどかなり曖昧になってしまうと言うのが私のスタンスだ。ただ、「シャーマニズム宗教的なニセ科学」については、「動機付け」の点で線を引くのは基準のひとつかもしれない。 ・ 理性的な閉塞感からの逃亡願望を誘導する。 ・ 世間の空気を読んで安易な利益を示唆する。 明確に「ニセ科学」と言える種類の議論には、いつもそういう 「聞き手の側にある、安易な自己保全のための願望」 を充足するという側面が含まれる。 そういう「聞き手の逃亡」は、ある面から見れば健全でなくもないし、ある面から見ればひどく不健全だ。 1+1が

  • 疑似科学と宗教

    メジャーで古くからある宗教は、科学という価値観に晒されて、鍛えられて、非科学の領域にのみ存在するようになってるんだよね(まぁ、境界があいまいなところは怪しかったりするけど、普通の人はそんなところには触らないし、用も無いよね)。 で、宗教は信仰という「信じる事」を提供している。 この「信じる」ってのは、人間にとって、すごく重要な要素なんだよね。 人はすべてを完全に知ることは出来ない。どうやっても無理。人の心、未来、自分自身。 必ず知らない事が存在する。それを楽しめる時もあるけれど、不安になることも多い。 そんな時、人は不安を解消するために「信じる」。「彼女は僕を好きなはずだ」「このプロジェクトは成功する」「夜は明ける」 信じることで不安を解消するのだが、ここで重要なのは、信じた事が正しい/正しくないにかかわらず、不安は解消されるという事。 ニセ科学はここに入ってくる。不安を持つ人は、正しい/

    疑似科学と宗教
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 宗教とニセ科学は峻別できる。 - 不動産屋のラノベ読み

    So-net blog:Chromeplated Rat:科学と宗教(試論) http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-01-07-2 もちろん自然科学のスコープにおいては実在を証明することはできないけれど、だったらすなわち「ない」ことだ、としてしまうのは、別の意味での思考停止に他ならない。 宗教については一家言があります。 私の言いたい事は以下の3点です。 反証可能な事は科学の領域。宗教はそこに立ち入ってはいけない。 宗教の教義は、反証不能(=証明不能)なことでなければならない。故に、根拠がなく、信じるか信じないかの選択にならざるを得ない。 ニセ科学は、科学的手法を用いず反証可能な事を主張する。故に宗教ではない。 まず、1について。 これは、議論の余地がないところであると思います。「祈れば病気が治る」とか「空飛ぶスパゲッティモンスターが人類を創造

    宗教とニセ科学は峻別できる。 - 不動産屋のラノベ読み
  • 妄想科学日報の人は何が人をニセ科学に向かわせるのかを全然分かってないように思う。

    http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20061228/1167272368 以下上記エントリから引用 かつて川端裕人は竜とわれらの時代の中で、古生物学の権威でありながら創造論に傾倒するアメリカ人学者を描いた。人口の8割がキリスト教徒であり(日人の家に仏壇や神棚があったり初詣や葬儀で寺社仏閣を訪れるレヴェルよりも広く深く)信仰が生活に浸透している欧米では、科学者と雖も信仰と無縁ではない。 科学者が信仰を持つことを否定するつもりはないが、同時にそれが強固なイデオロギーであることも常に意識せねばならない。判断基準を神仏に委ねた瞬間、それは科学ではないものとなる。 この点では、普段の宗教的行為と信仰意識を切り離して扱うことに長けた日人というのは、実は一番科学向きなのではないかという気がする-----その割には科学離れが進んでしまっているのだが。 引用終り この人は一体何

    妄想科学日報の人は何が人をニセ科学に向かわせるのかを全然分かってないように思う。
  • ID論の説くデザイナーは超越者の名に相応しくない件について

    (07/18)私はいかにしてニセ科学批判者と呼ばれるに至ったか (07/17)産総研がバイオインフォマティクスのワークショップを開催するようです (07/12)IBMがゲノムビジネスに格参入するらしい (07/11)ホメオパシー助産師のビタミンK2の問題が裁判になった (07/04)日トンデモ大賞2010オープニングムービー (07/03)トゥーリオ・シモンチーニのがん治療についてのまとめ (03/29)『「トンデモ」批判の政治性と政治の未来』にコメントしてみる (03/24)ニセ科学商品バイオラバーについてのまとめ (03/23)正しい目薬のさし方 (03/21)科学なポッドキャストをまとめて紹介してみる はじめにお読みください(1) サイエンスニュース(122) 宇宙開発・天文ニュース(78) サイエンストピックス(57) バイオニュース(155) バイオインフォマティクス(17

    ID論の説くデザイナーは超越者の名に相応しくない件について
  • バチカンの理系聖職者は語る「インテリジェントデザインは神を小さくする」と

    昨年(2005年)7月のオーストリアのカトリック枢機卿Christoph Schönbornのインテリジェントデザインよりの発言 欧州へも浸透し始めているインテリジェントデザイン への対応と思われる講演を、バチカンの理系聖職者代表のGeorge V. Coyne神父が米国フロリダで行っている。 George V. Coyne神父によればGod is working with the universe. The universe has a certain vitality of its own like a child does. It has the ability to respond to words of endearment and encouragement. You discipline a child but you try to preserve and enrich t

    バチカンの理系聖職者は語る「インテリジェントデザインは神を小さくする」と
  • 絶叫機械+絶望中止 - 水の伝言系が身近にいたときの対処法。

    ロープを使ってメンヘルが崖から落ちないように助けます。 知り合いと飲んだら「DVD監督」→「劇場映画企画」→「ハリウッド映画」という俺の空メソッドの成り上がりを体現しそうだ、と言うので笑った。いやバカにして笑ったのではなくて、びっくりして笑ったのだ。世の中にはやりたいと思うことをやる奴がいる。ふつう人間はやりたいことと、やれることを分けて考える、けれど"やる奴"はその区別ができない、やりたいこと即できること。うらやましいかと聞かれても、なんとも答えようがない。「奴は頭がおかしいに違いない」とも言う。 もし「マキノ雅弘の『次郎長三国志』が公開されているので行きたいんだよね」なんて言ったら、奴らはおれに落第点を下す。もう行っているのだ。話を聞く、時間を作る、行く。そういうものだ。 「ブッ殺す」「ブッ殺す」って、大口叩いて仲間と心をなぐさめあってるような負け犬どもとはわけが違うんだからな。 「ブ

    絶叫機械+絶望中止 - 水の伝言系が身近にいたときの対処法。
  • http://www.asahi.com/science/news/TKY200602150312.html

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