最近話題になった、私はこうして退職を強要された/NECリストラ 面談一問一答メモ という記事を読んで、ネットでいろいろ教えていただいたことのまとめ。 独特の言葉遣いについて 記事中では、NECからの退職を拒否した「男性」が、11回も繰り返される面談を通じて、「上司」から退職を要請される。 上司が執拗に繰り返す「今の職場で今のまま業務を続けてもらうのは難しい」という文言は、読んでいて息が詰まりそうになる。 男性が何を問うても、上司は同じ言葉を繰り返す。記事の後半、激昂した上司が一瞬、普通の言葉で「男性」を叱ってみせるけれど、すぐにまた「今の職場で今のまま業務を続けてもらうのは難しい」という文言に戻る。上司はたぶん、何かの意図があって同じ言葉を繰り返しているのだけれど、自分には当初、その理由がよく分からなかった。 ある意図を達成するために作られた特別な言葉というものがある。有名なのが「記憶にご
橋下徹 on Twitter: "そんな組織のトップは、太田教授が考えるマネジメント手法なんかでマネジメントはできません。典型的な現実不認識の机上の論。役所の課長に対して講義する論理がそのまま大阪市長に通用するわけがない。役所の組合と血みどろの政治決戦を踏まえた大阪市長と言うポジションは特殊です。" そんな組織のトップは、太田教授が考えるマネジメント手法なんかでマネジメントはできません。典型的な現実不認識の机上の論。役所の課長に対して講義する論理がそのまま大阪市長に通用するわけがない。役所の組合と血みどろの政治決戦を踏まえた大阪市長と言うポジションは特殊です。 批判の対象となっている、同志社大学政策学部の太田肇さんは、組織論を専門に研究されている方で、国家公務員や地方公務員の「現場」の経験もある方なのですが、「批判者は現場を知らない」論は、批判者が体験していない「現場」を持ち出すしかないの
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迂闊なこと書くと怖いがCCCDを毛嫌いするヒトって、何なんだろうな。マカー同様なんとなーくカテゴライズできる気がする。気のせいかもしれんが…。 @
ちょwww消毒先生www逃げないでくださいよwwwwwwwwww - 脳髄にアイスピック あと、ついでに「三度の飯より他人の揉め事が好きな犬(あのアイコンはネット上の揉め事や炎上を見たときの笑顔にしか見えない)」ことid:kanose村長辺りの意見も聞いておきたい。 二ヶ月前の話題だけど、以前呼ばれたので、三度の飯より他人の揉め事が好きな犬が知っている消毒さんのことについて書いてみる。これは「その暇つぶしを3年続けてるのはすごいですね!」の解説でもある。まず、最初にことわっておくが、以下の記述はあくまで推測が多い。長いので「続きを読む」記法を使う。 消毒さんとの初めてての出会いは、このブログからだった。 albinoalbinism 2006年から書き始めているのだが、2006年6月頃から、ネットで話題になっていることに言及を始める。特に、はてなに注目したらしい。 2006 6月 « al
タイトルにあるような言動をたまに見かけるが、個人的にはあまり好きではない。というか、きらいである。 きらいな理由はいくつかあって、まず その個人的な意見が「一般的」(マジョリティ的)であるという根拠が薄弱なことが多い。「一般人」(マジョリティ的)の意見であることが真だとしても、それを理由にそうじゃない人を「一般人として」責める理由にはならない。というのが思い浮かぶ。 今回見かけたのは、 Latest topics > 行為をバカな事だと言ったのか、人を馬鹿な人だと言ったのか、それがわかりにくいのが問題だ – outsider reflex という記事だが、概要は 「ことわざやルールがあるのは“それが足りてない、それが実現できてない”から、存在すると思う。で、「罪を憎んで人を憎まず」というのもそれに当てはまる。だから、意見が叩かれたりするときは行為だけ責めてると考えるのではなく、人格まで責め
議論をするときにもっとも危険な状態になるのは無能な味方がやってきたときだろう。無能な味方はなぜかこちらの意見のもっとも脆弱な部分を誉めそやし、敵に付け入る隙を与えて去っていく。本当の敵はお前か? 有能な敵はこちらの議論の要諦を踏まえて建設的な議論を行ったうえで自分の主張を通そうとする。結果、決着がつかないまでもお互いの中に何か有益なものを残しつつ、終結することが多い。 一番やっちゃいけないことは、味方だと思って賛同者に自動的にコミットしてしまうことかな。 あと、視点をころころ変える人。視点を変えること自体は問題ないんだけど、全方位で自分が正しいなんてことはまずありえない。だから、視点を変えたときに自分が不利な見方ができるのであれば、それはその視点では自分が正しくないことを認めたほうがあとあと都合がいい。そこで突っ張ろうとすると、またしても無能な味方が現れて、全方位援護射撃をするつもりで味方
2008年09月30日 Permalink 断言と疑心 ●荻上チキさんが、強烈な洗脳食育マンガを紹介しています。 もう、内容は放っておくとして、こういうマンガを見ると、信用しちゃうアホも少量いるんだけど、大抵はこれが嘘だって分かるじゃん。 ところが逆に、例のマクドナルドの映画を作ったスパーロックがつくったような「マクドナルドのポテトは腐らない実験」とかを見て「腐らないようなポテトを食べるのは危ない」とか言ってる人は、けっこういるんだよなぁ。 その違いって、なんなんだろうね? それは多分、前者のマンガがいろいろなことを「言いきっている」のに対して、マックのポテトはあくまでも「こんなものを食べても大丈夫なのだろうか」と視聴者の側に自発的に疑心を抱かせていることが大きいんじゃないかと。 他人から回答を強要されると、そこに反発したりするけど、疑問を抱くに至る過程をつくって、最終判断の時点で任せると
橋下知事の重なる過激発言、与党からも「行きすぎだ」(1/2ページ)2008年9月9日17時8分印刷ソーシャルブックマーク ラジオの公開生放送で「クソ教育委員会」と言った橋下知事=7日、大阪府箕面市、春日芳晃撮影 このところ、大阪府の橋下徹知事の発言が過激さを増している。「このざま」「予算はつけない」「クソ」……。舌鋒(ぜっぽう)は主に教育委員会に向けられる。あまりの激しさに府議会の与党会派からも「行きすぎだ」との声が出始めた。 知事の教委批判は、全国学力調査の結果が発表された8月29日の「このざまは何だ」発言から、急速にボルテージがあがった。調査対象の小6と中3の国語と算数・数学の結果が、大阪府はいずれも30、40位台だった。 橋下知事は、市町村ごとの結果が公表されないことをいいことに各教委が対策をとらないのが成績低迷の主因だと断じ、個別に結果を公表するよう市町村教委に圧力をかけ始めた。7
「順位をつけない徒競走」にもいろいろやり方はあります。 「順位をつけない徒競走」の体験談募集します 私の小学校5年生の時の徒競走は「順位をつけない徒競走」でした。ちなみに兵庫県です。正確に言うと、当日の速かったチームではなく、当日までにタイムを一番縮めたチームがいいんだよというものでした。なので、運動会前に一度タイムを計り、そのタイムをベースに運動会当日のタイムを比較します。 走り終わったときに順位はなく、数時間後、張り紙がはられ、縮まったタイムを確認しに行っていました。 足の速かった私はこの制度に疑問を持ち、先生に「そんなんやったら、運動会前のタイム計るときにわざと遅く走ったらええやんけ」と言いましたが、「みんなのことを信用してる」と言われあえなく却下されました。 私の出身高校には全国レベルの陸上指導者が何人も在籍していました。ある程度の情報共有があったのか、無名の先生の指導法にも、興味
ちょっと風邪をひいて先日から寝ているのだが、根っころがっててもiPhoneでウェブやメールを読んで過ごせるのは実にすばらしい。いや、自室で寝てるんだからiPod touchでもできるけどさ。 んでちょっとよくなってきたんで1記事書いてみようかと。 すっぱい葡萄の政治学という記事。 これがちょっとおもしろかった。 「すっぱい葡萄」という概念の大前提の条件として、「理想の状態があり、みんながその状態になる事がいいことだ」という考えがあります。つまり、木の上にはおいしい葡萄がなっているという前提があります(それがないと話が始まらない)。 すっぱい葡萄の政治学 これはつまりこういうことだ。 iPhoneなんかより日本のケータイのほうがいいよ! という主張がけっこうあって、iPhoneのダメなところを(ウソもまじえて)列挙する記事がこないだはてなブックマークのホッテントリに入ってた。 それを「すっぱ
ドットインストール代表のライフハックブログ
議論における比喩禁止条約 - 最終防衛ライン3 この中で「電車内のマナー」話をしているのを見て「比喩禁止話の中でたとえ話とは」と思ったのだが、考えてみればそれは適切な見方ではない。 「たとえ」には2種類あるのだ。「例え」と「喩え」である。 例えはサンプルの例示である。主題に沿って具体的な事例を紹介するもので、(適切なサンプルでないという可能性はあるにせよ)基本的に事象として一致しているため論旨を歪めることがない。 対して、喩えは主旨を感覚的に理解させるための置き換えである。本来の事象と置き換えられた事象は、ある一面で一致しているかも知れないがそれ以外の面では共通性がない。にも関らず、比喩の方に対して「いや、その場合はこうなる」などと突っ込みが入ってしまうことで論旨が歪められてしまう。 mixi某所で例示と比喩を区別できない人と議論したことがある*1。変な比喩にこだわって話が逸れるので何度も
南京事件の論争について触れたからには、あの論争に関する自分の見解がわかる記事をアップさせたほうがいい気がしてきたので、アップするタイミングを見失ってお蔵入りさせていた記事をアップする。かなり長いので注意。 以前、知識優越感ゲーム話題でfromdusktildawnさんがこのようなブクマコメントしていた。 はてなブックマーク - 知識を優越感ゲームに使っているかどうかの見分け方 - ARTIFACT@ハテナ系 fromdusktildawn まあ、実際には優越感ゲームはしてもしなくても現実はあまり変わらない。優越感ゲームが云々と言ってる人の横を素通りして具体的なチャンスをつかみ成果を重ねたヤツが充実した人生を送れる、ただそれだけ。 南京事件の議論の時のfromdusktildawnさんの態度って、妙な言い訳して泥沼に陥ってたんじゃ? 「俺は南京事件議論の知識はないけど、(なぜか)議論は俯瞰で
↓こちらに続編あります↓ 論争に絶対負けない議論ハック(心構え編) - 女教師ブログ ====== 常々「ダメな論証方法」に関する話が好きで、自分でも色々考えたりしていたのだけれど、先日、ウィキペディアでまさにそれがリスト化されているページを見つけ、とても嬉しくなってしまった。誤謬 - WikipediaList of fallacies - Wikipedia, the free encyclopediaというわけで、以下は、wikiのページから13個の「間違った論証方法」を抜粋・再構成して、勝手に自分で例を考えてみたものです。こういうのを俗に、人の海パンで水泳をする、と言うんですね。 論理ルールの違反1. 後件肯定: 「PならばQだ」という論理を改変し、逆に「Qだ」から出発して「Pだ」を導く 例「瀧沢の彼女・奈々子は『もし浮気したら、別れるから!』と言っていた。最近、彼らは別れたらしい
私の想像はこう。 ・2人を殺傷した主婦がいる。 ・この主婦は「○○」にハマっていた。 ・この「○○」は殺傷事件の原因となったか、強い影響を及ぼした。 ・「○○」はこれこれこういうものであり、ここが問題である。 特に、この「○○」はカギカッコつきで強調されているから、この記事の主題は「○○」であろうと思うのが自然だ。当然、この「○○」がどんなものであるのか、どんなふうに問題なのか、知りたいではないか。読みたくなるではないか。 で、買ってみた。今日発売の週刊文春2008年3月20日号だ。実際には「2人」は「奄美2幼児」であり、「主婦」は「中国人母」だ。つまり「奄美2幼児殺傷中国人母がハマッていた『残虐』ネットゲーム」」となる。新聞でちらりと見かけただけだが、凄惨な事件だ。亡くなったお子さんのご冥福をまずお祈りするわけだが、いったいそんな事件を引き起こしたのは何なのか、やはり気になる。 読むと、
いやー、ここ数日、重苦しい文体で書きなぐってしまいましたね。 疑似科学批判批判の皆さんの問題の一つは、批判によって疑似科学の人を適切な認識なり、行動に導けるかどうかにあるように思います。これはこれで重要な問題ですので、ちょっと考えてみましょう。 非常に抽象化して考えますが、ある観点からすれば、特定の人間の行動は不適切な行動と適切な行動に分類することができます。さらに不適切さ、適切さにも度合いがあり、とってもやってもらって嬉しい行動、まあまあ嬉しい行動、ちょっと困る行動、うんと困る行動、絶対許せない行動などに分類することができます。この観点からすれば、他人の行動への介入の目的は、適切さの度合いを大きな行動を増やして、不適切さの度合いの小さい行動を減らすということになるでしょう。 そんでもって、ほとんどの人々がおちいりがちな失敗というのは、不適切な行動を批判することによって、適切な行動に誘導し
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